2020年9月6日日曜日

『ランダム 存在の確率』-実に知的なパズル

  神保哲生さんが奨めているのを聞いていて、レンタル屋で探していたんだが見つからず、アマゾンビデオにはちゃんとあるのだった。


 彗星が接近する中、パーティーに集まった中年男女8名が経験する不思議な夜の出来事を描く。

 劇中では、近年SFあるいは哲学ガジェットとして引っ張りだこの「シュレーディンガーの猫」に言及しているので、ネットでも大抵この言葉で説明されるのだが、それよりはパラレルワールドものだと言う方がてっとりばやい。

 彗星の接近がどう影響しているのかといった科学的な説明はないが、ともかくその夜、パラレルワールドが行き来可能になってしまうというのが基本設定。

 「ランダム」でさえ邦題で、原題は「COHERENCE」という。

 二つの波動が影響を及ぼし合う状態を「互いにコヒーレントな状態」だというのだそうだが、原題の「コヒーレンス」とはパラレルワールドが互いに行き来可能になっている状態を指しているものと思われる。

 この「行き来」というのがどう表現されるかというと、パラレルワールドは、家の近所の、ただ一つ灯りのついた家で、そこに歩いて行ける、というのだった。そこに自分たちと同じ8人がいるのである。

 最初のうちは、そことここの二つかと思っていたパラレルワールドは、実は無数にあるらしいことや、しかも「そことここの行き来」の際に、ランダムに行き先を変えてしまっているらしいことが徐々にわかってくる。世界はそれぞれ確率的に差異を生じていて、そこから邦題がついている。

 

 映画は超低予算だから、ここから舞台を拡げていかない。登場人物もこの8人以外には出てこない(舞台となる家さえ監督の自宅なのだとか)。SF的な説明もこれ以上しない。

 それで、これだけの、奇妙なアイデアだけで物語をどう膨らませるかといえば、もう、こうした状況に陥った人々がどう振る舞うか、ということしかない。

 たとえば状況を把握するために何をするか。原因もわからなければ法則もわからない。危険も予想できない。

 それでも状況がわかるにつれて解けていく謎が設定されていたりもして、伏線の張り方も巧みだ。

 物語は、違う世界の自分を、まったく自己中心的に排除できるかというところに向かっていくのだが、そうするとこれはあの『ザ・ドア 交差する世界』に近い。そう、印象は近い。

 奇妙な設定に投げ込まれた人の思考と決断。

 

 ところで、超低予算で、メジャー映画的な壮麗さや豪華さとはまるで無縁なのだが、人物の演技や編集が驚くほど上手くて、観ているだけで映画鑑賞としての基本的快感がある映画だった。上手いダンスや歌唱はそれだけで心地良いがごとく。

 あまりに上手いのはどうしたわけかと思ったら、後でネットで知ったところによると、俳優達は完全な脚本を与えられず、場面ごとに設定と基本的な目的を知らされるだけで、後は互いの言葉に対応して芝居をしているのだそうだ。

 なるほど。

 それにしても、それなら撮影があんなにうまいのはどうしたわけか。カメラ同士が映らないように、一体何台のカメラで撮影したものをつないでいるんだろう。

 不思議だ。そしてとても感心する。

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