2023年12月31日日曜日

2023年第4クール(10-12)のアニメ

 第3クールは見たものが少なかったが、一転、第4クールはいっぱい観るものがあって、映画を観ている時間が圧迫される。というか、ちっとも映画を観ていない。

 かつ、録画したまま観ていないのもあるが、このまま年越しになりそう。


『ポーション頼みで生き延びます!』

 基本はスルーの異世界もので、かつアニメの質もかなり低レベルだったが、あにはからんやヒロインのキャラクターがすがすがしくて毎回楽しみに観てしまった。設定は限りなくチートなのだが、主人公が「ドジっ子」のように観ていてイライラするタイプではなく、むしろしっかりした現実的な判断をすることが特徴的なキャラとして設定されていて、どうやら今までヒロインを演じたことがないらしい主役の声優の起用も、そうしたしっかりキャラにはまっていて安定感があった。

 ところでこのひどいアニメの監督は「惑星のさみだれ」の監督なのだった。むべなるかな。


『ティアムーン帝国物語〜断頭台から始まる、姫の転生逆転ストーリー〜』

 異世界転生ではないが、転生ではある。

 転生してのやり直しに対してそれなりに誠実であろうとする姿勢に好感がもてて見始めた。『ポーション頼みで』とセットで、土曜の深夜に放送されたものを日曜日に観る習慣ができて、溜めずに観たのだった。


『豚のレバーは加熱しろ』

 一つのクールで三つも転生物を見てしまうというのはどうかと思うが、ふざけた設定だと思っていたら意外なシリアス展開に見続けてしまった。後から知ったところによれば電撃文庫大賞というから「ブギーポップ」や「バッカーノ!」の末裔か。『ティアムーン帝国物語』とともに赤尾でこが1クールに2本もシリーズ構成をしている。しかも転生物を。シリーズ1巻を1クールで完結させるというゆったりの展開で、終わりの切なさも上出来だった。


『アンダーニンジャ』

 アニメーションは微妙な出来だったが、原作の面白さと声優の演技の面白さに引っ張られて見続けた。面白かったが話が全然終わっていない。といって続きがつくられたりもしなさそう。


『陰の実力者になりたくて!』

 第1シーズンに続いて、すぐにわけがわからなくなるが、「いわゆる」を相対化する視点の軽やかさが時々心地良いので結局最後まで。

 基本的には声優起用といい作画といい、金がかかっている。


『呪術廻戦』

 とりあえず渋谷事変の終わりまで。相変わらず絶望を描くのがうまいのは原作ゆずりとして、アニメーションのレベルの高いのは驚異的だった。トイレの中の格闘などは、はっきりいってハリウッドのアクションシーンを超えて世界最高峰と言って良い。


『デッドマウント・デスプレイ』

 第2クールのシーズン1は録り溜めて一気観した。それから数ヶ月経って、やはり録り溜めたままクールを終えて年を越したままにしていたのを、連休があって見始めると、展開がわからなくなっている。それでシーズン1を観直し始めたら、あれよと面白くなった。とにかく登場人物が多く、複数勢力がバトルロイヤル状態になっていくところは『デュラララ!!』譲りだ。正邪も定かではないし、利害も複雑なので簡単には先が読めない。

 いくらでも悪い奴やら人ではない者たちが出てくる中で、なんとか人間やら人間「性」やらにがんばってほしいと思ってしまう。


『地球外少年少女』

 磯光雄の久しぶりの仕事は、高いレベルの期待を全く裏切らない、驚くべき傑作なのだった。すごい。これが100億超えにならない映画興行は哀しい事態だと思いつつ、筆者も劇場には行かなかったのだった。


『葬送のフリーレン』

 冒頭の4回分だけスペシャル版の放送だったのを観たが、その後は録り溜めたまま。年を越えて2クール放送をするようだ。

2023年12月23日土曜日

『時をかけるな、恋人たち』-上田誠といえば

  上田誠の脚本でタイムマシン物といえば。

 すっかり録り溜めて、放送が終わってから一気観。

 毎回、演出の軽やかさと、瑛太と吉岡里帆の達者な演技で、楽しくも観ていられたし、伏線回収の鮮やかさはさすがの上田誠だった。

 楽しかった。これもカンテレなのか!


2023年12月3日日曜日

『春の一族』-山田太一追悼

 山田太一追悼。

 関わらないでいることの楽さと、関わることの喜びに踏み出す勇気と、というテーマが全面に出過ぎているとも思えたが、全体としては微妙な感情の拾い上げ方はさすがの山田節だった。

 それにしてもちょうど30年前に、こうして中年の恋どころか、老人の恋心さえ描いていたのか。

 あらためて感慨深い。

2023年12月2日土曜日

『スポットライト 世紀のスクープ』-アメリカ社会にとって

 手堅い社会派映画で、「問題」の捉え方も、ジャーナリズムの社会的役割も、組織の論理に左右される人間の選択の難しさも実によく描いている。

 が、ものすごく面白いかといえばそうでもない。こういうのは難しい。面白さがどこから生ずるのかというのは。

 アカデミー賞で作品賞だというのだが、この年に『ルーム』がノミネートだと聞くと、評価は人それぞれだと思う。いや、もちろん優れた映画ではある。アカデミー賞としてはこれを第一に推すというのもわかる。アメリカ社会にとってはそれだけの重要性を持った映画なのだろう。

