NHKのドラマとして放送されたときに観て、好印象ではあった。
それが最近面白かった『今ここにある危機とぼくの好感度について』の渡辺あやの脚本なのだと知って、劇場版を観直す気になった。
観直しても、印象のあるシーンはまるでなかったが、やはり、現実に流されて諦めてしまうリアリティと、それでも何か大事な物を守ろうとする戦いの切実さの対立は、青臭いながらも爽やかで、前回と同じように好印象だった。
それ以上に今回は、「ドレッド」が茶を点てるシーンが妙に印象的だった。
戦いに対して距離を置くドレッドが、熱い議論が交わされる部屋に入ってきて、議論に構わずに、その部屋が以前茶室だったことを確かめようとする。議論している側は怒りをもってその希望を排除する。気易く待つことにしていると、議論が熱を帯びて、むしろそれが行き詰まったときに、壁に積み上げた本が崩れて、壁の掛け軸が姿を現す。茶室だったというのは本当だったのだ。
次のカットではなんとドレッドが茶を点てる。議論していた面々も、神妙な面持ちで正座をして待つ。ドレッドヘアーのお気楽なキャラクターと茶の落差の可笑しさもあるが、議論の行き詰まりが思いがけない形で落着することにカタルシスもある。
無理矢理「解釈」すると、あれは、現在の青春の舞台である寮の一室に、今は失われてしまった茶室だった過去が、現在の問題である寮生と大学の対立を超越した「歴史」として突然顕現して、その前に皆が神妙になってしまう、というようなことなんだろうか。
撮影としては、ドラマ版と、後から劇場版用に撮影したというテーマ曲の合奏シーンが、多幸感にあふれるカット編集だったのに感動した。
渡辺あやを覚えたのと、岡山天音がこんなふうに中心的な登場人物の一人だとあらためて認識した。それ以外の若手もとても良く、今度どこかで見たらきっと思い出す。
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