2014年9月23日火曜日

『ウォンテッド』『幸せのレシピ』「おやじの背中」

 文化祭後の柔道がこたえて、体はきつかったが、どこにも出かけない、急ぎの用もない、贅沢な休日。休日に子供たちと食べる昼食の幸福。

 この休日に見終わった映画。
 「見終わった」とは妙な言い回しだが、実際録画されている映画をどれもこれも途中まで見ていて、さてどれから見終えるか、という感じなのだ。

 夏休み中に録画したものだから一ヶ月越しの鑑賞でようやく見終えた『Wanted』(ティムール・ベクマンベトフ監督)は、まあ完全に映像を見るだけの映画だったな。このブログの開設のきっかけとなった「マレフィセント」のアンジェリーナ・ジョリーは、『トゥーム・レイダー』以来、タフなアクション女優ばっかりやってるような気がして、作品数が多いから多分そういうわけではないんだろうが、『ソルト』とこれと、実におんなじような役どころだった。モーガン・フリーマンが深みのないこの程度の悪役なのも残念。これも、映画館で観ればもっと楽しめるのかもしれないが、だからといってこんな脚本にこんな金をかけていいのか? ティムール・ベクマンベトフは『ナイト・ウォッチ』もやはり「驚愕の映像」で、でも面白かったという印象もない。

 一方『幸せのレシピ』(スコット・ヒックス監督)は、あまりによくできているので、途中まで観ては子供たちにも見せたくて戻って再生したりして、最初の方は3回観てるところもあるが、ようやく最後の3分の1を娘と見通した。良かった。実に「幸せ」だった。
 だがこれは『Wanted』に比べてそんなに良くできた物語だろうか。同程度に単純なお話のような気もする。気になってネットの映画評など見てみると、低評価の人の言い分も実に的確な気もする。
 それでも観ていて幸せな気分になれるのは、なにより細部の演出が見事だったからだ。美しい抑揚によって書かれた文章が、読むだけで良い気分にさせてくれるように(ちょうどさっき向田邦子の文章を読んだので、それがイメージされている)、細部まで気配りの行き届いた画面が適切なテンポで展開していく映画は、観ているだけで気分がいい。こういうのは、「ドラマツルギー」とか言って物語の構造を考えたりして工夫していくだけでは生み出せない魅力で、ちょっと敵わんなあ、という気がする。言いたくないが「センス」というやつだ(ここは具体的な場面を挙げて分析すべきかとも思うが、それにはもう一度見直さなければならず時間がとれない)。
 キャサリン・ゼタ=ジョーンズは恐ろしく綺麗だったし、アーロン・エッカートはかっこよかったし、アビゲイル・ブレスリンは可愛かった。それもまた優れた演出の賜物である。スコット・ヒックスは『アトランティスのこころ』でも、うまいなあと思って見ていたんだが、監督を覚えるに至らなかったが、これを期に心に留めておこう。
 ところで思いのほか低い評価をする人の中で、元になっているドイツ映画を高く評価している人もいた。そうか、そういうのがあるのか。機会があったら観てみよう。

 それに比べて「おやじの背中」の最終話は無惨だった。三谷幸喜があんな脚本を書いていいのか。登場人物の嘘がどんどん大がかりな展開になるというのは『マジック・アワー』でも『有頂天ホテル』でも実にうまく構成できていたのに、なんなんだ、このちゃちな展開は。ハラハラもドキドキもなくその無理さ加減にうんざりするばかりで、といって「笑いと涙」もなく。そして残念ながら小林隆はどうしようもなく大根だし。それを「味」だの「ほのぼの」だの「人柄」だのといって弁護する気には到底なれないのだった。
 もうひとつ、億劫で見終わってなかった第8話の池端俊策も、これが紫綬褒章を受勲しているような脚本家のドラマかとがっかりだった。あながち演出のせいとも思えないほど、どこに魅力を感じればいいのかわからなかった。大泉洋の使い方も、決定的に間違ってる。彼には軽妙な演技をさせれば絶妙な味わいのある演技をする俳優なのに、それ以外に存在価値があるのか? 少なくともこのドラマではなかったと思う。

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