2014年10月27日月曜日

「Japanデビュー アジアの”一等国”」他2題

 明日、1時限で見せるためにNHKスペシャルの「Japanデビュー アジアの”一等国”」を40分程度に編集するのに、一日がかり。戦前の台湾統治の歴史を辿ったドキュメンタリーだが、番組の方向は確かにネトウヨの餌食になることを避けられない、今や懐かしいにおいすらする左翼的なバイアスがかかっている。一面的に日本統治の負の面が描かれる。それでもこうした歴史を口頭で語ってもとうてい浸透していくとは思えないので、せめて映像とともに生徒に提示したい。視聴記録プリントまで作って、1時限のために一体、何時間費やす?

 月曜日に学校の図書室で、開架に並んでいた窪島誠一郎の「絵をみるヒントを」ぱらぱらとめくり、面白そうではないと思ってやめた、この本の後書きに水上勉の息子である由が書かれていた。
 今日、随分前から断続的に読み進めていた「生きるかなしみ」(山田太一:編)の末尾に収録されている水上勉の文章を読んだら、この窪島誠一郎のことが「生き別れになっていた息子」として登場していて、窪島誠一郎も水上勉を全く縁のない読書生活の中でこんな偶然の符合が起こったのを不思議に思った。

 録画した「東京JAZZ」のアーマッド・ジャマルのカルテットの演奏を、今日で3回目に(最初に一人で、次に娘と、今日は息子と)聴いていたら、突然腑に落ちる感覚がおとずれた。最初の時は曲の構成がわからないので、インプロビゼーションがどんどん逸脱していくと、もう何が何だかわからなくなっていた。2回目の時に、これは13分もの演奏の間、ただ4小節のテーマがひたすら繰り返されているだけなのだと気付いた。
 そして3回目の今日は、インプロビゼーションで演奏がどれほど逸脱しようとも、背後でその4小節が流れつづけているのだと思いながら聴いてみた。すると、最初の時にはわけがわからない(コード感も調性感も小節の区切りの位置も、すぐについていけなくなる)と思っていた演奏が、俄かに「わかる」ように感じられた。テーマのメロディーやコード進行をスキーマとして、逸脱していく音の距離感がつかめるようになったのだった。
 情報を枠組みに捉えることこそ「理解」という現象なのだ、という話。

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