私はほどなく穏やかな眠りに落ちました。しかし突然私の名を呼ぶ声で眼を覚ましました。見ると、間の襖が二尺ばかり開いて、そこにKの黒い影が立っています。
「こころ」第三部「下」の四十三章の深夜のエピソードにおけるKの行動を「自殺の準備として隣室の友人の眠りの深さを確かめようとしたもの」だとする解釈は、多くの論者に支持されていると言っていいと思う。生徒に考えさせると、やはり同様に考える者は多い。だが筆者はこの解釈に首肯しない。
本稿はこのエピソードを扱う具体的な授業の展開についての案を示し、その中でこのエピソードの「意味」を論ずる。
このエピソードは「こころ」を授業で扱う上で避けて通れない。このエピソードはどうみても「意味」ありげであり、それは何かしら、「こころ」という小説を読む上で看過することのできない重要な「意味」であるように感ずる。このKの謎めいた行動について、読者はある種の納得を必要とする。このエピソードは何のために挿入されているか。そこでまずストレートにこう問うてみる。
問① このエピソードの意味は何か。
「エピソードの意味」という問いの趣旨は、それだけではむろん生徒には伝わらない。考えたいのは、この謎めいたエピソードをどう読み解いたらいいのか、である。そこでなぜこのエピソードが語られる必要があるのか、読者はこのエピソードからどんな情報を読み取るべきなのか、など、必要な言い換えをして問いの趣旨を理解させる。
作品の解釈は原則的に、作品内のテキストのすべての情報に基づいて成立する。「完全な」解釈にとって、そこに整合的に組み込めない情報は存在しない。だから原理的にはすべての記述、表現、展開が腑に落ちるものでなければならない。「特別な意味がない」という「意味」ですら、とにかく確定されなければならない。それなのにこのエピソードは何のために挿入されているかがにわかにはわからない。だから読者はこのエピソードの「意味」について考察すべきだと感じる。
だがこういう時往々にして授業者はKの「心理」を問うてしまいがちである。「この時のKの気持ちを考えてみよう」である。そこまで情緒的に流れないとしても、Kが何のために「私」に声をかけたのか、という「意図・思考」を問うことには充分な必然性があるように感じられる。このエピソードが「意味」ありげに感じられるのも、何よりもまずKの感情や思考、つまり「心理」がわからない、と感じるからである。
ここでのKの心理はむろん「わかる」べきである。同時にそれは「このエピソードの意味は?」という問いのうちにおいて考えなければならない。これら二つの問いの層/相の違いを自覚したうえで、それらを関係づける必要がある。
だからまずこれからの考察の目標が問①にあることを明示し、その趣旨を理解させた上で、それと整合的であるように以下の問について考えていく。
問② Kは何のために「私」に声をかけたのか。
授業者がこのように問うことに、生徒も授業者自身もなんら不審を抱かない。このくだりを一読した読者には、Kの意図が「わかる」とは思えていないからだ。だからそれは何らかの解釈を要求する、考察に値する問題であると感じられる。生徒に話し合わせ、そこで出された意見について発表させる。その検討がこの後の主たる授業展開である。だがその前に確認しておきたいことがある。
問 K自身は何と説明しているか。
K自身は「ただもう寝たか、まだ起きているかと思って、便所へ行ったついでに聞いてみただけだ」と語っている。だが読者はその言葉を額面通りに受け取らずに、そこに何かしら隠された真情があるはずだと深読みしてしまう。「私」も同様にKの言葉を素直に受け取らないから、翌朝わざわざ「なぜそんなことをしたのかと尋ねる」。そうした「私」の疑問を、読者は不審に思わない。読者もまた語り手である「私」の認識に誘導されて、Kの言葉を真に受けないことが当然であるように感じてしまうからである。これはなぜか。
問 Kの言葉をなぜ信じられないか。
夜中に、眠っている隣室の友人をわざわざ起こして「何でもない」ことはなかろう、というのが素朴な感覚ではある。生徒はとりあえずそう答える。だが、これがKの言葉を疑う決定的な根拠ではない。これでは「そういうことがありえないとは言えない」という反論に答えることはできない。なのに「何でもない」とは思えないのは、「ただ~だけ」と限定される理由が十分な意味づけの重みを持っているとは感じられないからである。「十分な意味づけ」とは、夜中に隣室の者をわざわざ起こすという特別な行動についての特別な理由、という「意味」でもあるが、それよりもやはりこの行動を含むシークエンスがわざわざ語られる小説としての必要性という意味での「意味」である。つまり、Kの心理・意図はこのエピソードの「意味」という文脈の中で理解する必要があり、「聞いてみただけ」ではその「意味」を支えきれないと感じるのである。
また、小説読解の作法といった観点から分析をするならば、このKの言葉が正直な説明であると読者が信じられない理由の一つは、「黒い影」「黒い影法師」という印象的な表現が、Kの心情が基本的に「わからない」ものであることを象徴していると解釈できるからである。「彼の顔色や眼つきは、全く私にはわかりませんでした。」とあるように、読者とともに「私」にとってもKの心は「わからない」。この「わからない」が、Kの言葉を額面通りに受け取ることを留保させる。これもまた「こころ」のテーマである意思疎通の断絶を象徴的に示した映像である。
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