2024年10月8日火曜日

『鬼太郎の誕生 ゲゲゲの謎』-アクション

 娘たちは劇場で観てきたが、そこまで興味がもてなかったが、『舞姫』に似ているので観てみて、という生徒の申し出があって。

 なるほど、主人公とヒロインの関係は豊太郎とエリスにずいぶん似ている。ヒロインが主人公に依存的なのもそれゆえの媚態も。

 一方で我々世代にはいやおうなく『犬神家の一族』でもある。これはどうみてもわざとだ。

 それはともかくどうかというと、途中までの田舎の田園風景が妙に良い雰囲気だと思っていたが、鬼太郎父が活躍しだすとアクションのレベルが上がる。乱闘シーンでは、他のシーンとはレベルの違う作画で、驚嘆のアクションを見せる。

 こりゃすごいと思っていたが、その後のヒロインの悲劇を描くクライマックスから、さらに展開する本当のクライマックスまで、作画のレベルが落ちるだけでなく、キャラクターの造型まで、ちゃちなテレビアニメレベルになってしまう。大人の鑑賞に堪える映画なのかと勝手に期待していたが、残念ながら子供だましだった。

 主人公二人の関係性だけは何だか良い雰囲気だったなあと、思い出すとちょっと良い感じではある。

2024年10月6日日曜日

『Fall』-脚本作りのお手本

 よくできていた。面白かった。そして怖かった。ホラーでもこの怖さはめったにない。とにかく高さが。 

 地上600m以上ある鉄塔の上に登る動画配信者が、梯子の崩落で頂上にとり残されるSSS。設定は海底に残される『47m』であり、スキー場のゴンドラが停まる『フローズン』であり、沖合の岩場に残される『ロスト・バケーション』であり、岩に手を挟まれて動けない『127時間』であり。


 設定がシンプルならあとはアイデアと演出。これがもう申し分なくよくできていた。この窮地でどんなことがおこりうるか。どんな手段を試行錯誤するか。

 確かにクライミングの基礎として支点の確保を怠るやら、手を取り合うことで相手を引き上げるなど、無理な描写もある。

 とはいえ、真っ当な頭の使い方と、冷静で強い意志を保とうと努力する登場人物が描かれないとウンザリしてしまうので、その点でもとても好印象。出来の悪いホラーはバカを登場させてパニックを起こさせることが怖さを演出しようとする。その点、本作の二人はとても頑張った。その健闘こそが恐怖と焦燥を引き立てるし、救助の多幸感を強めてくれる。


 そして途中で触れた要素が、全て後で活かされるという、ストーリー作りのお手本のような見事な脚本だった。

 その中でも、とりわけ大がかりな仕掛けの一つには大いに感心した。

 恐ろしいことが起こると、実は夢でした、という演出はありふれている。だがその逆をいく。それを比較的長い叙述トリックとして見せ、クライマックスで真相が明かされた後に、それを解決のための手段に使い回す。その残酷さもカタルシスも充分に物語の強さを保証している。

 良い映画だった。


2024年10月5日土曜日

『エスター ファースト・キル』-前作再評価

 サイコ・ホラーの佳作『エスター』の続編であり、前日譚。

 監督は交代している。とはいえ宣伝では好評だったので期待していた。主役のエスターを、当時12才だったイザベル・ファーマンが、25才になって、そのまま演じている。

 悪くない。が、一筋縄ではいかない意外な展開になったなあと思っていると、いささかあっさりと終わる。なるほど、これは前日譚という設定のせいである。モンスターを倒して終わりになる前作とは違うのだ。

 倒したかと思うと簡単には決着しないモンスターと言えば『13日の金曜日』のジェイソンであり、『ハロウィン』のブギーマンであり、第一作の『エスター』のエスターがそうだった。

 ところが前日譚である本作では、エスターが勝者であることは予め決められている結末だから、相手を一般人とする以上、決着はあっさりするしかないのか。

 それにしても、単に筋立てというだけでなく、ジャウム・コレット・セラの演出は巧みだったのだと、決して悪くない本作を観ても、やはり一段上の前作を再評価してしまうのだった。



『対峙』-赦す

 高校における銃の乱射事件といえばいかにもアメリカでありそうだという気がするが、ウィキペディアではたとえば「2006年から2017年までに271件」の銃乱射事件があったとある。あまりに茶飯事になって、日本人には特定の事件が記憶に残らない。

 そうした「ありそうな」事件の一つの、自殺して既にこの世にはいない犯人と被害者、いずれも当時高校生だった2人のそれぞれの親が「対峙」する、というのが本作の設定だ。セラピストが仲介し、教会の司祭館らしき一部屋に4人が集まる。原題は『Mass』。集まる、の意味なのだろう。

 評価が高いことから観始めたのだが、なるほどすごい。会話劇としての脚本から俳優4人の演技まで、設定の重さに釣り合う緊密なドラマを生み出している。演技のすごさは演出の確かさでもあろうし、それをまた見事に撮影・編集している。

 こういう設定で両者が話をするとしたら、どんな話になるか、という想像をできるだけリアルにしてみる。感情を抑えようとしたり、それでも抑えきれず吹き出してしまう感情があったり、問いかけたり問い詰めたり(でもそれはセラピストには止められているはず)、責めたり駁したり、吐露したり隠したり。

 そして赦す。

 それを実行するために、この会合を開いたのだ。


 会合の舞台が教会で、聖歌隊が練習している声が漏れ伝わるのが、関係者に対する祝福のように聞こえるのは、まったくわかりやすい演出ではある。

 それならばもう一歩、映画としては冒頭の二人が、最後に物語に関わってほしかったとも思う。ないのかい! とツッコみたくなった。

 それがあったらさぞ余韻も深かったろうに。


2024年10月1日火曜日

2024年第3クール(7-9)のアニメ

 もしかしたらこれほど多くの放送アニメを見通したクールは初めてかもしれない。観ても良いと思える作品が揃ったということでもあり、ちょうど仕事の方が時間の自由が効くタイミングになったということもあり。

 

『ファブル』

 そのまま2クール目に入って、実写映画の2のエピソードに入った。劇場版は12話が2時間にまとめられているのか。

 それにしてもなんなのかよくわからない面白さ。アニメの質の低さにもかかわらず、毎週が楽しみになってしまう謎の中毒性。

 まあ声優陣の豪華さのギャップはすごい。それぞれに芸のあるキャラクター造形で、それが楽しみの一つでもあった。

 基本的には、無敵なのに意外と良い人、という心地よさで見せているだけなのだが、どうもこの面白さは謎だ。


『小市民シリーズ』

 米澤穂信の『古典部』と並ぶ初期、高校生シリーズ。『古典部』とは趣向が違うという話なのだが、むしろ驚くほど似ているようにしか感じない。別シリーズにしているわけがわからない。なおかつ主人公二人の絵面が、この間観たばかりの『早朝始発の殺風景』の山田杏奈と奥平大兼の二人に驚くほど重なる。で、日常系ミステリーだ。もはやどれも同じ。

 ところでこちらは京アニの『古典部』に比べても驚嘆すべきレベルのアニメーションに仕上げられている。監督の神戸守は『約束のネバーランド』以来(押井守、細田守、畠山守…、なぜ守という名のアニメ監督はこうも多いのか)。

 そのアニメーションのレベルに比して、お話がちっとも面白くない。なぜこんなに!? と言いたくなるほど。原作もこうなのか?

