2016年8月6日土曜日

『スイミング・プール』 -観客の解釈を誘う謎映画

 ずいぶん上手い映画だと思いつつ、あれこれの謎めいた描写の訳がいつわかるのかと思っていると、最後はむしろ物語全体がなんなんだかわからずに終わって呆気にとられ、もう一度、早送りしいしい見直してしまった。それでもわからない。おかしい。わかるはずなのか?
 で、調べてみるとこの映画、監督が解釈を観る人に委ねるとか言ってるし、観た人もあれこれと解釈するサイトがいくつも見つかるという映画なのだった。そうか、解釈していい前提なのか。「現実」の範囲内で解釈しようとするから無理なのであって、映画の中で起こっていることの中に「虚構」を認めていいタイプの映画なのか。
 そのつもりでもう一回見直さないとならないということになるんだが、まあ、そこまでの気はない。結局、すっきりいくというものでもないそうだし。
 それよりも、隅々まで上手い映画だった。たとえばシャーロット・ランプリングの表情は、一分の隙もなく見事な演技と演出の賜物だと感じた。
 それから、写っているものが明らかに写っているものそのものではないと感じさせる描写があちこちにある。たとえば、二階のベランダから見るプールサイドの人物達がそのままプールサイドを歩いていくと、二階からは木陰に隠れてしまう位置に移動することになるのだが、そのままその樹をしばらく写していると、それは、その木陰で何事かが行われていて、しかもそれに観客の欲望が向かうことを促しているのだと感じられるようになる。
 意図的な暗示であり、これを狙ってやってるのだから上手いものだ。
 もうひとつ。朝になると、プール水面にシートがかけられている。プールサイドで不穏なことが起こったらしいことが暗示され、主人公がおそるおそるシートを巻き取る過程が描かれる。プールの真ん中あたりにシートを下から押し上げる何物かのふくらみが認められ、そこに死体があることを観客に期待(危惧?)さてつつ、シートがそこまでめくられると、下から姿を現すのはビーチマットだ。
 こういうふうに観るものの想像や感情をコントロールする。上手い。

0 件のコメント:

コメントを投稿