2014年10月23日木曜日

「こころ」5 ~テーマと「自殺の動機」

 まずは通読、曜日の確定と、全体を把握するところから入っていった。それが終わって、さて冒頭から順に精読…などという展開にはならない。さらに続く展開も「全体の把握」である。生徒に指示するのは、「テーマ」と「Kの自殺の動機」を考えよ、である。通常、最後の考察に当てるべき課題だが、ここは通読後、精読前にやっておくことに意味がある。現状の読みを確認させたいからだ。そして、精読前だからこそ、こちらの誘導に因らない、生徒の生の読みが露呈するところが、授業として面白くなる要因となる。
 さて「テーマ」などというと構えてしまうに違いない生徒たちに言って聞かせるのは、例によって私の「テーマ」観だ。以前書いた文章を引用する。
 小説の主題を考えるという行為は、そのテキストをどんな枠組で捉えるかを自覚するということだ。生徒に主題を考察させるときには、たとえば「どんな話か」を他人に語るうえで、粗筋よりも、もう少し抽象的な言い回しをしてみよう、それが「主題」だ、と解説してもいい。長々と粗筋を語るより、端的に、つまり作者は何が言いたいかというと…と語ってみる。それがその小説の主題である。
 さて、では「こころ」はどんな小説か。
たとえば、次のような「テーマ」案が提出される(あるクラスで発表された「テーマ」をおおよそ再現してみる)。

  • 三角関係
  • 人間の心の闇
  • 恋か友情か
  • 友人を死に追いやった罪悪感

 実はこれらは最初に観た「Rの法則」の解説に影響を受けている。たぶん上記のようなフレーズが番組中に飛び交っていた。だがむろんそれらは一般的な「こころ」理解のありようを反映しているともいえる。それらを適切に提出できた生徒たちを誉めるべきだろう。
 ここで、しばしば使う手なのだが、文庫本を数社、数種類並べてその裏表紙の惹句を読み上げる。また「国語便覧」の「こころ」の紹介を読み上げる。さて、これらに共通して使われている言葉は? と聞く。「エゴイズム」である。一応これが「利己心」とか「自己中心的」などという意味で理解されていることを確認し、上記の「テーマ」と並べる。
 一方、「Kの自殺の動機」である。これも以前書いたものを引用する。
  まずは一読した限りで、「K」はなぜ自殺したのだと思うか、と単純に聞いてみる。次々と指名しながら生徒の発言を場に提出させて、それを整理していく。つまり類似したものは一緒の項目でいいのか、別の要素を含んでいるのかを問い直すなど、細かいやりとりを通して生徒の考えていることを明らかにさせながら、いくつかの「死因」をパターン化して板書する。例えば次のような「死因」が生徒から提出される。
①お嬢さんを失ったから
②友人に裏切られたから
③自分が道に反したから
④「私」に対する復讐
⑤「私」に対する気遣い
  生徒から出尽くすところまでこうした項目を列挙して、次の問いは、こうした項目のうち、どれがどのくらいの割合で「K」を死に追いやったと考えるのか、である。つまり、例えば①と②と④が、2対5対3くらいの割合だ、などと「K」の「死因」としての重みを量らせるのである。これは問題をいたずらに矮小化しているように見えるかもしれないが、生徒自身がまだ「K」の抱える問題を「真面目」に考えてはいない段階での、自身の捉え方を自覚させることが目的である。
さて、やっぱり実際に授業をしてみるとこういう想定通りにはいかない。①から⑤まで、クラスによるとはいえ、出てくる。だが例えば「自分への罰」という「動機」が提出される。何についての罰? と訊くと、「精進の道を逸れたこと」という。それならば③と同じだ。だが、同じ「罰」という言い方で「友人やお嬢さんの気持ちに気付かなかったことに対する自己処罰」というような意見が出るのである。両者はどう違うか? 「道を逸れたこと」なら恋を自覚してからだが、「気持ちに気付かなかった」なら自殺の直前、二日以内のことなのである。なるほど。面白い見解だ。そして大いに鋭い。
 次に「テーマ」と「動機」を見比べさせる。黒板を左右に分割してそれぞれ生徒から出た意見を列挙しておくのである。馴染みの良いものと悪いものがある、それはどの組み合わせか? と問う。質問の意図しているところのわかりにくい問いだ。何とか発言する生徒の見解を誘導して形にする。
 実はさっきの「テーマ」はひと続きにまとまられるだろ、と指摘しておく。「三角関係」における「恋か友情か」という迷いの中で友人を裏切った「人間の心の闇」にひそむ「エゴイズム」と、その結果として「友人を死に追いやった罪悪感」によって絶望する「私」の「こころ」を描いた小説、とか。
 こうした把握は①や②とは馴染みが良い。というよりむしろKの自殺の動機を①や②と捉えたところから把握された「物語」なのである。実際にうちの生徒には①②を動機と考える生徒の割合が高かったのだが、③を考えている生徒も少なくはない。だがそうした「動機」の把握は上記のような「テーマ」把握とは馴染まないことを指摘しておく。「動機」が③ならば、「友人を死に追いやった」などという事実は存在しないからだ。「友人を死に追いやった」と「私」が思い込んでいるのは、Kの自殺の「動機」を①②だと思っているからだ。
 今回の新説「友人やお嬢さんの気持ちに気付かなかったことに対する自己処罰」ならば、ある意味で「私」がKを「死に追いやった」と言えないこともない。さて、これは後日検討。

 ここまで1時限ちょっと。さて次からいよいよ精読である。だが冒頭からではない。「覚悟」という言葉の検討からである。

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