 クールの後半にだんだんお話が繋がって面白くなってきたが、謎解きのテンポの遅さが致命的にもどかしい。なぜこんなふうに描くことを選んでしまったのか。

 第2シーズンがあるということで、そこでまた評価が変わればいいが。


『義妹生活』

 親の再婚で同級生と義理の兄弟になって同居するという設定が既におそろしくラノベだが、ふざけたドキドキエピソードを並べる方向にではなく、ぎこちない二人の心情を丁寧に描く静かなタッチに好感を持って見続けた。物語をある程度語り進めてから、遡ってそのエピソードをもう一度別視点から語り直す仕掛けは面白い。それでこそ丁寧な心情描写もできている。

 物語の展開もそうだが、部屋の中の動かない長いカットを大胆に使う演出も(まあ省コストの要求もあるのかもしれないが)、全体にこの作品の静謐な空気感を生み出していて好感がもてた。


『恋は双子で割り切れない』

 アニメの質も高くはないし、幼なじみの双子の姉妹に同時に好かれるという、これもまたあまりにラノベの設定が恥ずかしいが、これも『義妹生活』と同じく、途中から別視点でたどり直すという手法が使われて、1話に感心した。この手法は1話だけだったが、それ以降は、端々にはさまれるオタク話の蘊蓄の厚みに驚嘆しながら見続けた。キャラクターに好感が持てるとまではいわないが、それぞれに丁寧に描かれる痛みは切ない。


『時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん』

 実にラノベ。テイストは『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』。ちょっとだらしないように見えて実は能力の高い主人公が可愛いヒロインに好かれている構図は既視感満載。もっと前には『涼宮ハルヒ』でもある。ヒロインは総じてツンデレ。

 日常のドタバタだけを描くなら続けないところだが、徐々に明らかになっていく設定と続いていくストーリーの流れに見続けた。

 さてこれからいよいよ生徒会長選が盛り上がっていくかというところでこのクールはおわり、2期が予告される。


『負けヒロインが多すぎる!』

 なんだか驚異的にアニメの質が高い。このクールは『小市民』シリーズという更に図抜けたアニメがあるものの、本作は本作でめったにないレベルではある。学校の中の風景や、そこで登場人物たちが見せる言動の断片がいちいち高品質で驚かされる。

 とはいえ、あちこちは切ない感情を拾い上げてもいるものの、ラノベらしいお気楽さは否定できない。


『逃げ上手の若君』

 時々『ジャンプ』的なノリが鬱陶しいとは思ったが、総じてアニメーションの質は高く、ストーリーも動きがあって引き込まれた。とりわけ『七人の侍』を思わせる中山庄の攻防戦は面白かった。エンディングの「鎌倉style」も最高だった。


『俺は全てを【パリイ】する~逆勘違いの世界最強は冒険者になりたい~』

『新米オッサン冒険者、最強パーティに死ぬほど鍛えられて無敵になる。』

『ダンジョンの中のひと』

『この世界は不完全すぎる』

 かつては異世界転生、剣と魔法、ダンジョン…は最初から観ずに消していたが、ここ2,3年は様子を見ることにするようになって、そのまま通しで観てしまうものも増えた。

 さて今クールはこの3本と、ゲーム内世界という『この世界は不完全すぎる』がその系統。溜めてしまうこともなく放送週のうちに観てしまえる。

 『俺は』と『新米』はどちらもやや年のいった主人公が冒険者を志し、自分が強いことに自覚がないまま無敵になっているという共通の設定がある。その無垢ぶりに好感が持てるからこそ、強いことに快哉を感じられる。

 それにしてもあるクールに同じような設定のアニメが重なることがこんなに多いのはなぜなのか。

 『ダンジョンの中の人』はこの中でもとりわけ楽しみな放送だった。ダンジョンというのは実は制作者によって管理・維持されていて、それを支える裏方の営為を描く、という設定から、ふざけるばかりのお話が続くのかとも思ったが、意外と真面目にその設定を活かした考察が展開されていて面白かった。生真面目で強い主人公に対する好感は、『ポーション頼みで生き延びます!』『悪役令嬢レベル99』に共通する。

 『この世界は』は異世界とはいえゲーム内という設定だから、異世界物のご都合主義が理由付けされて、ゲームあるあるとして語られる理知的な感触に好感がもてた。


『鬼滅の刃 柱稽古編』

 通常の1クールよりはやや短い10話分のシリーズ。

 結局アニメではずっと観ている。それほど面白いと毎回思っているわけではないが。ジャンプ的なふざけ方は好きではないし。そして、毎回、それぞれの登場人物の過去が語られる時の壮絶さが感動的、ということなのだが、それも飽和してきているとも思う。

 とはいえ、最終回で、ようやくラスボス同士が対峙してからの論理のぶつかりあいでちょっと居ずまいを正されていると、そこに主要な登場人物が集結する展開に心躍らされた。いよいよ最終決戦、決着がつくのか、と思っていると、舞台はCGも見事な無限城に移動してまだ相当にシンドイ展開になることが予告される。そのまま劇場版の制作が予告される。これはなるほどエキサイティングな展開だと言っていい。


『異世界スーサイド・スクワッド』

 DC映画の実写『スーサイド・スクワッド』は観ていない。マーベルもそうだが、観てもどんどん忘れてしまいそうではある。

 アメコミと日本のラノベの融合って面白そうでしょ、というあざとさはあるが、『進撃の巨人』などのウィットスタジオのアニメは高い品質で、そこだけは見応えがあった。

 とはいえやはり映画の方への愛着のないところでは気分にそれほどのもりあがりもなく。


『多数欠』

 最初のうち、デスゲームを支える論理ゲームの構築が意外と精緻だと感心したが、その後はだんだんキワモノめいてくる。1クールで終わらないことがわかって録り溜めたまま。

2024年9月24日火曜日

『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』-クドカンに求めるもの

 宮藤官九郎の監督・脚本作品だというので、観てみるが、手放しで面白かったとも言い難い。ギャグは効いていた。確かにクドカン作品の面白さに笑いがあるのは確かだが、それだけを求めているわけでもない。「ゆとりですが何か」の面白さも、そこではない。くすりとさせてくれるのは悪くはないが。それよりもストーリーの巧みさと人間ドラマではないか。

 もちろん輪廻転生ものとして切ない決着を見せようとはしている。だが、全体には無理矢理なギャグが邪魔していて、あんまりそれにはのれなかった。

 長瀬智也と神木隆之介のうまいことには唸ったし、音楽がのりのりなのも楽しかったが。


2024年9月22日日曜日

『プリズン13』-弛緩した

 日本版スタンフォード実験映画。期待はしていないが、やはりこれはダメそうだととばしとばし見ていても多分問題ないほど弛緩した演出。

 映画としてはひどいと思ったが、同時に、監獄が全体を「檻」として設定し、工場のようなスペースに置かれて展開するので、なんだか舞台劇のようでもあった。そう思って見ると、たぶん舞台劇ならそこそこ観られる。舞台劇には映画のようなリアリティが期待されていない。それこそ「芝居」がかった感情の表出が許される。

 そういう映画だった。

2024年9月20日金曜日

『エコーズ』-標準点

 とりあえずホラーで、アマプラの評価も低くないものを、というだけで事前情報もなく、ケビン・ベーコン主演を頼りに。

 殺された女子高生が幽霊になって自分の死体を捜させる、というベタな設定で、ホラーとしては、カメラがパンすると死角から幽霊が現れるというジャンプスケアくらいでそれほど質の高いものではないが、全体には手堅い描写で、一応は観られる。

 ちゃんと決着のつくストーリーは不全感もなく標準点ではあるが、大満足というわけにはいかなかった。

『初恋の悪魔』-坂元裕二

 2年前の放送だが、今のところ坂元裕二の連続テレビドラマとしては最新作。

 2話の途中まで気づかずにいたので、最初のところを観るまではと、録画したものの2年間未見だった『初恋の悪魔』が、ようやくアマプラに挙がったのでとうとう見始めた。見始めるにあたって娘を誘って、1話を観たところで、この後は一緒に観ることにした。

 演出が坂元裕二作品をいくつも手がけている水田伸生なのは安心だが、1話を見る限り微妙なぎこちなさもある。松岡茉優の真顔は『最高の教師』でやりすぎだと感じていたが、これもちょっと。

 主人公グループが謎解きをする際の、現場の中にバーチャルに登場して歩き回りながら真相を推理する演出はテレビ的には売りなのかもしれないが、『不適切にもほどがある』のミュージカルシーン同様、それが楽しくて、というほどの魅力はなかった。それよりもリビングでくり広げられる4人のやりとりだけで魅力は十分。例えば登場人物二人が同時に、反対方向に首をかしげる「お芝居」的演出でくすぐるところはやはりよくできている。

