2016年8月24日水曜日

『ゼロ・グラビティ』 -サスペンスを阻害するもの

 アルフォンソ・キュアロンだし、アカデミー賞総なめだし、大ヒット作だし、ハードルは思い切り高い。
 だがそれを越えるだけの出来であることは確かだ。文句の付けられない緻密な脚本とサンドラ・ブロックの演技、そして何より、恐るべき撮影技術。
 『トゥモロー・ワールド』も恐るべき撮影技術に驚嘆して、それでも物語に不満が残った作品だったが、こちらは物語としても間然するところがない。サスペンスもドラマ性も。
 デブリによるステーションの破損で宇宙漂流する危機に陥った主人公がいかに生還するか。物語はこれだけの、これのみのシンプルな骨格に拠っている。
 最初のシークエンスで、宇宙空間に漂流することの恐怖はたっぷり演出されている。あとはそこからの生還が、いかに強いカタルシスを生むかだ。
 その点でもよくできていたと思う。次から次へと襲う困難をひとつひとつ克服して地球に向かう。
 着陸用のユニットが着水して、沈み始める。あれ、ここまできてこのままでは溺れ死にしちゃうじゃないかと不安に思うと、水中の映像の画面に蛙が横切る。淡水! 意外と水深は浅い。水底を蹴って水面に浮かび上がる。無重力状態に慣れた体にのしかかる重みにあらがって立ち上がる主人公を下から見上げる構図で、主人公が確かな足取りで歩き始めたところで「Gravity」のタイトル。
 そう、オープニングでタイトルが出たときに、あれ!? 「Zero Grabity」は原題ではなく邦題なのだと知って驚いた。確かに邦題が『重力』では内容が想像しにくい。『無重力』となれば宇宙を舞台にしたSFなのだとわかる。
 だが原題は『重力』なのだ。それが無い状態がどれほど人間を不安にさせるか。それを取り戻したときの安堵。見終わって納得感は強い。
 これだけの映画としての完成度を見ればアカデミー賞の監督賞だとか撮影賞だとかいうところはむべなるかな。作品賞だっておかしくはないと思うが、そこを逃す、作品全体としての強さに結局は欠けるところがあったのも確かだ。
 とりわけ乗り切れなかったのは、宇宙空間のスケール感に対して、人間の出来ることはもっと限られてしまうのではないかという疑いをすてきれなかったからだ。あちこちの場面でそんなことは物理的に可能なのか? と疑ってしまった。いくつかのサイトで見ると、こうした描写については、科学的にはありえないというコメントがあるそうで、やっぱりそうか。
 これがあると、先日の『スーパーマン』と同じように、「結局大丈夫なんだろ」と、いわばタカをくくるような気持ちになってしまうのだ。ここがサスペンスを盛り上げ損なっているところ。だからラストの着水にこそドキドキしてしまったりするのだ。ここでは我々の知っている物理感覚でいいんだよな、と思って。

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