2020年5月31日日曜日

『君の膵臓を食べたい(アニメ)』-「物語」の効用

 前に実写版をテレビ放送で観た時には、このアニメが劇場公開中だった。もう2年前になるのか。
 ほとんどは実写版を観た時の感想と同じことをこちらでもやはり感じた。
 ヒロインはあざとくも可愛く、どういうわけで主人公がこのような幸運に恵まれるのか、あまりに都合の良すぎる妄想である。
 二人で旅行に行くのも彼女の家に行くのも、あまりに安易に観客の願望を反映している。
 そして難病でヒロインが死ぬ設定というのも。

 にもかかわらず、やはりいやおうなく心を動かされてしまうのだ。「感動ポルノ」はこちらでも健在。
 アニメーションとしてはとても質が高い。実験的な表現があるわけではないが、美術も人物も綺麗で乱れない。人の振る舞いも眉を顰めたくなるような安っぽさはない。丁寧に、手堅く描かれている。高台から二人で見る打ち上げ花火は、それを題名に冠した某アニメよりもはるかに美しい。
 だからこそ、これだけ感情を揺さぶる要素が並べられれば、抗えない。

 その上で、前回も感じた、難病設定をしているのに通り魔に襲われて死ぬという展開の据わりの悪さをどう受け止めればいいのか、という問題は、今回あらためて考えてみたが、やはり病気で死ぬところを描く難しさを回避したのだと結論せざるを得ない。
 一時的に入院したり不安に襲われたり、といった闘病は描かれるが、次第に弱って、特にイベントを起こせるような健康状態ではなくなって、それから漸進的な衰弱が数ヶ月も続くような展開になるのに、この物語は堪えられないのだ。そこまでの勁さをもたない。

 そしてまた、主人公の頑なな孤独癖は鬱陶しい。もっと普通にしてほしい。あまり人付き合いがうまくない、くらいにしてほしい。碇シンジほどの鬱陶しさではないものの、リアリティの水準を落としてしまう。
 もっと、ある信念があるか、あるいはまるでそれが自然であるような特殊な人物を、リアリティをもって存在させることができるならばそれもいいのだが。
 主人公については実写版の北村匠海の魅力はなかった。

 それでもなお、今回観て、これを若者が観ることの意味を考えてしまった。
 誰かをとても大切に思うことや、だからこそ他人と関わることが大切だという真っ当なメッセージが、この切実感と共に体験されることは、「物語」の大事な効用なのかもしれない、と思えたのだった。
 あまりに抗いがたい感動とともに見てしまって。

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