2021年3月27日土曜日

『空の青さを知る人よ』-誰が「知」っているのか

  『未来のミライ』の細田守や『天気の子』の新海誠と同じように、これもたぶんダメなんだろうと予想して、その予想を確認するために観るというのは屈折している。

 だがこちらは長井龍雪よりも岡田麿里に対する不信感だ。細田や新海は脚本も自分で書いていて、作品全体についての不満もそこに起因するのだが、本作で不満なのはやはり岡田の脚本である。アニメーションは実に質が高いが、そうはいっても結局作品の責任は監督にあるのだから、演出でどうにもならなかった長井に対する評価も予想どおりではある。

 二つの恋が並行して描かれる。一つは主人公の姉の31歳になる市役所職員と、姉のかつての同級生であるギタリストの恋物語。もう一つは彼の「生き霊」に対する主人公の女子高生の恋物語。つまり主人公姉妹の相手は、31歳の彼と、高校生時代の彼の「生き霊」なのだが、この突飛な基本設定に説得力がないのも困ったものではある。

 「生き霊」は、そこに実在するものとして描かれている。曖昧なところなどない物理的存在として。そこにどのような現実的可能性を描こうとするか。

 何も現実的な整合性をどこまでも要求しようというのではない。突飛な設定を理由なく持ち込んで、それをどこまでも現実的に処理することで面白さが生ずる可能性はむろんあるのだが、残念ながらそうはなっていなかった。

 となれば、現実的にではなく曖昧な移行で時空間の混同を起こすしかないはずだ。もちろんそれをやって安っぽくなる恐れもまたあるとはいえ、結局、あくまで現実的に起こっていることとして描こうとして余りに「トンデモ」でありすぎた。そしてそう描くことの必然性がまるでわからなかった。

 それを選んでおきながら、クライマックスでは空を飛んでしまう。アニメーションは見事だったが、物語の論理がわからなくなるばかり。


 何より決定的なことは、妹が惹かれるその生き霊が、まるで魅力的に感じられないことだ。これではまるで物語の論理が成立しない。

 狙いはわかる。高校生の彼は夢を追いかけていて「魅力的」なのだ。妹はそこに惹かれていた。現実の彼は、半ばは夢破れた現実に生きている。それなりに優しかったりもして魅力的だ。姉はそうした彼を受け容れる。

 だが、実際に「生き霊」たる高校生の彼が魅力的に見えることはついぞないのだった。主人公にとっては、自分に優しい言葉をかけてくれ、自分を肯定してくれているように感じたということが、彼に心を寄せる必然性を持っているのだが、観客にとって、高校生の彼が、現在の彼と違ったどのような「価値」を示しているというのか? 夢を捨てていない? 単なる現実の見えていないガキにしか感じられないが。

 「生き霊」と現実の彼に、それぞれの「価値」をどう付与しようというのか、脚本上のキャラクター造型に、それがどのように意図されているか、わからない。

 それを演出でどうにもできなかった監督の責任はやはり逃れがたい。

 岡田の脚本は、「心が叫びたがっているんだ」にせよ「空の青さを知る人よ」にせよ、フレーズの鮮やかさを物語が支えきれない。

 もちろん「空の青さ」は高校生たちが見ようとしている未来への夢なんだろうが、その中身が真剣に問われているようにも見えないし、それならば、「青」春時代を過ぎてしまった姉と彼がどのような位置にいるということなのかもわからない。

 もちろん登場人物の誰もが「知る人」であってほしいと言っているのだろうが、一体誰が「空の青さを知」っているというのか。あの映画の中で。


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