2020年7月23日木曜日

『翔んだカップル』-普通なスターという両義性

 相米慎二に愛着はない。30年くらい前には『台風クラブ』も『光る女』も、徒にわけのわからない演出をして観客を煙に巻くのが芸術的だと思っているのかと言いたい感想を、当時もった。
 だが今、観ることのできない『雪の断章』をもう一度観たくてしょうがないし、後期の評価の高い作品も機会があれば観てみたい。

 監督デビュー作の本作は、時代を感じさせるダサさは確かにある。この間何本かまとめて観た韓国映画のように、滑稽な言動がお約束のように描かれるのはどちらかといえば不快だ。そんなものを求めている観客に向けて作られているとは思えないのに。
 そして、お話がよくできているとも思えない。脚本が丸山昇一だとはエンディングクレジットで知ったが、どちらかといえば丸山の評価を下げた。
 人物像も作りが雑でまとまりに欠ける。これは相米の演出方法のせいもあって、これでこそ醸し出されるリアリティもある。それは登場人物というより役者のリアリティで、役者の未熟さがそのまま人物像の混乱に表れている。それでもいいという評価もあるだろうが、主人公の二人くらい、もっと微妙に描いても良いのに、と思った。
 有名な長回しは、功罪あるだろう。視点の切り替えによる情動の誘導や画作りの面白さがないことによる平板さを上回る演技の熱が生まれているか。あるような気もする。
 これも時代柄しょうがないとはいえ、家事を女性しかしないのが前提となっていて、そのことについてのエクスキューズがないのも、今観ると不愉快ではある。「翔んだ」などという、「新しさ」を表す形容(かえってそれこそ古めかしい)がついているというのに。

 だが観終わって、この感じは『君の膵臓が食べたい』のようだと思った。認めるのに抵抗のある、しかし否定しがたい、ある懐かしい感じ。都合の良い願望を伴っているから、恥ずかしいが、しかし抗いがたい愛着。
 男優は鶴見辰吾よりは尾美としのりが良い仕事をしている。屈折しつついい友人でもいようとする人物像を達者に演じていた。
 女優は石原真理子は魅力がまだ発揮されていないが、なんといっても薬師丸ひろ子が圧倒的。
 この映画の魅力は、もちろん設定にそのほとんどを負っているのだが、薬師丸ひろ子の存在がやはり大きい。
 今観ると、やはり映画の主演をするには不似合いな「普通さ」が、おそらくこの映画の後味に大きく貢献しているのだ。「普通の女の子」といえばキャンディーズだが、薬師丸ひろ子の「普通」さに比べればやはり「アイドル」然としていた。それはステージ衣装の非日常性と、言動の作為のせいで、この映画当時の薬師丸ひろ子こそ「普通」に見える。
 それでいて同時に「銀幕のスター」でもあるという特異なアンビバレンスを体現していたのだった。
 それが、この物語を、まるで自分が経験したかのような懐かしさとして体感させる。

 上で「つまらない」と評した画作りだが、やはり坂道を自転車で下る有名なシーンは、やはりどうにも印象的だった。

0 件のコメント:

コメントを投稿