 さて、毎回、事件を解決するドタバタのミステリーシリーズなのかと思いきや、後半に入って、通して設定されている大きな事件が主人公たちを大きく動かしていく。その引きの強さに、にわかにのめりこんで、後半は一晩に3話、2話と続けて観た。それぞれに映画1本分の長さの鑑賞は、世界への没入感も強く、幸せな視聴体験だった。

 松岡茉優のヒロインが二重人格で、仲野太賀と林遣都の間でそれぞれに関係を作るのだが、これは一体どう終われば納得いくエンディングなのかと気になる。真面目で生きにくい林遣都演ずる鹿浜のキャラクターが実に愛おしいのだが、こちらと相対するヒロインの人格の方が「副」という設定で、最終話で、消える前に最後に鹿浜に会いに来るという、ある意味ではベタとはいえ、実にもうどうしようもなく切ないエピソードを、どう描くか、見物だった。

 で、これはもう最高に良くできた脚本と演出だった。本当に切なく、でも単に悲劇にばかり描いてはその後の日常に差し障りがあるから、ぎりぎりのところで軽くバランスを取る。

 『大豆田とわ子』の面白さの完成度は驚嘆するほどだったが、その世界に観る者を引き込んでとどめてしまう強さは本作の方が強かった。それだけ濃密な感情を味わった。


2024年9月16日月曜日

『桐島、部活やめるってよ』-映画人の自己愛

 最近ようやく『初恋の悪魔』を見始めて、ここで共演している松岡茉優と仲野太賀が12年前に共演した本作ではどんな感じだったっけ、と観直してみた。

 同時に、前回の鑑賞では良い印象がなかったが、そこに変化はあるか、という興味も。


 観終わって、前回どんなことを書いているかと見直してみると、間然するところがない。かなり細かい印象まで、そのまま今回も同じように感じた。むしろ好感を持てたかのように書いているほどに面白いとも感じなかった。より一層、映画人の自己愛ではないかと感じ、同時にそこに戯画的な誇張があるのも残念だった。

 あらためて、これを年間の最優秀映画に選ぶ日本アカデミーというのはいかがなものか。


2024年9月15日日曜日

『サイダーのように言葉が湧き上がる』-アニメ的演出

 陰影をグラデーションにせずに、分割された面を驚くほどカラフルに彩色する画面は、古くは『ハートカクテル』のワタセセイゾウや、古沢良太が脚本を書いていた深夜放送アニメ『GREAT PRETENDER』が思い出される。観ているだけで楽しい。

 なんか音楽も心地良いなあと思っていると牛尾憲輔で、あろうことか劇中で50年前のシンガーソングライターの曲という設定で流れ始めたのは大貫妙子の声だった。良い曲だった。


 にもかかわらず面白かったとは言い難い。

 例によって、アニメっぽい演出が鼻につく。やたらと大げさに感情を表出させることが「面白いアニメ」であるように勘違いしているらしい描写が観ていて居心地が悪い。照れたり焦ったり驚いたり、リアリティを目指していないことはわかるが、じゃあ面白いかといえば面白くはない。これをやられると感情移入が阻害されるとは思わないんだろうか。思わないんだろうな。韓国映画的な、これって面白いでしょ、演出。

 イシグロキョウヘイは「Occultic;Nine」を録画してあって、にもかかわず8年間未見なのだが、これは期待値が下がる。下がる方がいいかもしれないが。期待値は。

 脚本が「攻殻機動隊」など、神山健治との仕事で名前を見る佐藤大なのだが、これも感心しなかった。老人がレコードを探してショッピングモールを徘徊するという設定も無理がありすぎるし、ヒロインのコンプレックスは出っ歯のはずで、そのせいでマスクを外せないという設定(コロナではなく!)なのに、歯列矯正中という設定もまぎらわしく余計だし、他にビーバーという、やはり出っ歯の登場人物を出すとか、うまくいってないこと甚だしい。それでも感動的でありさえすればいいのだが、主人公が祭の櫓からマイクで告白するクライマックスで俳句を連呼するとか、感情の揺らし方が集中せずに散漫になる場面演出が残念に過ぎる。


2024年8月26日月曜日

この1年に観た映画・ドラマ 2023-2024

 昨年の「この1年」からここまで、31本の映画しか観ていない。ブログ開設から10年で、こんなに映画を観ていない1年はない。原因はわかっている。単に忙しかったのだ。夜も休日も、映画を観るほどのまとまった時間をとれないことが多かったのだ。

 だがこの先はそれも一段落して通常運転になる予定。

 というわけで10本を選ぶのが難しい。ある程度の強度を持った印象が残ったものをあげてみよう。何本になるか。


10/9『リチャード・ジュエル』-間然するところない

1/3『地球外少年少女』-圧倒的

2/12『グリッドマン・ユニバース』-胸熱

2/23『劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜』-高校の部活動

3/20『一秒先の彼女』-幸せに満ちた

6/10『ザ・ファブル』『ザ・ファブル 殺さない殺し屋』-アクション


 6本というか7本というか。例年は10本を選んだうえで、迷ったものを次点としてなお10本選ぶこともできたのだが、この1年はこれ以外の作品を挙げたいという気にもならない。

 珍しいことには洋画が1本しかない。むしろ例年は邦画が10本中1本くらいだったりするのに。

 さてその洋画はクリント・イーストウッド作品で、あまりにもう当然のような手堅さで驚きも新鮮さも少ない。

 テレビアニメのシリーズから評価の高かったものの劇場版3作も想定内だし、磯光雄の作は期待以上とも言えたが、期待の延長とも言える。

 とはいえ、評価の高さということでこの『地球外少年少女』が頭一つ抜けていて、驚きという点では『一秒先の彼女』が新鮮な印象と、幸せで懐かしい鑑賞体験として残る。 


 31本の映画にはなんだかテレビドラマっぽいものも多かったのだが、一方でテレビドラマにも、昨年度の「大豆田とわ子と三人の元夫」「最高の教師」「エルピス」のような圧倒や熱狂はなかった。話題作の『VIVANT』にもあまりのれなかった。


 次の1年に期待ということで以下、列挙。


10/1 『こころ』-絵解き

10/9 『リチャード・ジュエル』-間然するところない

9/19『VIVANT』-萎える

11/5『バンクシー 抗うものたちのアート革命』-さまざまな問い

11/25『騙し絵の牙』-テレビドラマでいい

12/2『スポットライト 世紀のスクープ』-アメリカ社会にとって

12/3『春の一族』

12/23『時をかけるな、恋人たち』

1/3『地球外少年少女』-圧倒的

2/4『ラン・オールナイト』-気楽

2/12『グリッドマン・ユニバース』-胸熱

2/22『チップス先生さようなら』-長い間

2/23『劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜』-高校の部活動

2/23『今朝の秋』-ドラマの力

2/25『ベイビーわるきゅーれ』『最強殺し屋伝説国岡』-オフビートな

2/26『レヴェナント:蘇えりし者』-大自然

3/2『スウィング・オブ・ザ・デッド』-低予算ゾンビ映画

3/20『一秒先の彼女』-幸せに満ちた

3/23『ビューティフル・マインド』-高評価の訳

4/1『高速を降りたら』『ケの日のケケケ』『ある日、下北沢で』『島根マルチバース伝』

4/17『すずめの戸締まり』-「なかったこと」

5/1『コーダ あいのうた』-予想内

6/9『蜜蜂と遠雷』-音楽を描く

6/10『ザ・ファブル』『ザ・ファブル 殺さない殺し屋』-アクション

6/11『ザリガニの鳴くところ』-湿地

6/14『約束』-日本産警察ドラマ

6/15『TENNET』-辻褄

6/16『早朝始発の殺風景』-日常系ミステリー

7/1『6人の女 ワケアリなわたしたち』-良質な海外ドラマ

7/17『エマ 人工警察官』-テレビドラマ?

