2020年5月27日水曜日

『ジャケット』-カタルシスにつながらない

 タイムリープを扱った映画としてどこかのサイトで紹介されたものを何本かレンタルしてきたのは随分前だ。『プリディスティネーション』もその時に観たのだが、集中して観てなかったせいであまりにわからなくて、このブログにも書いていない。その煽りをくってそのまま放置していたのをようやく。
 うーん、これもまた語るのが難しい。
 タッチは悪くない。調べると結構な豪華キャストと言って良いし、制作陣もビッグネーム。エイドリアン・ブロディの笑顔は良いし、少女との出会いも、タイムリープによってその少女を救うことになる展開も良い。
 だが大いに満足、というわけにはいかなかった。
 観客に「わかる」ことが十分な情報量をもっておらず、「意味ありげ」に終わってカタルシスにつながらないのだ。サイトでの考察によればキリスト教的モチーフがちりばめられていて、それに沿って解釈すると…とか、結論として全てが妄想説を唱える人がいたりして、それを、基本的には1回しか観ないはずの映画に求めてどうする。
 そうすると、タイムリープの必然性とか、事情をちゃんと説明しないエイドリアン・ブロディの「いい人」ぶりももどかしかったりして、タイムリープを活かして状況を変える試みも、単なる手紙を書くくらいかいな! という不満が浮上してくる。
 タイムリープはやっぱりアイデアを盛り込んでハッピーエンドを目指すのと、それでも生ずる切なさをセットで欲しい。どちらも、結局「わからない」だけに中途半端に終わった感じ。
 もったいぶらずに語って欲しい。

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