2014年10月12日日曜日

別役実、佐原の大祭

 今日は「随筆」ではなく「日録」
 三連休。まず午前中から出かける。英語スピーチコンテストだという娘2を心の中で応援しつつ、娘1の関わる公演を観に東京まで。劇研10月公演。もう4回目の観劇だが、娘は今回も演出も出演もせずに照明オペレーター。
 ここまでも、文句なしと言い切れる公演はなかったが、今回も満足のいく舞台にはならなかった。別役実ってのは期待したいような不安なような、と思っていたが、結局なんだかなあ、という感想に終わった。もちろん(というしかないような)、わけのわからんお話だが、まあそれはすっきりとわかるような話を期待しているわけではない。それでも、辻褄がわからないまでも伝わるべき感情や不条理感がちゃんと伝わればいいんだが、それよりも必然のわからない激情が全面に出て、それで観客を徒に脅しているような絶叫系の演技に出演者が中毒(「依存症」という意味で)しているんじゃないかという疑いを消せなかった。30年くらい前の脚本だそうだが、どうしてまたこれを選んだのやら。次回に期待。
 一旦水道橋まで戻って会議だが、時間が早すぎるから新宿で時間をつぶそうとしてしばらくウロウロしたが、結局どこに居場所を見つけられるでもなく、とりあえず向こうに行ってからドトールででも時間を潰そうと電車に乗ったドアの正面に会議の出席者が座っていてびっくり。新宿駅でこんな偶然ってある?
 夜の会議と飲み会の後でもう一度、娘のアパートまで行って泊めてもらう。舞台の感想やらその他もろもろをお喋りしているうち深夜が更ける。

 朝は、公演最終日に出かける娘に邪魔にならないくらいに先んじて出て帰る。が、約束があったのでそのまま佐原まで。佐原の秋の大祭の三日目、最終日。
 東大の大学院に在籍中の前任校の卒業生、卓が、佐原高の生徒との合同プロジェクト「さわら まちづくりプロジェクト(SMP)」の活動拠点である「さわらぼ(さわら&ラボラトリ)」を見に来いと言うので、一度は佐原高の文化祭の時に行きそびれたが、今度こそは実行。
 東大のサイト
 佐原高のサイト
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 評価は保留。感想も微妙。私などがちょっと見てどう思おうがどう言おうが、これから現実に起こる事だけがその成果なのだから、今の段階で門外漢が期待も失望の予感も語るまい。ただ、人の繋がりができていく不思議さに感じ入るところはあった。たとえば私がこの先この活動にどんなふうに関わらないとも限らない。それを拒否するものでもないし。そうなったときにまた、いくらか感じたことがあればあらためてそれを言おう。
 偶然居合わせた私に長いことつきあって、祭やら佐原の歴史やらについていろいろと興味深いお話をして下さった、ほぼ私の父親世代の小高さんに感謝。卓が相変わらず飄々としながらもエネルギッシュで凄いなあと感嘆させられたのも嬉しかったし、もっとじっくりと研究のことなど話したかったが、それはまた後日。
 「さわらぼ」にいるあいだに、前任校の卒業生が通りがかって、気付いてくれた向こうが話しかけてくれた偶然にも(学校と佐原の距離はそうとうなもんだから)驚くとともに嬉しかった。
 大祭の盛り上がりは外部の者には近寄りがたいものがあって、以前は当事者たちの「ヤンキー」っぽさに眉をひそめたくなってしまったものだが、やはりこんなふうに外部から安易な感想を言うのは無責任というものだと思う。それより今日は、こんなふうに子供たち、少年、青年、壮年、老年と各世代が一緒に大掛かりなイベントに関わるなかで、それぞれに上の世代の振る舞いから「世間」とか「社会」とかいったものへの参加の仕方を学んでいく共同体のありようが、そういう関係性を持たない新興住宅地でしか暮らしたことのない私などにはとても貴重でうらやむべきものに感じられたのだった。


 

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