韓国版オリジナルと日本版リメイクを一晩で二本立てで。
まずオリジナルの方から。
オープニングのパルクールふうの追跡劇はすごかった。下からの三角締めをバスターで返すとか、襲いかかる相手をよりによって山嵐で投げ飛ばす派手な擬闘とか、闇に消える犯人もいい。さすがに、あちこちで連想を誘うデビッド・フィンチャー『セブン』の追跡劇ほどの完成度はないし、現在の場面にいきなり15年前の場面が乱入してくるのは説明不足で混乱する、とは思ったが、全体にアクションシーンとしてはレベルが高くて、最初からワクワクする。
が、途中の遺族による拉致の件りは、どうしたっていらない。どうしてこのシリアスなミステリーにコメディ要素を入れたくなるんだ? しかも面白いわけでもなく単にばかばかしいばかりの。
このシーンに代表されるあちこちの下らないノリがなければ、アイデア自体も、なによりパク・シフの怪しい魅力も、とても面白い映画だと思えるのに。
それから、真犯人がわりとあっさり顔を出してしまい、しかも「誰だお前は?」というような軽いノリのキャラクターであったことも残念に感じた。ここはもっと「底知れない邪悪」とでも言わせるような重厚感がほしい、と思った。といってレクター博士がここに出てくる必然性もないし。
…ところがこれが、しばらくするとこの憎たらしいキャラクターがここには嵌まるのだと感じられてきた。憎たらしいが故の狂気とも感じられ。レクター博士よりはジョーカー的悪役として。
そしてこれでないと時効についてのドンデン返しが効かないのだった。時効だと安心しているところが憎たらしいところで、それが取り消されるから痛快なのだ。
…だというのに、復讐を優先させるなら、時効の設定、要らないじゃん!
一方のリメイク。
入江悠作品は初。『太陽』をそのうちにと思っているのだが。
さて、日本を舞台に移したことで成功したり失敗したり。
基本的にシリアスなミステリーにしたのは好ましい。韓国版でも、それに徹して欲しかった。
だがうまくいっていない部分も多いと感じた。
まず、日本の現実の法改正をからめたから、事件から22年後という設定になってしまったが、これは時間が経ちすぎていて、藤原竜也がアイドル的な人気を得るという設定に無理を生じた。パク・シフの魅力にも及ばないと感じた。
殺人犯がカリスマ的な人気を得てしまうという設定は、この映画にとって肝なはずなのに、そこにリアリティがないのはイタい。尤も、オリジナルでも、そこを上手く描いているとは言い難かったが。パク・シフの笑顔に頼るばかりで。
真犯人の造型については、オリジナルとは全く別の狂気を設定していて、これはこれで良い。そして、時効の無効化というドンデン返しは、オリジナルのように、犯人が憎たらしいから活きるということはなくなったが、こっちでは復讐より法の裁きを優先させるという結末に根拠を与えるという意味で、ちゃんと活きていた。この論理的整合性は脚本がよく考えられていると感心した。
一方、不満もある。
中心的ドンデン返しは、どちらもちょっと早いと感じた。映画全体のここでそれを明かしてしまうのはもったいない、とどちらでも思った。もちろん、それがわかった後で描くべき展開が後にたっぷりあるからしょうがないということなんだろうが、オリジナルでは後がアクション展開になって、それほど要らないと思ったし、リメイクも重厚な人間ドラマとさらなるドンデン返しを見せるのだが、問題はこの重厚な人間ドラマの演出である。
テレビ生放送の場面で第一のドンデン返しが明かされ、それは例によって藤原竜也の激情演技と長い説明によってたっぷり見せられるのだが、その間、当面の「真犯人」が放って置かれるのはどうみても不自然に間延びしている。
放って置いて、愁嘆場が一段落して、さて犯人は、となってから実はこれが真犯人ではなく、となるのだが、順番はどうみても逆であるべきだ。真犯人ではないという落胆の後でこそゆっくりと愁嘆場をやればいいのだ。
緊迫した場面で不自然にテンポをおとしたドラマを見せる演出は、いろんな映画で見せられるのだが、ほんとにやめてほしい。緊迫した場面は緊迫したテンポで描ききってしまうべきなのだ。
これは、さらにひっくり返った本当のクライマックスの方でもそうだ。復讐のために犯人を殺してしまうかどうかという緊迫した場面で、そこに現われた伊藤英明の刑事が、制止のために銃を構えて「やめろ」などと叫んでいるのはどうみてもばかげている。本当に撃って制止することなどありえないし、その必要のある状況でもないし、藤原が撃たれることが怖くて行為を中止しているわけでもないのだから、まずは力ずくで抑えるはずなのだ。そうしないわけがない。
「やめろ」などと言って止まっているのは、藤原竜也の激情演技を見せるためでしかない。そして、そんな理屈の通らない演出をするから、結局緊迫感が台無しになる。
劇的な場面を劇的に演出したくなるのは人情だ。だが、スピード感と感情の盛り上がりのどちらを優先するか、と言う問題ではないはずだ。劇的に見せるのはこのタイミングではないだろ、と言いたい。
そういえば韓国版、ドンデン返し後のパク・シフをもうちょっと活躍させて欲しかった。それがないからドンデン返しが早いんじゃないかと感ずるのだ。
唯一、エレベーターの中での格闘があったが、ここはボクシング対柔道という構図をはっきりと出すべきだった。そういう伏線が張ってあるのだから。
そしてむしろここで決着してしまえば、伏線の回収とともに感情的なカタルシスもあったのに。
まずオリジナルの方から。