7/19『マリグナント』-アドバンテージが消えて

8/9『禁じられた遊び』

8/11『ハミルトン』-見応え

8/13『青鬼2.0』-努力のリソース

8/15『Pearl』『X』-閉塞感

8/16『岸部露伴ルーブルへ行く』-テレビドラマ画質

8/23『黄龍の村』-もったいない


2024年8月23日金曜日

『黄龍の村』-もったいない

 清水崇の「村」シリーズかと勘違いして観始めた。

 冒頭の若者グループが田舎に行くくだりはまるで「キャビン」物の定番。それなりにその不快さがリアルに撮れてもいるが不必要に長い。例えばそこに何か伏線を張っておくとかいう知恵を使ったような脚本構成はない(主人公についてだけいくらか意味ありげに描写しているが)。

 ホラーを観るつもりで観ているが、オカルトかどうかはわからないで観ていると、「キャビン」物ではなく「村」物だった。「ミッドサマー」的な。

 そうなれば脱出の過程が描かれるのだろうと予想していると、なんと突然アクション映画になる。で、最初のうちは目立たなかったが、『最強殺し屋伝説国岡』の役者だよなあと思っていたのが主人公なのだとわかり、あれっと気づく。阪元裕吾の映画なのだった。

 であとはそういうアクション映画。『ベイビーわるきゅーれ』はそれなりに手のかかったアクションを見せたが、『国岡』もこれも、リアリティの水準が低く、そこで楽しむには難しい。例えば言い打撃が入るとそれで一気に形勢が決まってしまうことになるので、そういう打撃を安易に描いてはならない。描かれる格闘が軽く感じられてしまう。

 だがこれが意外な高評価なのだ。清水崇の他の「村」シリーズより(だから観てみたのだ)。レビューを見ると、なるほどみんなわかっていて、突っ込みながら見ることが楽しいと言っているのだ。その突っ込みどころに不快をより多く感じてしまう人は低評価をする。どちらもそれなりにわかる。

 細かいところがあまりに考えなしに作られているのは、せっかく映画という大がかりな制作物を世に出すにあたってはもったいなあと思う。

2024年8月16日金曜日

『岸部露伴ルーブルへ行く』-テレビドラマ画質

 放送されていたテレビシリーズは見ていない。が、個人的なオススメもあって観てみようかと。原作についての事前情報も愛着もなく、もちろん高橋一生のファンでもない。それでも観られるか。

 謎で引っ張っていくストーリーや、ルーブル美術館の地下倉庫などという設定はなかなか見応えもある。木村文乃は綺麗だ。

 だがまあヘブンズ・ドアーは別にどうということもないし、岸部露伴のふてぶてしいキャラクターが魅力的だということで惹かれるというものでもない。

 うーん、新しい世界は開かなかったな。

 それにしてもなぜ劇場版なのに、画面はテレビドラマ画質なのだろう。テレビマンのこだわりか。

2024年8月15日木曜日

『Pearl』『X』-閉塞感

 とにかくホラーを観たくて、アマプラのリコメンドで☆4つあるものを、何の事前情報もなく。

 画面のつくりは映画的にすこぶる質が高い。トウモロコシ畑の向こうに案山子が立っている広い画角の画面などに漂う不穏な空気が良い。案山子がかけられている竿(十字架のような)にヒロインが上っていって、案山子と向き合う画も、どうしてそれを思いついたのかわからないが、画面に表れると不穏な一枚絵なのだ。タイ・ウェストという監督、なかなかただ者ではない。

 1918のアメリカの田舎町が舞台という特殊性が何のためなのかと思っていると、ヒロインの閉塞感を用意するためなのだとわかってくる(だが後からそれはちょっと違う事情があったのだとわかる。先に80年代を舞台にした映画が作られていて、その主人公の前日譚だったのだ)。

 どのあたりがホラーなのかと思っていると、そのうちサイコ・サスペンスなのだとわかる。ヒロインの狂気が怖いのだと。主演のミア・ゴスの、微妙な美人さ加減が絶妙で、それなりに可愛いとも言えるからスターになることを夢見ることが観客にとって許されるが、やさぐれた感じはサイコな怖さへつながっていくのに説得力もある。

 とりわけ、最後のシーンで、戦地から帰った夫にきつい化粧で笑いかける笑顔が、ストップモーションではなくそのままアップで映されたまま、スタッフロールが流れる。3分余り瞬きもせずに笑い続けるヒロインは、瞬きもしないからか涙を流しはじめるが、そのまま引きつった笑いを映し続ける。

 ここが、ブラックな笑いを伴いつつ一番怖い。


 全日譚の『X』は跳ばし跳ばし。『Pearl』が持っている絶望感や閉塞感のような独特の味わいはない。シンプルで気色の悪いホラー。


2024年8月13日火曜日

『青鬼2.0』-努力のリソース

 こういう映画に期待することは全くできない。

 だが最初のあたりで画面の切り取り方や編集のテンポに、おっ、と思ったりもした。これはそれなりの映画なのか?

 いやどんどん、やはりそんなことはないのだとわかってくる。CGがちゃちいのは予算の問題だから仕方ないのかもしれないが、ホラーは人間ドラマであってこそ怖いのだ。ちゃんと演出して、それぞれのキャラクターを生きた人間にしてほしい。

 あるいは努力のリソースが最初のあたりで尽きてしまったということかもしれないが。

2024年8月11日日曜日

『ハミルトン』-見応え

 ミュージカルのブロードウェイ公演を撮影したものが、劇場映画という体で公開されたもの。

 とにかく全編、歌。そのままお芝居として台詞はほぼない。メロディーがない部分はいくらかラップに近い。そう、音楽的にはヒップホップを大胆に取り入れているところがミュージカルとして特徴的なのだそうだ。だが、音楽的にはR&Bやポップスもシームレスに含んだアレンジで、劇的な「ミュージカル」として演奏されている。その演奏は、ダンスも、俳優陣の歌唱力もあいまって、圧倒的だ。1曲ずつ、会場から湧き起こる拍手は、そのまま映画を観る観客の感情の表出でもある。

 アメリカ建国を巡るドラマももちろん見応えがあって、こういうミュージカルなら見応えはある。

 もちろん、ドラマはドラマ、音楽なら音楽コンサートでいいのだが。

2024年8月9日金曜日

『禁じられた遊び』-平田秀夫クオリティ

  ルネ・クレマンではない。たまたま図書室で見つけた原作小説を、帯文句につられて借りてきて、アマプラに映画版が挙がっているのを見つけて、雰囲気だけでもつかもうと思ったが、そのまま見通してしまった。見終わってから知ったのだったが、中田秀夫だった。なるほど。やはり。この低レベルの映画づくりは。

 それぞれの演者に才能がないわけではないはずだ。別の映画ではそれなりの演技をしているのをみたことがないでもない。だが、演出のレベルに合わせて演技のレベルが下がるのは不思議なものだ。まったく型通りの感情の表出をするが、リアリティはない、という。

 ホラーとしても特段観るところもない。

2024年7月19日金曜日

『マリグナント』-アドバンテージが消えて

 アマプラの見放題が終了になりそうなので娘を誘って。

 だが、前回の鑑賞で書いたとおり、映画館で観ることのアドバンテージがないと、必ずしも同様の面白さとは言えないのだった。意外性が楽しい作品となれば、2回目は不利だし。

 警察関係者とか妹とか、サブキャラクターはかなり魅力的なんだが、どうもヒロインの魅力が乏しいのは残念。

2024年7月17日水曜日

『エマ 人工警察官』-テレビドラマ?

 邦題の通り、アンドロイドの警官がベテラン刑事と組んで事件を解決する、というだけの話。2時間の映画という体裁なのだが、画面の深さも、前半と後半で全く関係のない二つの事件がそれぞれ解決まで描かれるところをみると、これはテレビシリーズなのだろうか?

