とりあえず文化祭が終わった。もう昨日のことだ。Bloggerは投稿日時を指定できるから、今日書いたものを「昨日」投稿することもできるのだが(今までのいくつかもそうだ)、素直に今日の日付でアップしようか(「今日」のうちに書き終われば)。
クラスの方は細かく書き込むようなネタはない。アイス・ジュース販売などという不本意な参加形態に基本的に愛着を抱けないクラス発表だったことは、自分の力不足、戦略の失敗という点で反省するとして、一旦そう決まったからには、可能な限り良い活動であったという記憶を残したいものではある。
その点、全体としての生徒の活動は、実に好意的に見ていられた。何人かの、積極的に動ける生徒たちの行動力、責任感、気配り、アイデア、献身、クラス全体としてのノリ…、どれも見ていて微笑ましく、うんざりさせられたり苛立たしい思いをさせられたりというようなことがほとんどなく過ごせた三日半(準備日から数えて)だった。二日間で8万数千円の売り上げのある金銭のやりとりがあって、仕入れから計算した予定売り上げと、完売しての手元の現金が二百円ちょっとのズレで決算できたのも、上出来と言っていい(完全に一致するのを望むのは無理というものだ)。みんな金銭の管理に責任感をもって臨んだのだろうと、素直に誉めたい。
その点、全体としての生徒の活動は、実に好意的に見ていられた。何人かの、積極的に動ける生徒たちの行動力、責任感、気配り、アイデア、献身、クラス全体としてのノリ…、どれも見ていて微笑ましく、うんざりさせられたり苛立たしい思いをさせられたりというようなことがほとんどなく過ごせた三日半(準備日から数えて)だった。二日間で8万数千円の売り上げのある金銭のやりとりがあって、仕入れから計算した予定売り上げと、完売しての手元の現金が二百円ちょっとのズレで決算できたのも、上出来と言っていい(完全に一致するのを望むのは無理というものだ)。みんな金銭の管理に責任感をもって臨んだのだろうと、素直に誉めたい。
それより、例年、文化祭といえば大抵は音楽系の発表場所で過ごすのだが、今年もまた大半の時間を体育館で過ごした。
3年と1年に演劇の発表クラスがあって、3年生の演劇は体育館だったので、その準備や裏方の仕事ぶりや、劇の舞台そのものを見ることができた。劇自体は「白雪姫」のディズニー映画版をもとにしたもので、王子様のキスで白雪姫が生き返るところで劇が終わってしまう、30分ほどの簡略版、といったところである。基本的には小人たちや魔女役の男子生徒(なのだ、やはり)の個人技で、半ばは内輪受けのギャグで観客を沸かせる、といった体のクラス演劇ではある。だが、うちのような学校でクラス演劇をやることの困難はわかるだけに、担任の熱意と指導力と、それに応えた生徒たちの感じているであろう充実感は、見ていてやはり羨ましかった。体育館には恐らく四百人を超える観客がいたと思う。クラス全員でそのことを誇っていいと思った。
だが私が今回の文化祭で最も印象的だったのは演劇部の舞台だった。地区大会での実績をみる限り、そこそこの舞台にはなるんだろうと思っていたが、あんなに感動させられてしまうとは、申し訳ないが予想していなかった。
恐ろしく手抜きのポスターにある「白犬伝」という題名は、それがパロディであり、コメディなのかと思わせるが、それにしては「~ある成田物語」という副題が不審だ。リードには成田空港闘争を背景にした物語だというからこれはもしや社会派の演劇なのかと思って見始めると、主人公の白い犬のモノローグから始まる。やはりコメディタッチではある。が、早々に登場人物の一人が交通事故で死に、ドキリとしていると、そこから生ずる人間ドラマはシリアスである。
登場人物の何人かは知っている生徒が演じているので、どうにも冷静には見られない。頑張って練習してきたんだろうなとか、緊張して失敗しなければいいなとか(実際、結構噛み噛みだった)、そもそもこちらが不安定な心理状態で見ているせいか、些細な物語の起伏にどうにも感情が動いてしまって、やたらと感動しやすくなっていたのだった。笑うよりもむしろ胸にこみあげる場面が多かった。
物語は本当に成田空港闘争における1971年の「第2次行政代執行」を背景にしていて、やはり後へいくほど、笑うよりはシリアスなドラマが展開されるのだった。
だが、これが社会問題についてリアルに考えさせる物語になっていると単純に考えるわけにはいかない。というか、権力の横暴を単純に批判するような力が、直ちにこの演劇にあると言ってしまうのは危険だ。社会問題として真っ当に考えるならば、成田闘争における左翼運動の介入についても勘案したうえで評価しなければならないからだ。
それよりもむしろこの物語は、社会問題の複雑さに、家族間の人間ドラマを対置させ、そのいずれもの解決の見えなさに対して、主人公の犬がいわば「無垢」として機能することで一筋の救いを感じさせるところに魅力があると考えるべきだろう。もちろんそれが「無私」や「献身」といった安易なヒロイズムに見えかねないこともわかったうえで。
ただ、こんな真面目な問題を扱って、真面目になっている登場人物たちを動かしておいて、それでもうちのような学校の生徒に「何だか難しくて退屈な話だった」というだけでない感動を与える物語になっていたのは確かだった。
見に来ていた生徒の一人に、後で「演劇部の劇、良かったね」と言ったら、「本当に。何度も泣いちゃった」と言っていたのは、私の感想が他の観客にも共有されていたことを確信させたのだった。
だが、これが社会問題についてリアルに考えさせる物語になっていると単純に考えるわけにはいかない。というか、権力の横暴を単純に批判するような力が、直ちにこの演劇にあると言ってしまうのは危険だ。社会問題として真っ当に考えるならば、成田闘争における左翼運動の介入についても勘案したうえで評価しなければならないからだ。
それよりもむしろこの物語は、社会問題の複雑さに、家族間の人間ドラマを対置させ、そのいずれもの解決の見えなさに対して、主人公の犬がいわば「無垢」として機能することで一筋の救いを感じさせるところに魅力があると考えるべきだろう。もちろんそれが「無私」や「献身」といった安易なヒロイズムに見えかねないこともわかったうえで。
ただ、こんな真面目な問題を扱って、真面目になっている登場人物たちを動かしておいて、それでもうちのような学校の生徒に「何だか難しくて退屈な話だった」というだけでない感動を与える物語になっていたのは確かだった。
見に来ていた生徒の一人に、後で「演劇部の劇、良かったね」と言ったら、「本当に。何度も泣いちゃった」と言っていたのは、私の感想が他の観客にも共有されていたことを確信させたのだった。
さて、結局日をまたいでしまったのだが、冒頭に書いたとおり、文化祭が「昨日」であった日付でアップすることにするか。
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