オープニングのパルクールふうの追跡劇はすごかった。下からの三角締めをバスターで返すとか、襲いかかる相手をよりによって山嵐で投げ飛ばす派手な擬闘とか、闇に消える犯人もいい。さすがに、あちこちで連想を誘うデビッド・フィンチャー『セブン』の追跡劇ほどの完成度はないし、現在の場面にいきなり15年前の場面が乱入してくるのは説明不足で混乱する、とは思ったが、全体にアクションシーンとしてはレベルが高くて、最初からワクワクする。
が、途中の遺族による拉致の件りは、どうしたっていらない。どうしてこのシリアスなミステリーにコメディ要素を入れたくなるんだ? しかも面白いわけでもなく単にばかばかしいばかりの。
このシーンに代表されるあちこちの下らないノリがなければ、アイデア自体も、なによりパク・シフの怪しい魅力も、とても面白い映画だと思えるのに。
それから、真犯人がわりとあっさり顔を出してしまい、しかも「誰だお前は?」というような軽いノリのキャラクターであったことも残念に感じた。ここはもっと「底知れない邪悪」とでも言わせるような重厚感がほしい、と思った。といってレクター博士がここに出てくる必然性もないし。
…ところがこれが、しばらくするとこの憎たらしいキャラクターがここには嵌まるのだと感じられてきた。憎たらしいが故の狂気とも感じられ。レクター博士よりはジョーカー的悪役として。
そしてこれでないと時効についてのドンデン返しが効かないのだった。時効だと安心しているところが憎たらしいところで、それが取り消されるから痛快なのだ。
…だというのに、復讐を優先させるなら、時効の設定、要らないじゃん!
一方のリメイク。
入江悠作品は初。『太陽』をそのうちにと思っているのだが。
さて、日本を舞台に移したことで成功したり失敗したり。
基本的にシリアスなミステリーにしたのは好ましい。韓国版でも、それに徹して欲しかった。
だがうまくいっていない部分も多いと感じた。
まず、日本の現実の法改正をからめたから、事件から22年後という設定になってしまったが、これは時間が経ちすぎていて、藤原竜也がアイドル的な人気を得るという設定に無理を生じた。パク・シフの魅力にも及ばないと感じた。
殺人犯がカリスマ的な人気を得てしまうという設定は、この映画にとって肝なはずなのに、そこにリアリティがないのはイタい。尤も、オリジナルでも、そこを上手く描いているとは言い難かったが。パク・シフの笑顔に頼るばかりで。
真犯人の造型については、オリジナルとは全く別の狂気を設定していて、これはこれで良い。そして、時効の無効化というドンデン返しは、オリジナルのように、犯人が憎たらしいから活きるということはなくなったが、こっちでは復讐より法の裁きを優先させるという結末に根拠を与えるという意味で、ちゃんと活きていた。この論理的整合性は脚本がよく考えられていると感心した。
一方、不満もある。
中心的ドンデン返しは、どちらもちょっと早いと感じた。映画全体のここでそれを明かしてしまうのはもったいない、とどちらでも思った。もちろん、それがわかった後で描くべき展開が後にたっぷりあるからしょうがないということなんだろうが、オリジナルでは後がアクション展開になって、それほど要らないと思ったし、リメイクも重厚な人間ドラマとさらなるドンデン返しを見せるのだが、問題はこの重厚な人間ドラマの演出である。
テレビ生放送の場面で第一のドンデン返しが明かされ、それは例によって藤原竜也の激情演技と長い説明によってたっぷり見せられるのだが、その間、当面の「真犯人」が放って置かれるのはどうみても不自然に間延びしている。
放って置いて、愁嘆場が一段落して、さて犯人は、となってから実はこれが真犯人ではなく、となるのだが、順番はどうみても逆であるべきだ。真犯人ではないという落胆の後でこそゆっくりと愁嘆場をやればいいのだ。
緊迫した場面で不自然にテンポをおとしたドラマを見せる演出は、いろんな映画で見せられるのだが、ほんとにやめてほしい。緊迫した場面は緊迫したテンポで描ききってしまうべきなのだ。
これは、さらにひっくり返った本当のクライマックスの方でもそうだ。復讐のために犯人を殺してしまうかどうかという緊迫した場面で、そこに現われた伊藤英明の刑事が、制止のために銃を構えて「やめろ」などと叫んでいるのはどうみてもばかげている。本当に撃って制止することなどありえないし、その必要のある状況でもないし、藤原が撃たれることが怖くて行為を中止しているわけでもないのだから、まずは力ずくで抑えるはずなのだ。そうしないわけがない。
「やめろ」などと言って止まっているのは、藤原竜也の激情演技を見せるためでしかない。そして、そんな理屈の通らない演出をするから、結局緊迫感が台無しになる。
劇的な場面を劇的に演出したくなるのは人情だ。だが、スピード感と感情の盛り上がりのどちらを優先するか、と言う問題ではないはずだ。劇的に見せるのはこのタイミングではないだろ、と言いたい。
そういえば韓国版、ドンデン返し後のパク・シフをもうちょっと活躍させて欲しかった。それがないからドンデン返しが早いんじゃないかと感ずるのだ。
唯一、エレベーターの中での格闘があったが、ここはボクシング対柔道という構図をはっきりと出すべきだった。そういう伏線が張ってあるのだから。
そしてむしろここで決着してしまえば、伏線の回収とともに感情的なカタルシスもあったのに。
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