 AIやアンドロイドはもちろんアニメでもやたらと登場するが、どれもこれも呆れるほど「人間」でしかない。本作はそれが試験段階という設定もあって、その「人間離れ」したところこそ描く。不器用な感情表現も、結局本人がそれをどう感じているでもなさそうなところも、一応見てはいられるレベルのリアリティではあった。

 それ以上に何かの感慨を呼ぶというものでもないが。


2024年7月1日月曜日

2024年第2クール(4-6)のアニメ

『ダンジョン飯』

 あきれるほど、原作を読んでいる記憶がない。娘は原作で読んでいるというのだが。

 原作の面白さは保証済みではあるが、アニメでは千本木彩花が演じたマルシルと中博史のセンシが実に楽しく、原作を超える面白さだった。

 2クールではまだまだ。


『夜のクラゲは泳げない』

 元アイドルを含む女子高生4人組のサクセスストーリーで、これもアイドルものの変形なのだろうか。基本は最近はやりのアイドルグループものは男女問わず見ないのだが。

 作画が最後まで崩れなかったから見続けてしまったが、途中で何度かリタイヤしそうだった。アニメ的な情緒が一貫しているとはいえる。時々はそこそこ感情移入できたりもするが、基本はステロタイプでもある。


『喧嘩独学』

 韓国アニメではあるが、名前を日本人にしたりする。だが、ノリがどうも韓国映画的な、これ、面白いよね、というふざけ方をしているのが残念ではある。

 それでも最後まで見たのは、弱い主人公がいろんなタイプの相手と「喧嘩」というジャンルで戦う展開に引っ張られたからだ。まるで『ホーリーランド』だ。『エアマスター』とともに、最も読み返したマンガのひとつ。ある意味で格闘技の、喧嘩に対する優位性を語っているのだが、完全に競技としての格闘技にしてしまうとそぎ落とされてしまう隙間が、かろうじて喧嘩という枠組みの中で活かされている。

 まあそれでも格闘技の優位性すら、時にひっくり返そうとする『エアマスター』の過剰さほどの感動は、このアニメでは望むべくもないが。


『乙女と怪異と神隠し』

 監督が望月智充なのだ。監督作である『海がきこえる』はジブリアニメでも上位の評価をしている。そうした監督がまだ深夜アニメの監督をするか。

 題名の通り「怪異」現象を追うというスタイルは夢枕獏『陰陽師』シリーズや西尾維新『物語』シリーズで市民権を得て、ライトノベル界隈では定番。怪異といっても古くからあるホラーとは違う。『鬼太郎』ほどに実在感のあるキャラクターとしての「妖怪」ではない。「現象」なのだ。

 ものすごく面白い話ばかりとは言わないが、手堅い演出で見続けてしまった。


『終末トレイン』

 水島努は最近作の『荒野のコトブキ飛行隊』や『大きく振りかぶって』を見ていたが、その前の『迷家』は途中離脱で、ヒット作の『ガールズ&パンツァー』は未見。脚本の横手美智子は原作物が数知れずあるが、本作はオリジナル。さて。

 歪んでしまった世界の歪みっぷりに、時々は感嘆しつつも、アニメの質がもっと高かったらと惜しまれる。ロードムービー的な展開を見せる物語に娘はたいそう引き込まれていたが、終着駅で停滞したところも惜しい。

 全体としては印象深い作品ではあるが、手放しで絶賛するにはもう一歩。


『ファブル』

 アニメの質は低い。が、この面白さはなんなのか。もちろん原作の面白さではあるのだろうが、沢城みゆきに花澤香菜に大塚明夫という豪華声優陣を投入することで軽妙なやりとりも重厚なドラマも見せるようなレベルにしてみせる。アニメの質が低いのは残念だが。

 それにしても何で面白いのか。実写の方のアクションには目を見張ったが、そんなすごみの全くないこの質の低いアニメにして、ほとんど毎回楽しみにしてしまうこの面白さは。

『6人の女 ワケアリなわたしたち』-良質な海外ドラマ

 NHK地上波の日曜夜には海外ドラマの枠があって『赤毛のアン』や『グッドファイト』などは本当に素晴らしかったのだが、まあ総じて質の良い作品を輸入しているとはいえる。

 6人の「ワケアリ」な女たちがフランスの国立公園の山に登るという設定だけを決めて、それぞれのドラマを1回ずつ6回に分けて、通して頂上までの行程に重ねる。こういうコンセプトが明確なつくりは好感が持てる。

 そしてそれぞれに巧みなドラマを描きつつ、登場人物たちの絆が深まっていく過程や登頂の喜びが心地良い感動を与える。

 

2024年6月16日日曜日

『早朝始発の殺風景』-日常系ミステリー

  高校生の生活の中に起こるささやかな事件の謎を次々と解いていくミステリーといえば米澤穂信の「古典部」「小市民」シリーズではある。「日常の謎」系とえば古くは北村薫だ。

 それらに比べると小品ではあるが、山田杏奈が笑わないまま長い時間を過ごしているのが気になって見続けてしまった。高校生たちを主人公にしたこういう話がどう決着するのかが気になってしまう。

 ものすごく面白かったといえばそうでもないが、筆者にとって奥平大兼の3本目のドラマということで覚えておこう。


2024年6月15日土曜日

『TENNET』-辻褄

 話題作だし、クリストファー・ノーランだし。ようやく。

 『ファブル』のアクションはすごいなあと思って見たが、ハリウッドになるとスケールが違う。だが違いすぎて無感覚になる。すごさがインフレしている。旅客機を空港の建物につっこませる大がかりなスタントも、考えればすごいことはわかるのだが、邦画がそれをやることの「がんばっているな」という想像力を超えているからもう同じようには感動できない。

 さて時間の逆行という妙な設定は、あちこちでは面白かったが、それが一貫しているかどうかがどうにも計りがたく、なんとなく怪しいという感じがしてしまってノリきれなかった。

 どうなんだろ、ちゃんと辻褄は合っているんだろうか。あの妙な設定。どうも時々は都合良く順繰りに展開してるように感じたが。

 それと、主人公のヒロインに対する執着もよくわからなかった。

2024年6月14日金曜日

『約束』-日本産警察ドラマ

 シリアルキラーを追う警察ドラマ。こういうのは圧倒的に海外ドラマに分があるのだが、日本のドラマもがんばってほしいと見続けた。

 何度もどんでん返しが起こる展開は健闘しているとは言える。が、中村アンのヒロインが魅力的とも言えなかったし、真犯人が充分に衝撃的には感じなかった。残念。健闘してはいるんだが。スタッフもキャストも。

 なかなか捕まらないシリアルキラーという設定が日本向きではないことなのかもしれない。


2024年6月11日火曜日

『ザリガニの鳴くところ』-湿地

 とにかく湿地の風景が珍しくも美しかった。

 人間ドラマとしてももちろん観られたのだが、ミステリーとしては中途半端。というか、そこでそれくらいのどんでん返しをすることが、この映画全体の味わいにどう影響を与えるともつかない感じではあった。


2024年6月10日月曜日

『ザ・ファブル』『ザ・ファブル 殺さない殺し屋』-アクション

 今シーズンのアニメが妙に面白くて、実写版を見ようという気になって、見始めると、あまりアニメのストーリーとは一致していない。まあ設定は同じだから、いろいろ省略もあるんだろうと見続けているうち半分以上過ぎてもアニメのストーリーが出てこないんで調べてみると続編だった。中断して、まず一作目を観て、さらに二作目の続きを観て、併映を一度に、という昔の映画館のようなことになった。とはいえどちらも2時間以上ある。

 主人公の無敵感が「俺つええ」系の快感なのだろうか。さらにヤクザたちの強面がその対比として登場しているから、主人公の強さが一層の快感になる、わかりやすい構造ではある。

 とはいえ、二作どちらも、邦画としては突出したアクションの質の高さが際立っていた。一作目は廃棄物処理場を舞台にした長い長い戦闘シーン、二作目では冒頭の立体駐車場のカーアクションがもうすごいのだが、さらに後半の改装工事中のマンションでの、足場を活かしたアクションは、動きが立体的に構築されていて目くるめくような展開だった。そうしたアクションをイメージすることも撮影のための計画を立てることも、俳優たちがそれを実演することも、どれほどの能力と準備が必要だろうと思うと、感嘆しつつ感動したのだった。

 それにしても、そうしたアクションの魅力があるわけではないアニメが妙に面白いのはなぜかという謎は深まる。


2024年6月8日土曜日

『蜜蜂と遠雷』-音楽を描く

 原作が面白いであろう事は想像に難くないが未読なので、映画単体で。

 音楽コンクールを描くということの手間はいかばかりかと思いやられる。オーケストラを用意し、その演奏の映像を様々な角度から切り取り、演奏自体と俳優による吹き替えを合わせ、編集する。そしてできあがった音楽映画は映画なのか。音楽会、コンサートのライブ映像ではいけないのか?

