2020年7月11日土曜日

『ミッドサマー』-奇妙な決着

 コロナ騒ぎの前に観に行く予定を立てていたのだが、上映中止になって流れていたのだが、営業再開に伴って最近あちこちでまた上映されだしたので、候補を探って、渋谷の小さな映画館で上映されているディレクターズ・カット版170分を観てきた。当初の通りそもそも誘ってくれた娘と。
 アリ・アスター監督の前作『継承』は、興味は引かれているのだが観ていない。もちろん観たい。タイミングを見計らっているだけだ。これを宇多丸さんが年間ベスト1に挙げているのだ。本作も期待してしまう。

 終始手堅い演出で、確実に恐怖を高めていく物語運びは、なるほど上手い。
 問題の「その村」に着くまでがまず相当に長いのだが、主人公の背景をこれくらいに描かないと、確かに物語の決着にいたる流れに説得力が得られないから、それもまた充分な必然性がある。演出が手堅いから、映画を観ることの快感がどの断面にもあって、飽きることもない。
 そして「その村」の明るさと美しさは、なるほど前評判どおりだ。『ハリーの災難』の紅葉は「総天然色」とでも言いたい人工的な美しさ(形容矛盾)だったが、本作は現在の技術で高精細になって、いよいよ「総天然色な自然」にも見えるが、一方でその美しさが不穏でもあり、それはそれでやはり「人工的」な美しさではあるのだった。
 その不穏は、「いつくるかいつくるか」という不安/期待の裏返しである。
 そして、期待通りに(時折は期待を裏切って)その不安は現実になる/ならない。
 恐怖と言うより居心地の悪さ。  
 ストーリーの型も味わいも『ゲットアウト』を連想させる。
 だが敵はそれを「悪」とは呼べない「伝統」「習慣」である。
 倒すべき相手ではなく、逃げるしかない状況なのだが、逃げおおせて終わるハッピーエンドではない、観たこともない奇妙な決着をみる。

 さて、大いに面白かったのだが、帰ってからネットの評価を見ながら思ったこと。
 主人公の恋人が「クズ」と評されるのは、それほど同意できない。
 二人の関係はきわめて微妙な配慮が行き届いた適切な描写がされていて、どちらもがそれなりに分別のある常識的な言動をしながら、それでもやむをえず心が離れていく現実的な残酷さを描いていたと思う。したがって、最後の悲劇を、因果応報的なカタルシスで受け止めることはできなかった。結末は現実的な悲劇が、そのまま不条理な悲劇に転換していると感じた。
 結末は、主人公にとっての救いになっていることは、理屈の上ではよくわかるのだが、それでも観客がそれを素直に喜べないという居心地の悪さがこの映画の後味の良さ/悪さなのだろう。

 途中で何度か笑えてきたのだが、ホラーだというのに可笑しいとすら感じる「変」さは、狙っているのかどうか判然としなかったが、ネットには笑えるという感想もあり、これもありうる感じの一つなのだと得心。

 終わって駅までの渋谷の街は12時近いというのに多くの若者で溢れていて、これから帰れるのか、帰らずに夜を明かすのか。

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