2014年10月13日月曜日

「こころ」2 ~曜日を推定する①

 前回「要約しながら通読する」という展開について書いたのは、それが「初めての試み」であるような授業展開だったからだが、今回の「こころ」の授業では、そもそも導入の第1回も今回が「初めての試み」だった。一昨年放送されたNHK教育の「Rの法則」で「こころ」が採り上げられた回を編集したビデオを試聴したのだった。雛壇に高校生が並ぶ番組の取っつきやすさと、紙芝居仕立てでざっくりと紹介される内容紹介で「こころ」の粗筋をたどれる簡便さに加え、番組冒頭から早速「友人と同じ人を好きになったらどうする?」と、高校生の関心にコミットしながらも、人口に膾炙した例の方向に「こころ」理解をミスリードしかねない番組作りが、今後の授業展開の方向と対比させやすい、といったいくつかの利点があったのだ。今後読む「こころ」という小説に対する期待感を盛り上げるという意味での感触は上々だったようだ。ビデオをみたこちらのクラスの生徒から他のクラスにも情報が流れたそうで、別のクラスの担当者から「生徒に『例のビデオは見ないのか』と訊かれた」という話を聞いた。そちらのクラスでもその後、見せたそうである。

 そしてそれに続く2回目以降の授業が前回書いた「要約しながら通読する」という展開である。
 さて、今回は通読が終わった後の最初の展開について辿る。

 以前は最初の1時限で通読した後は、2時限目は「テーマ」と「Kの自殺の動機」を考えさせる、という展開だった。一読した直後の捉え方を自覚させるためである。
 だが今回はさらに全体像を捉えさせるために以下の展開をはさむ。これもまた今回が初めての実践である。

 48章で「K」が自殺したのは「土曜の晩」である。では、教科書所収の冒頭40章の「ある日」は何曜日か? これを推定しようというのがこれから展開する考察である。
 まず40章の「ある日」と48章の「Kの自殺」を、間隔を空けて(なおかつ後述する内容を書くための余白を左右のどちらかにとり)黒板の左右に書く。「ある日」とは「図書館」で調べ物をしていたら「K」が訪れて、その後上野公園を散歩することになる日のことだ、と確認しておく。この始点と終点の間にあった出来事がそれぞれ何曜日のことか、可能な限り精確に推定せよ、と指示する。同時に3人前後のグループを作って話し合いながら進めるように指示する。
 これだけで生徒の話し合いはすぐに盛り上がる。せっせとページをめくりながら、これがいつのことで、そこまでにどれだけ間が空いてるはずだから…、と互いに気がついたことを出し合う。
 しばらく自由に話し合わせておいてもいいのだが、時間を短縮する必要があれば、もしくは話し合いに集中していないグループが出てくるようなら、一旦話し合いを中断し全体を集中させて、「ある日」と「Kの自殺」の間に、本文にあった出来事を挙げさせて書き出していく。生徒が挙げる度に、そこまで挙がった出来事のどこの間に書くべきかを確認して、黒板に書き出していく。

  • 40章  ① ある日~図書館
  • 40~42章 上野公園の散歩
  • 42章    黙りがちな夕飯
  • 43章  ② 真夜中のKの訪問「もう寝たのか」
  • 43章  ③ 「その日」~登校途中、Kを追及するが明確な答を得ない。
  • 44章    「覚悟」について考え直す。
  • 44章    仮病を使って学校を休む。
  • 45章  ④ A 奥さんとの談判「お嬢さんを下さい」
  • 45~46章 長い散歩
  • 46章    夕飯の席で奥さんの態度にひやひやする。
  • 47章  ⑤ B 奥さんがKにAの件を話す。
  • 47章  ⑥ C 奥さんからBの件を聞く。
  • 48章  ⑦ Kの自殺

 実際には章番号ではなく、教科書のページや行を付して書き出していく。
 また、実際には全てのクラスで上記が網羅されるわけではないし、上記の出来事の一部を重ねて挙げてしまう生徒もいる。あるいは「出来事」として特定できない記述を挙げる生徒もいる(「胸を重くしていた」とか)。とりあえず上記の①~⑦は少なくとも挙げさせて、書き出しておきたい。
 話し合いがある程度進んでいれば考察の成果を聞いてもいいが、これも短縮と展開の整理のために、こちらで進行して、次の事項を順次確認して、右の板書の左右の余白に書き出してもいい。

  • 44章 二日経っても三日経っても
  • 44章 一週間の後
  • 47章 二三日の間
  • 47章 五六日経った後
  • 48章 二日余り

⑦「Kの自殺」が「土曜日の晩」であったという記述と、上の手がかりから、遡りながら曜日を確定していくように指示する(実際には最初のクラスだけ様子を見るためにフリーの話し合いの時間を設けたが、後のクラスでは上記のような展開で進行を揃えた)。

 さて、最初に確定できるのは⑤が木曜日だということだ。⑤と⑥が「二日余り」と「勘定」されているからである。だがそもそも、ここにつまずく生徒もいる。不審に思って聞いてみると、⑥が⑦と同じ土曜日だと考えていないようである。つまり、奥さんから⑤の件を聞かされた⑥の出来事と、「二日余り」と「勘定」したのが同じ日だと考えていないか、もしくは「勘定」してから「私が進もうか止そうかと考えて、ともかくも翌日まで待とうと決心した」「土曜の晩」までに日をまたいでいると解釈しているのである。それらの可能性が全くないとは言わないが、日をまたいでいれば、それを示す記述があるはずだとも言える。「書いていないからといって、ないとは言い切れない」と「書いていないことは、なかったと考えるのが自然だ」は、それが必要なことである場合、後者に分があると考えるべきだろう。
 ちなみに「二日余り」の「余り」というのは何だ? と聞いてみる。「二日余り」に「三日」の可能性を含めれば⑤が水曜日という可能性もあるということになるが、恐らくそうではあるまい。他と同じ「二三日」という表現と違って「勘定してみると」という表現は、それがいつのことだったかが奥さんの話から確定できるということだ。だからこそ「二日余り」という「勘定」が成立しているのである。
 つまり奥さんはそれが端的に「木曜日」か「一昨日」のことだと、あるいは具体的なエピソードととも(あなたが夕方出かけているときに…とか、娘が習い事から帰ってくる前に…とか)に話したのである。とすると、「余り」という表現は、奥さんとKの話が日中もしくは夕方のことであり、「私」が「勘定」したのが夜であることを意味しているのだと考えるのが自然だ。どこのクラスでも、何人かに聞いてみるとこうした推論をする生徒は必ずいる。同意して先へ進む。

 長くなったので(というのは想定内)、以下次号。

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