 格闘技も、単にプレーだけを見たいわけではなく、戦う者たちの背景が見えないと充分に感動的ではあり得ない。それぞれの負けたくない思いに感情移入したときに、格闘技の観戦は見る者の感情を揺さぶる。

 『セッション』も『コーダ』も、単に音楽のコンサート映像を見ているわけではない。そこにドラマを見ているから感動的でもあり得る。本作はどうなのか。

 クラシックというジャンルにおけるコンクールは、単に売れる売れないという形で表れる評価とは別に、審査員に選ばれることによる不全感が拭いがたくつきまとい、さまざまな思惑が絡み合うドラマを生む。競争心と嫉妬、そして正直な賞賛。

 コンクールで競い合う者たちの友情も美しいし、丁寧に細部を描いた上で豊富なインサートでイメージを複雑にする映画作りも達者だった。

 それでも充分に面白い映画だったかといえばそうでもない。音楽における「天才」の描き方に疑問が残った。無垢なる天才というステロタイプ。どうなんだろ、小説ではここに十分な深みが描かれるのか。

 音楽を描く小説という不可能性もある一方で、単なる音楽会を撮影した映像を超える音楽映画という困難。

2024年5月1日水曜日

『コーダ あいのうた』-予想内

 主演のエミリア・ジョーンズは『ゴーストランドの惨劇』の子役でがんばっていた子だなあと思っていたら、本作はアカデミー賞で作品賞を獲ってしまった。

 アカデミー賞前後であれこれ情報が入っているので、設定やらストーリーやらはわかっている。で、見てみるとほとんどそのままなのだった。両親と兄が聾者の家庭で一人健常者のヒロインが、音楽の道を目指して家を出る、という話。事前の作品情報でいくらか薄かったのは、ヒロインの才能を見出す音楽の先生のキャラクター及びレッスンの様子くらい。

 そして、もちろん良い映画だったのだが、何かすごいものを観たという感じにならないのはこの間の『ビューティフルマインド』に続いて、だった。ストーリーから予想される葛藤やら家族の愛情やらは無論上手く描かれている。助演男優賞を獲った、本当に聾者である父親の演技は、キャラクター造形もふくめて実にうまかった。

 だが、それ以上に動揺のような感動は訪れなかった。予想の範囲内に収まってしまったのだった。感動作というふれこみに期待値が上がり過ぎたせいかもしれない。

 それでも大きく心が動いた場面は二つ。一つ目は予想外に。二つ目は予想通り。

 一つ目は物語の大きな筋立ての一つである音楽の授業の受講者によるコンサートで、練習してきた曲をヒロインとヒーローが歌う場面。途中から音を消したのだった。音を消すことによって、そこにいる聾者の家族の立場に観客を置く。音楽を聴けないことの喪失感と、その分、周囲の人がその音楽をどう受け止めているかの観察と想像に頭が使わされる。それはそれで物語的な感動があって新鮮だった。

 二つ目は、最後のオーディションでヒロインが歌いながら、途中から家族に向けて手話で歌詞を翻訳する場面。これはまあ、この設定、筋立てからすれば当然そうだろうという展開で、それが至極真っ当に感動的だったのだった。

 エミリア・ジョーンズの演技も歌も見事な映画だった。


2024年第1クール(1-3)のアニメ

『即死チートが最強すぎて、異世界のやつらがまるで相手にならないんですが。』

 題名から明らかなように、あまりにあからさまなライトノベル-ゲーム的世界観で、そうしたガジェットがこれでもかと連発される。そういう意味では『陰の実力者になりたくて!』などとも似た設定で、逆にこれは意図的にそれをパロっているのかとも思ったが、セリフも展開もあまりにチープで、そうした世界観、世界の論理への距離感は感じられない。まったく、どっぷりとそういう中二的世界で論理が完結しているように見えるところが、逆にすごいなあと思いながら見た。


『悪役令嬢レベル99~私は裏ボスですが魔王ではありません~』

 転生物でアニメの水準の低さの割に見てしまったのは前クールの『ポーション頼みで生き延びます!』に続いて、主人公がキャピキャピしていないのが心地良かったからだ。いささかチートではあるが天然で、めったに笑わない主人公が可愛いとも言える。まともに展開に期待していない分、溜めずに見てしまった。


『ループ7回目の悪役令嬢は、元敵国で自由気ままな花嫁生活を満喫する』

 転生物で王女ものといえば『ティアムーン帝国物語』だが、あっちのばかばかしい展開と違って、こちらはきわめて真面目に理知的にやり直しを試みている。題名にある「気ままな」など、まったくの戯れで、実に真面目なお話だ。いくつかの場面では、論理の積み重ねと抑制された微妙な感情の表現が実現している会話劇のレベルに舌を巻いた。


『俺だけレベルアップな件』

 最初のうちは作画のレベルと、思いがけずシリアスな展開に釣られて観ていた。成り上がりの楽しさもある。とはいえ作画のレベルが落ちなかったので最後まで見たが、1クールまるまるもたせるにはいささかマンネリではあった。


『魔女と野獣』

 マンガの方は単行本で1巻だけ読んでいて、えらく絵が上手いマンガだと思っていた。アニメの方も総じて作画も美術も頑張っていて、雰囲気は悪くない。とはいえ、このクールではまだまだ物語の片鱗が見えたくらい。


『ダンジョン飯』

 娘と見ているせいで溜めない。アニメのレベルは極めて高く安定している。

 そのまま2クール目に突入する。


『葬送のフリーレン』

 冒頭の4回分だけスペシャル版の放送だったのを観たが、その後は録り溜めたまま。年を越えて2クール放送みたい。


『異修羅』

 手のかかったアニメだった。さまざまな修羅が戦う、というコンセプトなのだが人間やらワイバーンやらマンドレークやら天使やらが同じ土俵でトーナメントをやるらしい。人間とはいえ「世界詞」とかいう、何でも話したとおりにすることのできる能力までいて、強さのインフレもどれまでいくのやら。

 既に予選のような展開で、これでも相当なキャラクターが死んでいるのに、まだ16人トーナメントの4人が出そろっただけ。1クールで。

 もう次シリーズが制作中とか。


『メタリック・ルージュ』

 最初からやけにアニメの質が高いぞ、と注目した。出渕裕が監修もしている。世界観も複雑で確かだ。

 だが面白くて先を楽しみにするということにならずに、すっかり溜めてしまって、半ば義務のように見終えた。

 「ネオン」と呼ばれる人造人間が労働力として使役される未来の話。だが、相変わらず、そういう存在があまりに「人間」過ぎる。搾取される疑似人類という設定は見慣れていてまるで新味がない。何かの面白さが生み出されているかといえば残念ながらそんなことはない。

2024年4月17日水曜日

『すずめの戸締まり』-「なかったこと」

 ロードムービー的なストーリー展開は『天気の子』よりよほど、見ている最中には楽しかった。一方で『天気の子』の、ほとんど唯一の魅力であるところの、後半にいくにしたがって高まる不穏な空気感は薄れた。本作の「みみず」には、あれほどの不穏な空気はない。『もののけ姫』の祟り神を連想させる描写だが、あれほどにはおどろおどろしくはない。なんというか、なんでもない、という感じ。大きな被害をもたらす、と説明されてはいるが、どうせ主人公たちはそれを食い止めるんだろうと高をくくっているから、それほど切迫感はない。

 そしてそれを食い止める手段は、「勇気を出して」戸の前まで行き、肉体的な力で「頑張って」戸締まりをしているだけのように見える。大災害を食い止めるのに、押しくらまんじゅうのような肉体的行為と歯を食いしばるがごとき頑張りがあるばかり。

 といって「死ぬのが怖くないのか」と問いかけられたヒロインが、なぜ「怖くない」のかわからない。震災を体験したというのがヒロインのキャラクターのバックボーンらしいが、それがこれほどの特異性を生んでいるという理屈がなんなのか、よくわからない。

 いくつもわからないことがあるが、最も大きな疑問はヒーローが、物語の初期段階で木の椅子に封じられてしまい、それ以降は映画の大半を動く椅子として行動することに、どんな面白さが想定されているか、ちっともわからないことだ。それでいて、ヒロインの動機の最大のものはヒーローに対する恋愛感情であるように描かれている。どこでどうしてそんな絆ができるような物語的な厚みがあるのかわからない。「イケメン」は命をかけるほどの動機をヒロインに抱かせるか? そうだとしても、それならなぜ大半は木の椅子にしてしまうのか?