 だが、その物語が自分にとってどんな意味があるのか、とか、その物語に触れている時間や、それから後で思い返すその物語の世界がどんなものだったのか、といった物語の「面白さ」は作品の客観的なレベルとはまた違ったところにあるのだ。

2023年11月25日土曜日

『騙し絵の牙』-テレビドラマでいい

 吉田大八は『桐島、部活やめるってよ』の評価でも、世間とブログ主の不一致があり、これも、それほどすごい映画とは感じなかった。確かに面白い展開で、そこそこに意外な「騙し」も効いている。雑誌作りのわくわく感もある。

 だが映画である必要は感じなかった。映画は、一つには予算的に大規模でなければならないような物語を作ることか、ある完結した世界を作ることに価値があるのだと思うのだが、この作品はどちらでもない、テレビドラマでいいじゃん、と思えるような物語にしかなっていなかった。

2023年11月5日日曜日

『バンクシー 抗うものたちのアート革命』-さまざまな問い

 バンクシーに興味はあるものの、まとめて知ろうとしたことはなく、作品も、目に入る偶然に任せているだけだった。テレビ放送を見つけたので録画してみてみる。

 これはNHKのドキュメントシリーズ『世界サブカルチャー史』だ。ある時代、ある地域、イギリスやアメリカやヨーロッパのサブカルチャーの歴史をざっとたどって通観できる。

 もちろんバンクシーだからアート(美術)界隈を中心とする歴史だが、そこには権威づけられたハイアートとサブカルチャーの緊張があり、アートが社会にとって、大衆にとってどういう意味があるか、という問いかけがある。デュシャンの「泉」はあざとすぎ、ただの「意図」が見えるだけで心が動かないが、バンクシーはさまざまな問いの形がそれ自体新鮮でありながら、「絵」としても心を打つから見事だ。

2023年10月15日日曜日

『VIVANT』-萎える

 豪華キャストに大規模海外ロケとかまびすしい宣伝に乗せられて見始めると、なるほど手がかかっている。これで脚本が安かったら見るに値しないが、そういうこともない。

 というより、日本のドラマとしてはほとんど類を見ないほどよく考えられている。こういう、構成の込み入った、コンゲーム仕立てのポリティカルアクションが見るに値すること自体が驚くべきことではある。ここが真相かという驚くべき展開が幾重にも裏切られていく。その末にヒューマンな決着に向かうポジティブさもいい。

 にもかかわらず、最後まで見るには少々うんざりしながら半ば義務感に押されてようやく、ということになったのは、どうにも大仰な演出についていけないからだ。あれだけの芸達者たちが集まって、熱演につぐ熱演を見せるのだが、これがどうにもアツクルシイ。

 いや『最高の教師』もまた結構あつくるしいドラマではあった。時折身が引けてしまうところがないとは言わないが、全体としては打たれてもいた。

 それが『VIVANT』では生じなかったのはどういうわけか。

 大体、謎のワードを題名にして、それが何なのかがわかったあともそのまま題名として使われていることに萎えてしまう。『別班』でいいではないか。謎を引きとして使うことが自己目的化している。そういうあざとさが、あつくるしいヒューマン風味とあいまって、ちょっとうんざりしてしまったのだった。

2023年10月9日月曜日

『リチャード・ジュエル』-間然するところない

 もちろんいずれ見ようと思っていたのだが、アマプラの見放題が終わりそうなのに後押しされて。

 正義感が強すぎてかえって周囲にうっとうしがられる主人公が、少数の理解者とともに官憲と戦って勝利するまでの過程が、呆れるほど手堅く描かれる。そう、クリント・イーストウッドというキャラクターが背後にいるのは確実なのに、映画の手触りは驚くほど滑らかで、必要なことがあまりに的確に描かれていくと感じられる。不自然さとかぎこちなさがまったく感じられない。こういうのを職業監督というのだろう。

 間然するところがない。

2023年10月2日月曜日

2023年第3クール(7-10)のアニメ

『アンデッドガール・マーダーファルス』

 超常現象がアリの世界でそれでもミステリーという、いくつかは先行例はあるものの、ちょっと掟破りの設定で、かつホームズやルパンやらオールスターキャストが楽しそうだと思って見続けた。最終話ではいささか読みようがない真相にちょっとうんざりしたが。


『無職転生』

 第1シーズンを配信で観ているので、第2シーズンは最初から放送時にそのまま。

 監督も替わって、第1シーズンほどのクオリティはないが、登場人物たちへの愛着も、ときどきやはり面白いと思わせる場面も、捨てがたい。主人公の心中語を杉田智和が演ずるのがやはり大きな魅力の一つ。まるで『涼宮ハルヒ』だが、確かにキャラクター的にも大いなる共通性があるな。


