2019年1月12日土曜日

Kはその時、何をしていたか 6 第3の仮説

問①  このエピソードの意味は何か。
問②  Kは何のために「私」に声をかけたのか。


 仮説2では説明できない、四十八章の自殺の発見の場面とこのエピソードのつながりについて考えよう。四十八章でこのエピソードを想起することを読者に要求する漱石の意図について考えるために、まずは次のように問う。

 問   四十八章の場面とこのエピソードの共通点は何か。


 四十八章との関連において最も重要な共通点はKが襖を開けたことである。四十三章のエピソードではKは声をかけて「私」を起こしたり、話しかけたりしている。そのためには襖を開けるのは当然のようにも思われるが、話しかけるだけなら襖を開ける必要はない。実際に三十八章では「私はまだ寝ないのかと襖越しに聞」き、その後で襖越しに「おい」というやりとりが繰り返される。
 また四十八章ではおそらくKは「私」に声をかけてなどいないだろう。したがって「話しかけた」ことよりも重要な点はKが「襖を開けた」ことである。
 このことの意味について考察を進める上で、まず次のようないくつかの記述を生徒に読ませる。

 私は書物を読むのも散歩に出るのも厭だったので、ただ漠然と火鉢の縁に肱を載せてじっと顎を支えたなり考えていました。隣の室にいるKも一向音を立てませんでした。双方ともいるのだかいないのだか分らないくらい静かでした。もっともこういう事は、二人の間柄として別に珍しくも何ともなかったのですから、私は別段それを気にも留めませんでした。/十時頃になって、Kは不意に仕切りの襖を開けて私と顔を見合せました。彼は敷居の上に立ったまま、私に何を考えていると聞きました。(三十五章)


 私はKが再び仕切りの襖を開けて向うから突進してきてくれれば好いと思いました。私にいわせれば、先刻はまるで不意撃に会ったも同じでした。私にはKに応ずる準備も何もなかったのです。私は午前に失ったものを、今度は取り戻そうという下心を持っていました。それで時々眼を上げて、を眺めました。しかしそのはいつまで経っても開きません。そうしてKは永久に静かなのです。 その内私の頭は段々この静かさに掻き乱されるようになって来ました。Kは今襖の向うで何を考えているだろうと思うと、それが気になって堪らないのです。不断もこんな風にお互いが仕切り一枚を間に置いて黙り合っている場合は始終あったのですが、私はKが静かであればあるほど、彼の存在を忘れるのが普通の状態だったのですから、その時の私はよほど調子が狂っていたものと見なければなりません。それでいて私はこっちから進んでを開ける事ができなかったのです。(三十七章)


 私は遅くなるまで暗いなかで考えていました。私は突然Kが今隣りの室で何をしているだろうと思い出しました。私は半ば無意識においと声を掛けました。すると向うでもおいと返事をしました。Kもまだ起きていたのです。私はまだ寝ないのかと襖ごしに聞きました。もう寝るという簡単な挨拶がありました。何をしているのだと私は重ねて問いました。今度はKの答えがありません。(略)私はまた半ば無意識な状態で、おいとKに声を掛けました。Kも以前と同じような調子で、おいと答えました。私は今朝彼から聞いた事について、もっと詳しい話をしたいが、彼の都合はどうだと、とうとうこっちから切り出しました。私は無論襖ごしにそんな談話を交換する気はなかったのですが、Kの返答だけは即坐に得られる事と考えたのです。ところがKは先刻から二度おいと呼ばれて、二度おいと答えたような素直な調子で、今度は応じません。(三十八章)

 これらの章が教科書に収録されていれば好都合だが、なければプリントして配るか、授業者が朗読してもいい。
 三十五章はKがお嬢さんへの恋心を告白する場面であり、その後は言うまでもなく「私」は疑心暗鬼の中でKの心を推し量ることに汲々とする。

 問   右の記述から、「襖」について何が考えられるか。


 甚だ曖昧な問いだが、このような問い方でも、話し合わせれば生徒の中では「襖」が「二人の心の壁(距離・隔たり…)」を表している、といった意見がたちまち共有される。さらに、こういうの何て言うの? とでも聞けば、「象徴」とつぶやく声が聞こえる(これはそこまでの授業のどこかで「象徴」について学習していれば、である。一年次の「羅生門」における下人の頬の「にきび」や「山月記」における「虎」「月」、あるいは言語論などの評論文において「象徴」という概念について考察したことがあれば、この「襖」がそのようなものであることに生徒は思い至る)。

 問   「象徴」とは何か。


 筆者の授業では、これは復習、確認である。象徴とは、ある具体物がある抽象概念を表していることである。この場合は「襖(具体物)」が「心の距離(抽象概念)」を表している「象徴」だと確認する。