 そもそも「みみず」は天災のメタファーなのだろう。では要石は? 閉じ師は? 天災の発生を防ごうとしている要石が、人知れず天災の元凶たる「みみず」と戦っているという設定は、人間には何の意味ももたないし、閉じ師なる存在もまた人知れずそうしてきたという設定も同様。天災は天災なのだから、それを防ぐことに「努力」することはできず、人間にできることはその被害を軽減したり復興に努めたりすることだろう。人知れず天災が阻止されたとしてもそこには何のありがたみもない。全く文字通り「なかったこと」でしかない。

 とすれば、これは一体どんな戦いなのか?

 例えば西洋ならばこういう戦いはすぐに神と悪魔の戦いということになるのだろうが、あれにはあれで共感できない。といって、本作の戦いがなぜ設定される必要があるのかはよくわからないままだった。

 物語上はやはりいろいろと上手くいっていないと思うのだが。


2024年4月1日月曜日

『高速を降りたら』『ケの日のケケケ』『ある日、下北沢で』『島根マルチバース伝』

 年度末に放送された単発ドラマをまとめて録って次々と見た。

 どれも、それぞれに物語を作ろうとする脚本家の心意気があって、見始めてうんざりして止めるというようことはなかったが、どれも手放しで絶賛、残しておきたいと思えるようなものはなかった。が、こういうふうに物語を享受するのは精神の必須栄養素だという気もする。

 『高速を降りたら』は高速道路で東京から新潟に向かう車中の3人の男の会話劇。「男らしく」いたいと思いつつも情けない現実にどう折り合うか。3組の夫婦のそれぞれの事情が少しずつ語られていく。

 『ケの日のケケケ』はNHK創作テレビドラマ大賞作品の映像化(『高速を』の作者も以前の同賞の佳作受賞者だとか)。「不機嫌なモンスターにならないためには」というモノローグで始まるところにどきりとして、映像は実に映画的で美しい。感心して見ていたがどうも物語の感動が不足している。何だろう。感覚過敏の主人公という設定が斬新だともいえるが、「不機嫌」の原因がそうした、どうにもならない身体的な条件で、人物を巡る葛藤は思いのほか少ないのが致命的。唯一出てくる理解してくれない教師は類型的で無理があると思える。何か惜しい。あれだけの映像作品なのに。

 『ある日、下北沢で』は土岐麻子や曽我部恵一や西寺郷太が実名で出てきて、音楽も西寺というサブカル的内輪感に好感が持てないこともないが、いかんせん、物語は弱い。

 『島根マルチバース伝』は並行世界を体験できる装置で、いろんな可能性の世界を体験して、結局この現実で生きていくしかないという結論になる物語。「地方発ドラマ」という趣旨のシリーズとして「島根」という地方をフューチャーしているのだが、「この世界」と「この地方」が重なっているわけだ。


2024年3月23日土曜日

『ビューティフル・マインド』-高評価の訳

 天才数学者を描いた映画と言えば近いところで『イミテーション・ゲーム』だし、統合失調症を描いた映画と言えば『シャイン』だが、アカデミー賞を総なめにしている本作は、そのどちらほどにもよくできているとは言い難い印象だった。

 無論、出来が悪いとは思わない。映画自体はロン・ハワードによる手堅い職人芸だし、ラッセル・クロウもジェニファー・コネリーも達者な演技ではあった。が、監督賞や俳優賞をとるほどの特別さとも思えなかった。主人公の妄想が、ある時突然明らかになる時に壁一面に貼られたメモの異常さが画で示される映画的な描写は見事ではあったが。

 ことにアカデミーが脚本賞を与えたというのが解せない。どこにそんな面白さがあったか。妻の愛がジョン・ナッシュを支えたという結末なのだが、そうした過程が充分に描かれているとは思えず、彼女は単に苦労したが逃げ出さなかった程度にしか描かれていないように見える。その葛藤はどんな論理で描かれているのか。

 この映画の重要な映画的トリックであるところの叙述トリックも、驚きはしたものの、感動につながったかといえばそうでもない。叙述トリックが感動的であるためには、1.伏線を回収するカタルシス。2.妄想で見えている3人が、物語的にどういう意味を持った3人であるかに納得できる。3.妄想であることがわかったとき、その事実に身を切られるような喪失感を感ずる。といった要素が必要だろう。2についてはそれなりに説明できるものの、なるほどそうだと腑に落ちるように描かれているとも思えない。ということで、意外性と主人公の狂気を描くためにいたずらに設定されている感が強かった。

 良い映画ではある。だがあれほどの評価の高さがどこから生じているかがわからない。アカデミー賞の作品賞は、何かしらアメリカ的な事情があるんだろうなと思えるのだが、それが何なのかわからない。


2024年3月20日水曜日

『一秒先の彼女』-幸せに満ちた

 アマプラのリコメンドで上がってくるまでまったくなんの情報もなかったが、かなりの高評価に、リメイクは宮藤官九郎の脚本だという。リメイク版の最初をしばらく観たが、思い直して原作を。

 台湾映画といえば『牯嶺街少年殺人事件』くらいしか観た覚えがない。さて。

 最初のうちは高評価の期待に支えられて見続けたが、軽いコメディという感触くらいでしかなかったが、消えた一日の謎をさぐるべくヒロインが動き始めてからにわかに面白くなった。ヒロインの愛嬌のあるキャラクターの魅力でもあるが、謎でひっぱるストーリーテリングの巧みさが大きい。

 だがさらに、前半が終わって後半は主人公を変えて、前半のできごとを別の視点から見せる。そして消えてしまった一日へ展開する。コメディタッチの恋愛ドラマかと思っていたら、「時間が止まる」などという超常現象が起こる展開にびっくりし、その時間の特別さが実に愛おしく描かれる。

 とりわけ、満潮になると水面下に沈む、何かの養殖場らしい桟橋をバスが走るシーンは、高揚感に満ちた展開なうえにとても美しかった。

 基本的には伏線を張って、それを幸せな方向に決着させる、本当によくできた幸せな映画だった。

2024年3月2日土曜日

『スウィング・オブ・ザ・デッド』-低予算ゾンビ映画

 インディーズでゾンビ物といえば『コリン』だが、これもまあセンスは悪くない感じではあった。

 ただ、何か心揺さぶられるようなエピソードがあるかというとそうでもなかった。がっかりしてしまうような安っぽい描き方にいらいらするというわけではないが、だからといって面白さがあるかといえばまたそれは別の話。後味が悪いのも残念。

 緑がやたらときれいなのは印象的だったが。


2024年2月26日月曜日

『レヴェナント:蘇えりし者』-大自然

 イニャリトゥ監督は『バベル』『バードマン』についでやっと3作目。

 画面の重厚感は強烈で、アメリカ大陸開拓時の自然に対する人間の足掻きは、すこぶる直裁的な肉体的脅威として観るものに迫ってくる。先住民との抗争も、平面移動が空間的な広がりを感じさせる撮影演出が見事だった。

 だが、それほど面白い物語とも思えない。わかりやすい復讐譚であり、そこに爽快感のようなものがあるかといえば、それよりも喪失感の方が大きく、後味が良いとも言えない。一方で何か、アメリカという国の成り立ちにかかわる啓示があるというような感じもしなかった。アメリカ国民が見ると抱くような感慨が起こらないことは映画の罪ではなくこちらの問題なのかもしれないが。


2024年2月25日日曜日

『ベイビーわるきゅーれ』『最強殺し屋伝説国岡』-オフビートな

 殺し屋の女子高生コンビが、オフビートな殺し屋ライフを送りつつ、時々ハードなアクションを見せる。

 ものすごく面白いかといえばそうでもないが、軽妙なやりとりが続く展開は悪くない。そして最後の大立ち回りのアクションは相当によくできていた。とはいえ、結局徒手格闘ということになれば体格の問題が大きく影響するはずで、そこをごまかしているという点では気になる。