『文豪ストレイドッグス』

断片的にチャンネル替えの途中で観る作画は安定して高品質だったので、ずっと気になってはいたので、このクールはとうとう。やっぱりここまで観ていないのでちっとも話がわからないのだが、アニメはうまかった。


『呪術廻戦』

 安定。すごいレベルで。

 渋谷事変をアニメ化するかぁ。とうとう。

 そのまま第4クールに続く。

2023年10月1日日曜日

『こころ』-絵解き

 名匠市川崑の1955年作品。

 意外なほど原作通りに忠実に映像化しているし、いくつかの場面では微妙な心理の綾も描かれているとは思うが、とうてい原作のような情報量はなく、そして解釈は平板だった。いや、もしかしたら「私」とKの男色解釈も微妙に組み込んでいるのかもしれない。だが特に職業柄関心を持たざるを得ないその近辺では、実に残念な省略があって、いっそうその平板さが印象的だった。

 そのわりに作品全体を映画化しようとする以上、先生と大学生の「わたし」のかかわりに大きく時間を割くしかなく、どうにも蛇足と思われる終盤の大学生と奥さん(静)のエピソードの創作にはがっかり。

 西川美和の『ゆれる』を観たときに「これって『こころ』だなあ」と思った記憶がある。もはやどうしてそうなのかは全く覚えていないが。

 それに比べれば、市川崑の演出の手堅さを認めるとしても、面白かったかといえば面白くはなかった。

この1年に観た映画・ドラマ 2022-2023

  8月末で「この1年」を区切る習慣になっているのだが、1ヶ月以上過ごして、なんとその間、一本の映画も観ていない。仕事の合間に録画したテレビドラマやらアニメやらの消化に追われて、2時間腰を据えて映画を観るという態勢になれない。

 約70本のリストを見直してみると、この1年を象徴するような一本がないのだった。それでもとりあえず10本。


11/06『パーティーで女の子に話しかけるには』-パンクSF

11/13『女神の見えざる手』-最高級

11/27『孤独なふりした世界で』-孤独な終末

1/6『トゥルーマン・ショー』-複雑な感情

1/22『15時17分、パリ行き』-驚愕の映画作り

4/8『イミテーション・ゲーム』-人間のふり

4/22『バードマン あるいは無知がもたらす予期せぬ奇跡』-なんとも

5/29『ペンタゴンペーパーズ 最高機密文書』-社会正義とエンタメ

8/7『トレインスポッティング』-「青春」の一つのあり方

8/10『トレインスポッティング2』-前作という「青春」

8/19『キャスト・アウェイ』-相対化


 次点

3/7『Run』-満足度の高い小規模映画

3/31『メランコリック』-磯崎義知という役者


 『女神の見えざる手』『トゥルーマン・ショー』『15時17分、パリ行き』『イミテーション・ゲーム』『バードマン あるいは無知がもたらす予期せぬ奇跡』『ペンタゴンペーパーズ 最高機密文書』『キャスト・アウェイ』あたりのメジャー映画はさすがのつくりにうならされた。

 『トレインスポッティング』は2本セットで、流石のダニー・ボイルの力業にも圧倒されるが、なんとも忘れがたい「青春」の味わい。

 『パーティーで女の子に話しかけるには』『孤独なふりした世界で』『Run』『メランコリック』あたりは小品としての味わい深さと愛しさで10~12本に数えたが、これらが入るくらいには良い映画が少なかったともいえる。なぜか小品のこれらのうち2本にエル・ファニングが出ている不思議。

 それにしても12本まで数えて邦画がようやく一本。

 とはいえ観直し映画には素晴らしい邦画もある。

 この1年では、観直しの『涼宮ハルヒの消失』『東京ゴッドファーザーズ』『雲のむこう、約束の場所』はアニメとして完成度が高かったり思い入れがあったり、やはり素晴らしかった。実写の『ホワイトハウス・ダウン』『クライマーズ・ハイ』『打ち上げ花火』もやはり圧倒される思いがあった。


 ところで海外のテレビドラマのシリーズをアマプラやテレビで見続けたりもした。いくつかは実に「あたり」だった。アメリカだったり欧州のどこかのだったりする刑事ドラマやらサスペンスやら。これらの印象は、多くの映画に比べても負けない強さをもっている。

 ところで日本のドラマも(上記の通り今年の邦画は振るわなかったものの)いくつかは忘れがたい印象を残したものを観た。

 「大豆田とわ子と三人の元夫」をようやく観たのだが、これは驚嘆すべき面白さだった。坂元裕二の脚本がすごいのはもちろんだが、演出とキャスティングが相俟って。毎回カメラに向かって松たか子がタイトルを言うのは楽屋落ちになる危険があるはずなのに、まったくその危うさを感じさせない堂々の余裕で、そのユーモアを観客に伝える。伊藤沙莉をナレーターとしてのみ採用し、これがまた効果的、という、本当にレベルの高いドラマだった。

