2019年1月24日木曜日

Kはその時、何をしていたか 11 授業案を伝える難しさ

 さて、四十三章の夜のエピソードの授業案は、前回までで終了である。だが、授業を終了しての所感を付け加えておく。
 今回の連載の初回に書いたとおり、この授業のために、同学年を担当している若い先生方と打ち合わせをした。ここまでの授業過程が比較的計画的なのはそのためだ(むしろあざといくらいに意図的に仕組んでいる)。筆者がひとりでやるならば、解釈の見当がついた後はもっと行き当たりばったりでもいい。
 だがこうして段階的に仮説を提示していくなどという計画的な授業を行った結果、以上の授業には結果的に3時限をかけることになった。以前の授業では2時限の見当だったから、1.5倍に増量してしてしまったのだが、途中の密度が薄くなったような印象もなく、手応えはたっぷり、といった感じだ。
 筆者の授業では半分以上が生徒の話し合いに時間がとられているのだが、そこを調整することももちろんできる。だが、目的は結論ではなく生徒の思考と検討のための討議そのものなのだから、それが充実している限りは時間をとることも有意義である。
 段階的な仮説の提示は言わばミスリードなのだが、仮説を提示しては「これでいいと思う?」というやりとりに、気心の知れた生徒たちが「またかぁ!」などと言って盛り上がるのは楽しくもあるのだった。

 さて、こうして授業実践の記録を残すことには何の意味があるか。
 最初にも書いたが、授業を構成する授業者も生徒もそれぞれの現場で、その現場に合った授業を作るしかない。だからこうした、誰かの授業の参考に供するようにと残す教材論は、教材の解釈だけを示せばいいのではないか、という考え方もあろう。
 だが、今回の推敲はもともと、教材解釈を述べた「授業実践」が実用的ではなかったことに動機づけられている。
 授業を構想する時は、ある認識を生徒に伝えることを目論んだとしても、そのままそれを説明するのではなく、その認識がどこからもたらされたものか、まず問題意識に遡るところから考え、それを「問い」として生徒に提示する。まず生徒の方が考えていないと、その認識の意味も面白さも充分には受け取れないことが多いのだ。
 だから重要なのは、生徒に考えさせるための誘導であり、「問い」である。
 それにそもそもがその「認識」を生徒に伝えること自身が授業の目的ではない。上記の通り、四十三章のエピソードの意味などを、生徒に理解させることを目的として授業をしているのではなく、テキストの読解や討議そのものが授業の目的なのだ。
 だからこそそれをどう仕掛けるかは、授業実践にとって教材の解釈よりも重要ですらある。

 さて、こうして構想された授業案をもって臨んだ本実践において、授業を実施すること、あるいは授業案を伝えることの難しさを痛感した出来事があった。それは一緒に授業案を検討した若い教員の授業を参観したときのことである。彼らの授業では、四十三章の夜にKが遺書を書いていたのだという「解釈」が、まるで当然のように語られていたのだ。それが最終的な結論ででもあるかのように。
 彼らとは事前の授業計画の中で、どうやって生徒の思考を誘導したらいいか、という展開予定として「私に声をかけるまでKは何をしていたか?」という問いを投げるという打ち合わせをしていた。こう問われれば「遺書を書いていた」というアイデアは発想される。だが問うて生徒がそう答えたからといって、答えた本人だってそのアイデアを本気で信じているわけではなかろう。まずはそのトンデモアイデアを、みんなで半信半疑で検討するところから始めて、検討するうちにホントかもしれないと思えてくる驚きを味わうべきところなのだ。
 だが「遺書を書いてた」と誰かが言ったら、もうそれが既定路線として扱われてしまう。そんな突飛な話はにわかには信じがたい、という素朴な読者の感じ方が無いものとして扱われてしまう。というか、本気で生徒が考えていない時には「信じがたい」という思いすら抱かず、生徒は受け入れてしまうのだ。
 というか、それはつまり本気で受け容れてさえいないということだ。読みが血肉化していないのだ。
 そもそもこの仮説4の解釈は、彼ら授業者が自ら思いついたわけでもない。筆者ですらない。こんなことに普通の読者が気づくはずないということをなぜ忘れてしまうのか。
 似たような驚きは、四十章から始まる上野公園の散歩のエピソードを扱う授業を参観した機会にも経験した。しかもここ3年連続で、3人、それぞれ別の授業者の授業でだ。
 ここでの「私」とKの会話が、実は全くお互いの言っていることを誤解したまま、まるですれ違ったまま交わされているという解釈(別稿参照)を筆者から聞いた3人の若い教員は、3人ともその解釈をそのまま生徒に教えていたのだった。
 最初の年にそうした授業を見て心底驚いたのだが、次の年もその次の年も、それぞれ別の教員が同じ事をするのを見て、それぞれに驚きつつ、問題の根深さをも思い知らされたのだった。
 ここには「ある認識を生徒に理解させることが授業の目的である」という授業イメージが国語科、特に現代文にも適用されてしまうという病弊が存在している。授業を評価する言葉として「わかりやすい授業」などという言い方があたりまえのように通用してしまう。そもそも「わかる」ことが目的ではないという前提は共有されていない。一方で「アクティブラーニング」の大合唱だというのに。
 ここは、テキストから細かい情報を拾い集めてそれを疑問として提示し、その解決策としての「二人の科白はどれも二つの意味で解釈可能であり、それぞれが一方の解釈で会話をしている」というアイデアは、何としてでも生徒に発想させねばならない。しかも問題は、そのアイデアの妥当性について検討することこそ授業の本義だということだ。それは前提でも結論でもなく、俎上に乗せられた仮説である。
 問題は、「何を教えるか」でも「どう教えるか」でもなく、「何をやるか」だ。今回の四十三章の夜のエピソードをめぐる考察も、目指していたのはそれである。
 だが授業実践の記録と称されるものが、教材の解釈を語って終わってしまっていては、結局それが「何を教えるか」なのだと受け取られてしまいかねない。今回の推敲は、だから「どう教えるか」について論じたわけですらない。
 「何をしたか」の記録なのである。

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