2014年12月8日月曜日

『武士の家計簿』、『劇場版 タイムスクープハンター -安土城 最後の1日-』

 森田芳光の『武士の家計簿』は、久々に観た森田映画だったのだが、『家族ゲーム』の先鋭的な映画作りをするイメージの強いあの森田芳光が、時代劇で、しかもなんとも端整で手堅い演出をするのが意外だった。だがそういえば『家族ゲーム』の、あの有名な食卓シーンだって、リアルさよりも映画的な違和感を強く感じさせるものだったように、『武士の』のあちこちの演出も、やはりリアルさよりも映画的な感触を優先しているのだった。尤も『家族ゲーム』が従来の映画的なるものを否定して、新たな「映画」を作ろうとしていたように見えるのに比べて『武士の』は、むしろお約束の映画的文法を十全に使いこなしているように見える。それだけに驚きもないが、素材の良さで観てしまった。もちろんそれは堺雅人でも仲間由紀恵でもなく、御算用者(会計処理の役人)という素材のことだ。
 だが、見終わって悪くなかったぞと思いつつネットの評判を見るとやはりどの映画もそうであるように毀誉褒貶あって、その「貶」を読むと、そのとおりだよなあと納得させられてしまう。素材の良さは充分に引き出されていたか? そうとは言い難い。良くできたドキュメンタリーであったらもっとずっと面白い「事実」を掬い上げていたはずであり、そうでないとすればあれはやはり「家族映画」として作られていたのだ。そうした視点から評価しようとすると、まるで深みも軽みも渋みもない、どうということもない絵解きに思えてくる。
 ということは、それでも観られたのはやはりあの「端整で手堅い演出」のせいだということか。

 ところで調べてみると森田芳光映画を12本も観ていたことがわかった。そしてそのどれも、手放しで面白かった、好きだと言えるものがないのだった。最も許し難いのは『模倣犯』の首が飛ぶシーンで、最も好意的に覚えているのは『間宮兄弟』かなあ。

 『劇場版 タイムスクープハンター -安土城 最後の1日-』は、テレビドラマの時の疑似ドキュメンタリー風の面白さがなくなって、じゃあ映画的に面白くなったかというとそうでもない、という不満が残った。映像に金がかかっているのも、意外な事件でドキュメンタリー的展開から抜け出した序盤の展開も期待を持たせたのだが。たぶん、短期間で書き下ろす、というようなシチュエーションを想定すれば、あれはよくできた脚本なんだろうと好意的に思う。だが、金のかかった劇場映画と思えば、あんな完成度で撮り始めてしまうのは勿体ないと思う。この物語に、あんな中途半端な銃撃戦なんか要るか?
 ただ、矢が刺さるCGは良くできていて、一瞬、おおっと思わせる。

 手作り風味の日本映画をあえて観たい、という欲求が起こることもあって、どうしてもという期待をしているわけではない邦画も観てしまうが、そうすると反動で、良くできた洋画を見たい欲求が昂じてくる。とうてい日本ではない、この世ですらないような時空が逆に懐かしくなるような。

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