 坂元裕二の安定に比べるとまるで危なっかしいが、「最高の教師」には熱狂した。次の回が待ち遠しく、録画して程なく観てしまうという番組はそうそうない。サスペンスでひっぱる興味も効いていたが、なにより、若手俳優陣の熱演がすごくて。最終回の一つ前の回まできて、そこまで全く表に出てこなかった名前もわからない生徒がすごい演技を見せて圧倒されたり。

 もちろん「最高の教師」というテーマが既に相当に危ないし、最後にそれをもう一ひねりするにしても、その説教臭さはあまりいただけない、とは思っていた。だが、最後に「のぶたをプロデュース」のような人の悪意を描くのかと思いきや、独特の人物造形をそこに配置する結末にうなった。

 ネットにスピンオフが公開されているが、これまた驚嘆すべきレベルで役者陣が劇中の人物として語っている。ドラマ中の時間の3年後という設定でインタビューを受ける、という、完全に脚本と演技の力で成り立つすごいドラマ。

 さらに「最高の教師」の外伝で「最高の生徒」というドラマも作られていて、こちらは単に女子高生が遺伝病で1年の命と告げられてからの日々という、甘々の下手物になりそうな設定なのだが、これまたキャストの演技が見事で、ちゃんと彼女の最期が重大事であることが観客に伝わる。これもまた忘れがたい。

 そして「エルピス」も、あらためて全話観た。全話観ると前に観た最後の3話の感動もひとしお。力のある台詞を力のある演技で見せる力のある演出。脚本、俳優、演出が力を発揮した見事な完成度だった。これが「大豆田とわ子と三人の元夫」と同じ「カンテレ」の制作だということも今回初めて意識した。


 以下、今年観た映画リスト。


9/15『ニューヨーク公共図書館』-寡黙なドキュメンタリー

9/17『友だちのうちはどこ』-前と同じ

9/18『パーフェクト・トラップ』-『SAW』トリックは無し

9/20『泣きたい私は猫をかぶる』-アニメ的にうまいだけの

9/24『8番目の男』-真面目に見られない裁判劇

9/24『特捜部Q カルテ64』-ますます偏屈

9/26『特捜部Q キジ殺し』-なぜか面白い

9/27『埋もれる殺意 18年後の慟哭』

10/22『漁港の肉子ちゃん』-愚かで無垢な

10/23『9人の翻訳家 囚われたベストセラー』-バランス感覚

10/27『ロスト・ボディ』-後味が良くない

10/30『埋もれる殺意 39年目の真実』

10/31『涼宮ハルヒの消失』-13年を挟んで

11/06『パーティーで女の子に話しかけるには』-パンクSF

11/06『サン・オブ・ザ・デッド』-ゾンビに肩入れ

11/13『女神の見えざる手』-最高級

11/13『プリズナーズ』-父親の焦燥

11/21『鑑定人と顔のない依頼人』-映画的

11/26『地球最後の男』『アイ・アム・レジェンド』-リメイク見比べ

11/27『孤独なふりした世界で』-孤独な終末

12/3『クレイジーズ 42日後』-安上がり

12/7『音楽』-音楽の初期衝動、みたいな

12/7『ファイナル・アワーズ』-それなりに大作で佳作

12/10『ラスト・ブラッド』-何も

12/14『ハイテンション』-ハイテンション

1/1『竜とそばかすの姫』-当然のように

1/1『劇場版 少女歌劇レビュースターライト』-贅沢を言えば

1/1『東京ゴッドファーザーズ』-圧倒的

1/3『The Devil's Hour』-物語につきあう

1/6『トゥルーマン・ショー』-複雑な感情

1/7『ハンガー・ゲーム』-予断

1/9『ハンガー・ゲーム2』-途中

1/14『ファイナル・デッドサーキット』-漸減

1/17『雲のむこう、約束の場所』-圧倒的に感動的

1/21『ペリフェラル ~接続された未来~』

1/22『15時17分、パリ行き』-驚愕の映画作り

2/4『映画大好きポンポさん』-理屈が立たない

2/5『ガントレット』-やりすぎ

2/14『ジェイソン・ボーン』-カーチェイスの凄さ

2/19『パラドクス』-年来の

2/25『ブロンコ・ビリー』-ハッピーエンドに残るほろ苦さ

3/7『Run』-満足度の高い小規模映画

3/9『Swallow』-ヘイリー・ベネット

3/15『ホワイトハウス・ダウン』-面白い

3/18『エンド・オブ・ホワイトハウス』-続けて競作を

3/20『KOTOKO』-巧い役者としてのCocco

3/21『エンド・オブ・キングダム』『エンド・オブ・ステイツ』-

3/22『ドント・ブリーズ2』-腹八分目

3/24『クワイエット・プレイス2』-また八分目

3/26『キャメラを止めるな』-邦画リメイク

3/26『ハードコア』-全編一人称カメラ

3/27『プロメア』-疲れる

3/31『メランコリック』-磯崎義知という役者

4/8『イミテーション・ゲーム』-人間のふり

4/22『バードマン あるいは無知がもたらす予期せぬ奇跡』-なんとも

4/25『BECKY』-タフなローティーン

5/1『プリズン・エクスペリメント』-看守への共感

5/5『プロミシング・ヤング・ウーマン』-リアルな問題

5/19『ダーク・アンド・ウィケッド』-キリスト教圏ホラー

5/29『ペンタゴンペーパーズ 最高機密文書』-社会正義とエンタメ

6/28『クロール 凶暴領域』-強い父娘

7/1『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』-切ない懐かしさ

7/19『ハロウィン KILLS』-解明されないミステリー

7/23『ヒッチャー』-行動原理

7/29『アンテベラム』-SF? オカルト? サイコ?