 スピンオフの『最強~』は時々跳ばして見たのだが、こちらはさらにちゃちかった。まったく不必要に長い格闘シーンのシークエンスは、『ゼイリブ』のような、単なる過剰で、リアリティも中途半端。

2024年2月23日金曜日

『今朝の秋』-ドラマの力

 山田太一死去に伴う一連の追悼放送で、NHKは『チロルの挽歌』とこれを放送したのだった。いや、各局がそれぞれにもっているソフトを放送しても良いはずなのに、この程度なのはどういうわけか。権利問題とかいろいろあるんだろうか。単にテレビ局の営業的な判断だとすれば、山田太一の文化的な貢献の価値に対する信じがたい軽視に思えるのだが。

 ところで本作は大学生時の放送だから、録画したはずもなし、リアルタイムで観たのか再放送で観たのかもわからないが、あの頃にはこういうドラマの良さはわからなかった。

 山田太一といえばテーマ先行で、中学生の時に知って以来、ドラマを通じて社会の問題をどう考えればいいのかを学ぶ教材として観ていた。もちろんその問題の考え方として重要なのは複数の視点から見るバランス感覚だ。山田太一ドラマ及びエッセイは、その点では思春期における思想形成には絶大な影響があった。

 だが同時に、それはドラマ(物語)という形式をとっていることが大きかった。「問題」に伴う人間の感情の在り方に対する想像力が欠けていては、バランスと呼ぶに値しない。

 そして本作はそうした意味で「テーマ」型のドラマとは言いがたい。言えば「老境」と「息子の死」ということになるのだろうが、これは上記のような意味での「問題」ではなく、それについての考察が展開されるというタイプの物語でもない。大学生の身にこうしたテーマがリアルかと言えばそうとも言えず、正直、印象は薄い。ラストシーンの笠智衆の表情が趣深いと当時、テレビ評で見た覚えがあるのだが、そういうのはよくわからなかった。

 さて、それから40年経って観てみると、なるほどそうなのだった。趣深い。笠智衆の存在感が、あまりに貴重なのだった。

 ドラマとしては、息子の病室から帰る病院の廊下で、息子を故郷の蓼科に連れて行ってしまおうと思いついて病室に戻るシーンから後の展開の高揚感と、その後の蓼科での穏やかな多幸感は、やはりドラマとして力があった。

 それにしても、40年前に既に、最後は皆で集まって歌を歌うのか!


『劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜』-高校の部活動

 テレビシリーズを見てきて、この物語及びアニメの水準の高さには敬服してきた。が、キャラクターデザインの「アニメ過ぎる」ところに抵抗もあって、何が何でも追っかけるぞというほどに熱心にもなれない。

 が、観てみればやはりよくできている。アニメの水準の高さはさすがの京アニ。そして、高校の部活動の悲喜こもごもが、実によく描かれている。みんなが意思統一することの難しさ。学年が変わって新体制になるときのトラブル。技術と学年の逆転が起こる悲劇。

 そして多くの時間をかけてそうした問題を乗り越えてきた結果が、目標に届かなかった時の痛み。

 4月からのクールで主人公が3学年になる新シリーズが放送されるというので、その前宣伝だったのだが、これも楽しみになった。

2024年2月22日木曜日

『チップス先生さようなら』-長い間

 最近、小説の方を読んで。69年のピーター・オトゥール版を。観た記憶はあるんだが、見覚えのあるシーンは全くなかった。おまけにミュージカルだったのも記憶になかったので、歌い出してビックリ。なんとも古き良きイギリスのパブリック・スクールの日々が描かれているが、映画のつくりとしても古き良きハリウッド映画という感じ。あんなに多くの学生をエキストラで登場させるだけでも、大変な金と手間がかかっているだろうに。

 さて、ミュージカル要素にはまったく心を動かされないのでそこにはプラスもマイナスもない。それ以外の物語要素は、小説と同じ手触りの愛おしさがあった。大きく脚色されていて、ほとんど重なるエピソードはないのだが、それでも。

 長い時間が経過する。チップスは登場する時点で中年なのだが、そこから最晩年まで(小説ではその最期まで)が、世代の入れ替わりで示される。変わってゆくチップスと変わらない学生たちが対比される。チップス自身の変わらない部分と変わってゆく部分も。

 そうしたテーマを描くのに、チップスの専門教科が古典というのが的確に対応している。こんな勉強が何になるのかという引いた視線も持ちつつも、戦争の色濃い非常時に通常の古典の授業をやり続けることの意義を説く教師魂は共感できる。

 そして小説版、映画版とも、自分には何千人の子供がいると語るシーンが感動的だったのは不思議だった。映画版のピーター・オトゥールの演技が感動的なのは間違いないのだが、テキストで読んでもやはりそのくだりは感動的だった。

 メディアの語り口というのは、物語の感動にとって最重要要素だと思っていたのだが、必ずしもそうとも限らないか。いや、その内容の感動的であることを充分伝えるだけの語り口をそれぞれの作品が実現していたということか。

2024年2月12日月曜日

『グリッドマン・ユニバース』-胸熱

 評判も良さそうだったし、劇場公開時に見に行こうかという気も無いでは無かったが、早々にアマプラに出たなあと思ってしばらく放置。娘とタイミングが合ってようやく。

 大満足と言って良い。相変わらず美術のリアリティにもうなるが、台詞回しのうまさは演出のうまさなんだろうと思わせる、実に味わい深いやりとりが続く。オフビート感とエモーショナルの両立・共存。

 何より魅力的なのは世界に対する違和感で、この世界、なんかおかしい、という気配が濃厚になってからのシークエンスは作画のレベルも極めて高く、ドキドキした。

 惜しむらくはブログ主に特撮ヒーロー趣味のないことで、愛好者にはたまらないだろう格闘シーンとか、どうでもいい。

 ただ、オールスターキャストが大集結、という展開は二つのテレビシリーズを見てきた者には胸熱だった。

2024年2月4日日曜日

『ラン・オールナイト』-気楽

 実に一ヶ月ぶりで、今年に入ってようやく2本目。本当に昨年後半から、映画を観る時間をとるのが実に難しい。録画したものがあれこれ溜まっていくばかりで、その消化を優先していると映画のようにまとまった時間を必要とする視聴ができずに毎日過ぎていく。

 ということで週末に思い切って観ようと決める。だが久しぶりなので構えずに観られる洋画を、と本作。お話は実にシリアスだが、気楽に観られるアクション映画。

 ジャウム・コレット・セラとリーアム・ニーソンといえば『アンノウン』も『トレイン・ミッション』も『フライト・ゲーム』も面白かった。一方でリーアム・ニーソンが子供を助けるために、昔の殺人術を駆使して、となれば『96時間』シリーズで、これも期待できる。

 で、展開のスピードもアクションの質も間然するところがない。実にうまい。

 どうやって決着をつけるのか見当もつかないと思っていたら、なるほど主人公が全部被って死ぬという落としどころか。

 最後の戦いがやや冗長で残念とは思ったが、最後のショットの演出は実に爽快でかっこよかったので、それも許す。

 新味はなかったが、映画リハビリには良かった。

2024年1月3日水曜日

『地球外少年少女』-圧倒的

 年末にNHKで6回に分けて放送していたが、昨年『電脳コイル』の再放送は、磯光雄の『電脳コイル』以来の新作だという本作の宣伝だったはずだ。ということで劇場版という認識だった。

 正月に帰ってきている娘とともに一気観する。


 いやはやおそろしい出来だった。ものすごく面白い。

 ストーリー展開が緊密で、ずっと先に引っ張られる。隙のない脚本に舌を巻いていると、そもそもアニメとしての描写がうまい。

 その上、AIの判断をどこまで正しいと見なすかという哲学的な問題を、ありがちな安っぽさではなく、実に真面目に扱っている。

 圧倒的なレベルの作品。寡作もいたしかたないという磯の仕事なのだった。