2020年9月21日月曜日

『ウインド・リバー』-重量感のある傑作

 ジェレミー・レナーって、何で観た人かと調べてみると『ハート・ロッカー』と『ボーン・レガシー』の主演か。二枚目ではないが、寡黙なタフガイが実に嵌まる。

 「なぜ少女ばかりが殺されるのか」というコピーから連続殺人を扱ったサイコ物なのかと思っていたら、カップルが物語の最初に死ぬだけで、しかも死因は他殺ではない。物語の3年前にもう一人の少女が死んでいるが、そちらの事件の真相は全くわからずじまいだから関係もないかもしれない。まったくミスリーディングなコピーはどうしたわけだ。

 というわけでサイコな連続少女殺人鬼が出てくるわけではまったくないのだが、実にまあ重量感のある傑作だった。

 ネイティブ・アメリカンの居留地「ウインド・リバー」で、他殺ではない殺人事件が起こる。FBIの新米女性捜査官が、ジェレミー・レナー演ずるハンターとともに事件の真相を追う。

 「他殺ではない殺人」というのは何事か。

 死因は零下20度の屋外を走ったために肺が失血した窒息死と検死官は言う。だがレイプされており、裸足で屋外を走るのは逃げているからだろうから、殺人と言っていいはずだ。だが検死官は単なる職業倫理から、死因を「他殺」とすることはできないという。死因が「他殺」でないと、他の捜査員は回されない。新米一人では心許ない。なんとか「他殺」にしてもらえないか。検死官は、間違いなく殺人だが、報告書に嘘は書けないと言う。

 このやりとりにしびれる。設定の微妙さにも、検死官の倫理感にも、捜査官の焦燥にも。

 こういうことがちゃんと描ける脚本も演出も演技も、実に信用がおける。まっとうな映画だ。

 そして基本的には真相に向かって少しずつ迫っていく捜査過程が的確に、緊張感を持って描かれるのが、観ていて心地良い。


 そうしているうちに、トリッキーな映画的描写が不意に使われたりして驚く。部屋の外からノックをしている。画面が切り替わって室内からノックに応じてドアを開けると、外にいるのはさっきのノックの主ではない。別の時間が編集で接続するのだ。

 これを時間ではなく場所でやったのが『羊たちの沈黙』で、最初に観た時は唸ったものだ。

 面白いものを作ろうという意気込みが伝わる。とりあえずこういうふうに驚かされるのも悪くない。


 あるいは銃撃戦の緊迫感も実にうまく描写されている。

 疑心暗鬼から二つの陣営が銃を向け合って一触即発の状態になる。今にも誰かが発砲しそうな緊張感の中、FBIが警察権限を宣言し、自ら銃を収める。

 いったんは収まったものの、その後また結局銃撃戦になってしまうのだが、その絶望的な感じや、にもかかわらずその輪の外にいるハンターが、圧倒的な力で狙撃して相手を倒す爽快感、派手なアクションに度肝を抜かれる感じなど、優れた映画ならではの、観客を揺さぶる力が漲っている。


 さて、世間的な高評価の理由である、ネイティブ・アメリカンの現状を描いた社会的意味についても、もちろん賞賛に値する。

 だがそこにとりわけ価値があるという映画ではない。ドキュメンタリーとしてそうした社会問題を知らされ、考えさせられた、というような映画ではないのだ。何より優れたドラマとして、優れたエンタテインメントとして普遍的な魅力があった。その上で、背景となるアメリカの問題についても知ることができたのはオマケである。貴重なオマケではあるが、決してそのための映画ではない。

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