8/7『トレインスポッティング』-「青春」の一つのあり方

8/10『トレインスポッティング2』-前作という「青春」

8/10『ブラック・フォン』-明確な欠点

8/11『ブラック・ボックス』-好みの結末

8/14『クライマーズ・ハイ』-それぞれの「善」

8/15『打ち上げ花火』-「懐かしい」

8/19『キャスト・アウェイ』-相対化

8/21『ラスト・ナイト・イン・ソーホー』-脚本のうまさでひっぱる


2023年8月21日月曜日

『ラスト・ナイト・イン・ソーホー』-脚本のうまさでひっぱる

 評価の高いホラー・サスペンスを。

 確かに亡霊がわらわらと出てきてヒロインを脅かすのだが、ほとんど怖いわけではない。それよりも、この後どうなっていくのかというサスペンスの方が物語をひっぱる。ある種の、精神的なタイムリープが設定されているのだが、過去の誰と現在の誰が対応しているのかについて観客をミスリードさせて意外な結末で締めるという、かなりよくできたお話だった。

2023年8月19日土曜日

『キャスト・アウェイ』-相対化

 これもまた「世界サブカルチャー史」の導きがなかったらあえて観ようとは思わなかったであろう映画だが、観始めるととても面白い。飛行機事故で遭難して無人島で4年過ごし、筏で海に乗り出したところで貨物船に発見されて生還する、というそれだけの話なのだが、となれば問題はディテールだ。文明社会での生活ぶりと、無人島でのサバイバル生活の対比、サバイバル生活における飲み水や食料、火の貴重さや孤独との戦い、物資の調達などを、どれほどリアルに感じさせるか。

 もちろん甘いという批判はあろう。実際のところ生き延びるのは困難だろうが、ありえないと断定してしまう必要はなかろう。あることにしないと物語は成立せず、その中ではそれなりにありそうな細部を描く。

 そして文明社会に戻ってきて、そこにある豊かさがあらためて相対化される。この感じは最近では『トレイン・スポッティング』で、荒んだ生活と真っ当な社会生活が対比されることで、その「真っ当」さが相対化される感覚と似ている。本作では文明の利便性は、文明社会にあっては当たり前だからこそその価値をあらためて再浮上させつつ、だからこそその価値を失っていることを実感させもする。例えば「チャッカマン」でカチカチと火を点けて憮然とする主人公は、無人島での火起こしの苦労を思い出しているのだろうが(観客も同時に想起する)、その表情はその便利さに感謝するというよりは、火が起きたときの感動を失っていることを示しているのだ。

 孤独と愛情も同様だ。無人島でバレーボールに顔を描いて「ウィルソン」と名付け、話し相手にする設定は、孤独を描写する巧みな方法だった。筏からウィルソンが流されて遠ざかって行くシーンは本当に悲しかった。映画は、悲しいと感じさせるだけの描写に成功していたのだった。そして、戻ってきて再会できた妻とまた別れなければならない最後は、文明社会にあっても、本当に価値あるものを失うことの痛みは、状況にかかわらない普遍的なものであることをも感じさせた。

 最後に、遭難によって届かなかった荷物を送り先に届けようとするエピソードは、因果を収束させようとする脚本的な魅力に富んでいたが、それだけでなく、最後の交差点の先に拡がる空間の茫漠とした広がりが未来に対する不安と期待を象徴していることは明らかで、そのことを強く感じさせる映画的な描写は素晴らしかった。

2023年8月15日火曜日

『打ち上げ花火』-「懐かしい」

 最近の「家庭教師のトライ」のCMが本作のパロディであることに気づいたのは、あろうことが筆者ではなく、本編を見たこともない娘だった。そんな話題が帰省した息子を交えたタイミングで交わされたのを機に、やはり観たことがないという息子と観直した。さらに勢いに乗って『少年たちは花火を横から見たかった』まで。

 前回観た時から長い時間を経ているわけではないので、感想は前回と大きく変わるわけではない。やはり感動の中心は「懐かしさ」だった。

 それから、あらためて『少年たちは』を観て、本作には「銀河鉄道の夜」がモチーフになっていることと、未定稿の朗読劇が主役二人によって実演されているシーンに感慨を覚えた。最近丁度、朗読劇にかかわっていて、その中で「銀河鉄道の夜」が候補として検討されたのだった。あらためてアニメ版を観直し、初めて原作を通読した。

 そんなこともあっての朗読劇は、なんとも面白いと思えたのだが、とはいえ、ありえたかもしれないその場面としてそれを朗読によって想像すること自体がやはり奇妙に「懐かしい」のだった。

