2019年1月6日日曜日

Kはその時、何をしていたか 1 執筆の経緯 

 ちょうど4年前に、その年の授業における驚くべき新発見として「遺書を書いたのはいつか」という文章をブログに書いた。そこでは、Kの自己処決の際に「私」が読むことになる「私」宛ての「手紙」は、それより12日前の晩に既に書かれていたものだ、という解釈を提示した。
 とはいっても、「発見」したのは筆者ではなく、その年に授業を受け持った二人の生徒である。彼らの解釈は最初、突飛で考え過ぎな「トンデモ」解釈に思えて、筆者には受け容れ難かった。
 ところが考え直しているうちに、否定するための反論として当初筆者が挙げた根拠が無効であることに気づいた。その後はむしろ考えるほどにそうした解釈の妥当性が納得されてきた。
 それでも4年前には、面白いがまだ確信するには至らず「保留」というところに留まっていた。
 その後このアイデアは、公にして他人の批正を求める価値があると思えるほどに確信を強めていった。そしてさらに授業においては、こうした解釈をただ紹介するだけではなく、上野公園の散歩の夜のエピソードを授業でどう扱うかという授業展開の中にこの解釈を位置づけて、もう一度まとめ直そうと思い立った。それで今年、このブログよりは人目に触れるであろう、教員を対象とするある機関誌でそれを「実践報告」として発表することにした。
 ところが、その機関誌の発刊と同時期にちょうど今年度担当の授業がそのあたりにさしかかっていて、同じ学年の授業を受け持っている若い先生方と授業計画を立てていたら、その文章を読んだその先生が「で、授業ではどうしたらいいんですか?」と言うので驚いた。自分ではすっかり実用的な授業案を書いたつもりでいたからだ。だが原稿提出以来しばらくぶりに読み返してみると、なるほどこれでは駄目だ。その文章を読んで教材の解釈はわかるとしても、若い先生方が授業をどう展開していいかがわかるようには書かれていないのだ。
 筆者自身が授業をするなら、基本的な解釈の方向性が見えていれば、自分が考える過程がそのまま授業展開になる。だから文章を書いている最中は、つい教材の解釈に筆が走ったことに無自覚だった。
 むろん、授業でどう展開するかは、各現場で考えるべきだとも言える。生徒も授業者もさまざまだ。それぞれの現場に合わせて適切な問の形もそこに割く時間もさまざまであるはずだ。他人の実践報告がそのまま実行できるわけではない。
 だから他人の参考に供するには教材解釈を提示するだけでいいのだ、という考え方もある。
 だが、どのような問いをどのような順序で発していくかというアイデア自体は、やはり若い先生方には提示する価値があるはずだし、生徒が実際にどのように反応するか、という例を示すことも参考に供するはずである。
 また、授業計画を他人と練る上で、自分なら行き当たりばったりでやるところも、見通しを持った展開として構成し直した。そして、そうした工夫をこらした授業はそれなりにやはり面白いのである。もちろん別な構成でも別な面白さはあったのだろう。行き当たりばったりでも、面白くはなる。授業は生き物だ。
 それでも、練り上げた計画的な展開と、その実際を記録したくなった。そこで、一連の授業の後で、一度発表した文章を、今度こそ「実践報告」の形で書き直した。授業の流れに沿って具体的な問いの形を示し、そこでの生徒の反応についてもなるべく具体的に記す。
 本当はこれを、若い先生方が読むかもしれぬその機関誌に載せたかったと思うが、まあ仕方ない。ここに載せて、また再利用の機会を待つ。

0 件のコメント:

コメントを投稿