 問   ここからこの場面についてどのように考えられるか。


 襖を象徴として見ると、襖を開けるという行為はすなわち、Kがこのとき「私」に心のつながりを求めていたことを示すということになる。つまり、この深夜の訪問はKから「私」への不器用なアプローチだということになる。
 この場合、②についてはcの「話をしたかった」が近いか。そうなると先の、何を話したかったのか、またなぜ話すのをやめたのか、という疑問が浮上してくる。だがそれも、いわばcとdの両方ででもあるように、明確に何かを話したかったわけではなく、ただ話しかけたかっただけなのだと考えてもいい。「覚悟」という言葉を口にして、昼間の逡巡に一定のけりをつけたKが、すぐその夜に再開したい話などあるのだろうか。むしろ明確な用件などなく、それが「私」の目からはKの行動が不気味なものとして映る意思疎通の齟齬が、基本的な「こころ」のテーマを語っている、と考えればいいのではないか。つまりKの「意図」などというものは、このエピソード自体が「意味」ありげであることから要請される、いわば「幻」なのではないか。
 そしてこのように考えることは四十八章でKが自殺する前になぜ襖を開けたままにしたのかを考える参考になる。

 ①の仮説3 「襖」という共通性から、自殺する際に襖を開けたKの心理を推測させる手掛かりを与える。
 ②の仮説3 「私」に対して心のつながりを求めている(cd)。


 これでこの問題に結論が出たことになるだろうか。問いかけてから一呼吸置いてまたしても、ならない、と宣言する。

 問   右の結論では充分でないと考えられる点はどこか。


 二点挙げる。
 「上野から帰った晩」に「私」は「Kが室へ引き上げたあとを追いかけて、彼の机の傍に座り込み」「取り留めもない世間話をわざと彼に仕向け」る。するとKは「迷惑そう」にしている。宵の口には「私」を疎んずるKが、なぜ夜中には「私」に話しかけたくなったのか。またなぜそのときの声は落ち着いていたのか。この変化はなぜ生じたのか。
 また、翌朝登校途上で「私」がKに対して、「何か話すつもりではなかったのかと念を押してみ」ると、Kは「そうではないと強い調子で言い切」る。話がしたかった(c)とすると、この否定は何か。あるいは特に話題が想定されていたわけではない(cd)とすれば「そうではない」と否定することに矛盾はないが、それにしても「強い調子で」という形容をする理由はやはり説明がつかない。

 この、後者の疑問点については次のように考えることができる。
 前日に上野公園でKが口にした「覚悟」という言葉は、「私」にとっては「お嬢さんを諦める覚悟」のことである。そうKに言わしめた「私」は「勝利」「得意」を感じている。だが一方でそこに「彼の調子は独言のようでした。また夢の中の言葉のようでした。」という違和感も感じている。「私」が「Kが室へ引き上げたあとを追い懸けて、彼の机の傍に坐り込み」「取り留めもない世間話をわざと彼に仕向け」るのは、勝利を確信した優越感を味わいたいというだけではなく、そこにまじる微かな違和感から、なおもKの意志を確かめずにはいられない不安が無意識に影を落としているからだと考えられる。そこにKの不可解な行動があるのだから、まだ「何か話すつもりではなかったのか」と疑うのはもっともなことである。「私」は不安にかられ、これが「覚悟」の意味について考え直すよう「私」に促す。
 だがKにとって、昼間口にした「覚悟」は「薄志弱行で到底行く先の望みはない」自分への決着のつけ方としての自己処決の「覚悟」である。Kにとって「覚悟」とは、その言葉にふさわしい重みをもっているのである。この言葉の重みが「私」の疑いに対するKの否定の強さに表れているのではないか。
 これを作者の視点から言えば、否定の強さによって、追い詰められたKの心理と、この言葉の重みがわかっていない「私」のすれ違いを読者に伝えようとしているということになる。
 また、次のように考えることもできる。
 「そうではない」は「私」の「あの事件について何か話すつもりではなかったのか」という問いかけに対する返答である。「私」はこの問いかけを具体的にどのような表現でKに投げかけたのだろうか。もしもそれが「お前は昨夜、まだお嬢さんのことを話すつもりだったんじゃないのか」というように問われたとすれば、Kは明確に「そうではない」と言うはずである。確かにKが前日に話したかったのは「そう(お嬢さんのこと)ではない」。「あの事件」とは「私」にとってはお嬢さんの話なのだと認識されている。だがKが話したかったのは自らの信仰上の迷い、己の弱さのことだ。この違いは生徒にはわかりにくいだろうが、明確に区別されるものであることを確認する必要がある。そしてこの食い違いがKの強い否定となって表れているのである。
 前者の疑問「Kの声の落ち着き」については第四の仮説とともに論ずる。

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