2023年8月14日月曜日

『クライマーズ・ハイ』-それぞれの「善」

 もう一度あの凄さを確かめたくて録画して観ると、実際に日航機事故のあった時季にあわせた放送なのだということに、10数年ぶりに観直してみて気づいた。

 あらためて原田眞人監督作なのだということも今回認識した。多分前に観たときには原田眞人の他作品についての認識もなかったのだろうと思う。そう思って観ると、本当に見事に原田眞人ならではの群像劇なのだった。新聞社のフロアにいる数十人がそれぞれの「自分」を演じていて、それが細かく画面に掬い上げられている。撮影も編集も、神業のように思える。その演出プランを可能にしている脚本も本当に見事だ。同じ原田監督の『浅間山荘』でも同じように感じたが、例えば同じタイプの物語であるはずの『Fukushima 50』がこれにはるかに及ばないのをみると、原田眞人がどれほどすごいかをあらためて感じる。

 もともと原作の魅力の多くの部分はまさしく、それはそれは見事な群像劇であることだ。単に多くの人物がリアリティを持っているというだけではない。多くの「立場」が、それぞれにリアリティを持っていることが、横山秀夫の原作の見事さなのだった。単に善悪の対立ではない、それぞれにとっての「善」の対立。

 それをあますところなく描ける映画監督としては、現在の日本映画で原田眞人以上の監督は思いつかない。


 18年前にはNHKのドラマ版の『クライマーズ・ハイ』にもえらく感心した。そこで映画版を観終わってすぐ、ドラマ版も観直してみた。やはり尋常のドラマにはない緊張の連続する重厚なドラマだった。が、ほとんど同じ尺の映画版は、単に画面の単価が高いという以上に、脚本も演出も、さまざまな細部が詰められていて、密度の高い、本当に見事な物語になっているのだった。


2023年8月11日金曜日

『ブラック・ボックス』-好みの結末

 事故によって記憶に障害のできた主人公が、実は事故の際に別の「人格」をインストールされていたのだ、という設定なのだが、この設定を素直に受け入れられない。

 この手の設定では、脳に障害があって体が健康な者と、その逆に不治の病に冒された健康な脳とが組み合わせられるのが合理的だが、本作では二人とも事故で脳に物理的な損壊を受けてしまう。生前の「人格」がデジタルデータになっていて、それをインストールするとその人になるなどという科学力がどれほど未来のことになるのか想像できない。他人から見た「その人」がデジタル的に再現できるようになるのはそれほど遠くないだろう。だが、そうしたAIが自意識を持った「その人」自身になるのは、次元の違った困難を伴うはずだ。「その人」を構成する情報がどれほど多量なのかも、それをどうデジタル情報に変換するかも、想像だに難しいはずだが、それが、それほど未来であるようにも設定されていないらしい映画内世界において実現するなどという設定を受け入れることができない。

 無理な設定を受け入れないと物語、とりわけSFを享受することはできないのだが、それが可能になるのは、それに対するリアリティをどれくらい描こうと努力するかに応じているのだ。この映画ではそれが描かれているとは言い難い。そもそも「脳死」を「植物状態」と混同しているのではないかとさえ思える。「脳死」ならば物理的な損壊によって既に脳の機能が消失しているのだから、そこに「人格」のインストールも何もないだろうに。

 物語は、元の体の人格とインストールされた人格との戦いになるのだが、物語的には、元の体の方が優勢になるのは目に見えている。なぜなら元の体の持ち主の娘との生活が描かれ、観客がそちらに感情移入してしまっているからだ。この葛藤をシリアスに描くなら、インストールされた人格の家族についても(あるいは個人の人生について)同じくらいの比重で描いて、観客がどちらかに簡単に肩入れできないように描かなければならない。

 その上で人格同士の戦いの結末は一応は決着するとして、二つの人格が混ざったような新しい人格になったのだというような結末が好みだなあ。無茶な技術で利己的な操作をしたマッドサイエンティストが罰せられるような単純な結末はつまらない。

 安っぽい作りだとは言わないが不満のない高評価とは言い難い。アマゾンレビューの高評価と一致しない。

2023年8月10日木曜日

『ブラック・フォン』-明確な欠点

 同日に二本立て。

 『アンテベラム』は批評家には低評価だったのだそうだ。一方の本作は高評価だという。よくわからない。好き嫌いはどうにも人それぞれとはいえ、映画的な力は『アンテベラム』の方がはるかに上だ。もちろんそれは面白いかどうかとは等しくはない。本作に別の面白さがあれば良い。

 連続殺人鬼に掠われた主人公の少年が過去の被害者の幽霊のアドバイスによって殺人鬼に打ち勝って脱出するという、ストーリーはシンプルなものだ。5人の幽霊のアドバイスがすべて結びついて最後の脱出を成功させるという伏線回収が見事で、それだけで悪くない映画ではある。

 だが明らかな不満も数々ある。

 アドバイスは監禁場所の地下室にある黒い電話を通してなされる。電話で話していると、近くにその被害者の幽霊が不意に現れるのが悪趣味ではある。画面に不意に幽霊が血まみれの姿でフレームインして、観客にいたずらにショックを与える安易な演出が低俗なのだ。幽霊は主人公の味方をしようとしている。生前の姿でいいではないか。いや、姿もいらない。電話で話しているのだから。

