2020年6月9日火曜日

『グラン・トリノ』-映画的愉しさに満ちている

 前から録ってはあって、このところのクリント・イーストウッド・ラインナップでようやく。
 中盤まで、なんだか愉しい。家族を始め、周囲から疎まれている頑固爺いが、偏見に満ちて観ていた隣家のアジア人家庭と関わり合ううち、そのうちの一人、冴えない少年と「友情」を育んでいく。
 少年の姉であるアジア人の少女の、ギャングにも強気に出る態度は『息もできない』のヒロインを思い出させてハラハラさせるが、彼女の存在がアジア人コミュニティとアメリカ人の老人を橋渡しすることになり、物語に強い安定感を与えている。
 少年にちょっかいを出してくる鬱陶しいギャング少年に対して老人が制裁を加えるあたりまでは物語としては安定したドラマツルギーだ。
 その後の悲劇的展開も、驚いたとはいえ、まあそういうのもありだという範囲を超えてはいない。さて問題はどう落とし前をつけるか、だ。
 そして結末もなるほど、それがうまい落としどころではある。
 前半の愉しいから後半の劇的展開まで、終わってみればベタなドラマではある。しかし結局映画的愉しさに満ちている。

 イタリア人理髪師役のジョン・キャロル・リンチは『ゾディアック』で覚えて、『Walking Dead』のグルで出たときには感慨深かったんだが、ここでも安定の存在感。

 ところで、気になったこと。
 なんだかんだつきあってしまえば、偏見の目で見ていたアジア人コミュニティともつきあっていける。それどころか、少年とは「友人」と呼べるまでになる。
 だがそれは孫達ではだめなのか?
 可愛気のない孫が、最終的に祖父である主人公のグラン・トリノをもらえなかったことで観る者のカタルシスを感じさせるような構図になっているが、最初は気に入らなかった若者が、つきあってみれば絆ができる、ということなら、それが孫達でもいいではないかと思ってしまう。
 孫達にはない「良さ」がアジア人の少年少女にあるとしたら、そんな構図は哀しい。

 頑固爺い振りといい猫背の痩身といい、どうも我が父を連想してしまってしかたがなかった。

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