 被害者の生前の描き方にバラつきがあるのも気持ちが悪い。描かれないと感情移入もできないし、描かれている被害者は冗長に感じる。いよいよ主人公の番になるのは映画の開始から3分の1ほどなのだが、そこまでに自然な形でそれぞれの被害者のエピソードを描けないものか。

 殺人鬼の動機が中途半端に謎なのも気持ち悪い。ブギーマンのように自動的なわけでも、快楽殺人でもないらしい。ある種の期待を被害者の少年に対してしているらしい(ゲームをしたがっている)のだが、それが充分にわかるようには描かれない。ホラーというゲームにおいてはルールが明確にならないと不全感が残る。「ルールがない」というルールでさえ。

 ある種の超能力をもっているらしい妹が救出劇に寄与するのかと思いきや、結局まったく関係なく主人公は幽霊の助力のみで脱出する。これも物語の因果論的に不全感が残る。

 肝心の「黒電話」の由来もわからない。


 以上のように明確な欠点が数々あるのだが、まあ上記のような意味でつまらなかったわけではない。

『T2 トレインスポッティング』-前作という「青春」

 あの破滅的な物語に対して、20年経って、完全な続編を作ろうと、どうして思いたったものか。だが「青春」には決着をつけるべきなのかもしれない。どうなるのか気になるというのは、『1』の中だけではないともいえる。彼らのその後の人生がどうなるかはやはり気になるのが当然かも知れない。

 さて映像表現はますますグレードが上がって、観ていること自体に映画的な快楽がある。意外性の高い画角と挿入映像、編集のテンポ。見事だ。

 で、物語の方はと言えば、それなりに救いもあるが、相変わらずの退廃的な生活ぶりの変わらなさは、もしかしたら、思いのほか「青春」なんてものの特別さはないという結論なのかも知れない。そういえばちょうど今観ている「最高の教師」というドラマの中で、高校生が教師に「青春って何?」と問いかけるシーンがあって、脚本では高校生の頃について「後から振り返ってあれが『青春』かもしれないと思う」と語っているが、そのことの特別さが明らかになっていたわけではなかった。ドラマを見ながら自分も考えてしまって、そんなものの特別さはないな、と思ったのだった。

 そう、人間はそう変わらない。相変わらず退廃的な生活を送る者はいる。そういえば『1』でも、中年のヘロイン中毒者もいた。犯罪者に若い者が多いという傾向もあるまい。

 にもかかわらず、映画は、『1』をしばしば参照し、あきらかに現在から観たノスタルジーについて語ってもいる。そしてそれは成功している。登場人物が『青春』時代を物語として書き起こし、どうやら最後にその原稿が出版されるような展開になることが示される。なんだか懐かしいと感ずるはずの観客の反応が充分に予想されている。

 もしかしたらあれは、監督や俳優陣にとって『1』を作ったときのことがまさしく「青春」だったということかもしれない。


2023年8月7日月曜日

『トレインスポッティング』-「青春」の一つのあり方

 ダニー・ボイルの出世作をようやく。

 映像センスが並みでないのは冒頭からいたいほどわかる。だがヘロイン中毒のなんとも荒んだ若者たちの生態をひたすら描くこの物語をどう受け取ればいいのかしばらく戸惑う。もちろん意図的ではあるが、かなり不快ではある。不潔だし、自堕落だというだけでなく、単に犯罪を繰り返すのはきわめて迷惑だ。クライム・サスペンスとして描かれているわけではないから、現実レベルで感情移入して彼らの周囲の者、近親者あるいは被害者に同情してしまう。彼らの一人の赤ん坊が死ぬエピソードでは、赤ん坊の死体をリアルに作ってじっくり映す思い切った演出にドキドキした。ここははっきり映さずにそれを見る人たちの嘆きでそれと知らせる演出をしそうなものだが。単に「無軌道な青春」という美辞麗句ではすまされない荒廃であることには充分自覚的だと観客に知らせる。

 どうなるんだろうと素直に気になる。どう決着させるつもりなんだろう。因果応報的な納得をさせるつもりはあるんだろうか?

 前半部は特に中心的なストーリーをもたずに「生態」を描いていたのが、終盤でまとまった犯罪計画を追う展開になって、ストーリー的な推進力も増して、ますます気になる。どう決着させる?

 結局は、ある意味では「量刑」に応じた決着にも感ずるような終わり方だが、むろんハッピーエンドというわけにはいかない。そんなことが許されるわけではない。

 だが一方で、最後の最後になって、こうしたどうしようもなく退廃的な生活の対極にある「普通の」生活に対する疑問が生ずるようにしかける。なるほど、ではこれも「青春」の一つのあり方なのか?

2023年7月29日土曜日

『アンテベラム』-SF? オカルト? サイコ?

 冒頭の長回しから、よくできた映画であるような印象がある。南北戦争前の米南部の綿花農場らしい。奴隷が酷使されているのは予告編でも見た。

 さてそれと現代に生きる主人公が同じ女優によって演じられるのだから、どういうSFまたはオカルト的設定なのかと思いきや、シャマランの『ヴィレッジ』なのだった。途中の『シャイニング』的少女も、まったくのミスリードなのか。

 いやまあそれはいい。語り口はずっとうまかったし、サスペンスもアクションも楽しめた。

 それよりも、両方の世界をもうちょっと短いスパンで切り替えた方がいいんじゃないかと感じた。多分それはそれだけ脚本の難易度が上がる。ただ、冒頭の「農場編」が30分以上続くのはいかがなものか。続く「現在編」はさらに40分だ。そこで両者が合流する。いや、もうちょっと何度か混ぜて、観客のサスペンスを吊り上げようよ。

 それと、「現在編」の方の主人公の専門性が、もうちょっとドラマとして生きてくるといいのになあ、というのも贅沢な欲求。もちろん、無関係ではない。だが、ドラマとしてはもっと活かせるはずと思えてしまう。

 期待しただけにちょっと残念。

2023年7月23日日曜日

『ヒッチャー』-行動原理

  続編を観たのが9年前か。その時の調べ物で第1作は面白いという評判だったので、ようやく。

 なるほどルトガー・ハウアーの存在感がすべてだ。それ抜きには魅力のほとんどが消える。ヘリコプターを使ったチェイスとクラッシュは予想外に大がかりで感嘆したが、それを求めて観たいと思うわけでもない。やはりじわじわと追い詰められる恐怖を味わうのが期待される正しい楽しみ方のはずだ。といって、ブギーマンのようにまったく「機械」的に迫ってこられてもルーティン化してしまう。そこにルトガー・ハウアーの不敵な笑みがあると、感情が揺さぶられるというものだ。

 とはいえ本作のストーカー的な殺人鬼がどのような行動原理に従っているのかはよくわからない。ロードムービー的な舞台設定が『激突』に似ているとも思ったが、あれは過剰とはいえ仕返し、逆ギレといった原理があった。その予想にしたがって対処しつつ、それを裏切られるところに意外性があったりもした。ところがこちらのヒッチャーはどうもわからない。何がしたいんだ。どんどん人を殺しつつ、殺されたがっているようでもある。だがなぜその相手が主人公なのかはわからない。

 ターミネーターのようにしつこい相手を、最後にようやく倒すラストに素直に拍手喝采を送ればいい映画なのだろうと思いつつ、理に落ちるというカタルシスはいまいち。


2023年7月19日水曜日

『ハロウィン KILLS』-解明されないミステリー

 決着をつけるべく観る。が、もはや何の感興もない。ブギーマンはひたすら淡々と人を殺すが、もはやルーティンでしかないし、いくら暴力で対抗しようとしても殲滅は不可能だという結論に至る本作に対して、どのようなカタルシスを感じれば良いのか。といって、恐ろしいのは人間の方だといった教訓はそれもまた類型に陥るばかりだし。

 ミステリアスなはずのモンスターに、実は何のミステリーも存在しないのだと結論づけられてしまっては興味も惹かれない。何も解明されてはいないのに、何も解明される見込みはないという結論は出ている。

2023年7月1日土曜日

『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』-切ない懐かしさ

 最近新作が劇場公開されているようで、5年前の劇場版がテレビ放送された。テレビシリーズで折々伏線が紹介されていたエピソードをまとめて劇場版にしているらしいことはわかったが未見のまま、ようやく。

 見るにあたってテレビシリーズ13話を一気見して、そこから劇場版へ。

 なるほどこれは『涼宮ハルヒ』シリーズにおける『消失』なのだ。これをテレビシリーズでやるのは惜しいボリュームとまとまりと劇的さ。

 面白さという点ではやはり第一作の「バニーガール先輩の夢を見ない」の水準ではないが、テレビシリーズから見続けている時間と、劇中で何度も巻き戻る時間の眩暈のせいで、やたらと切ない懐かしさがある。

 タイムリープものって、ずるい。

2023年第2クール(4-6)のアニメ

『スキップとローファー』

 「カナリアたちの舟」を古本屋で見つけて読んだ時の衝撃はかなり強い部類だったが、作者高松美咲は連載中の青春マンガが人気を博しているという。雑誌の方をチェックしていないから知らなかったが、未読のうちにアニメ化された。

 これがまあ毎回実に楽しく、心揺さぶられるエピソードが盛り込まれている。そしてそれが丁寧にアニメとして描かれている。黒沢ともよが、主人公の無垢でしぶといキャラクターを体現していて、この先、原作を読むときもこの声を思い浮かべるだろうことは必至。


『山田君とLv999の恋をする』

 監督の浅香守生は『カードキャプチャーさくら』よりも『GUNSLINGER GIRL』一期の監督として記憶されている。原作もそれなりに面白いに違いないが、アニメはアニメで制作会社と監督がそれなりの仕事をしなければ面白くはならない。そういう意味でこれは良い仕事をしている。

 エンディングで、主人公が一歩踏み出す動作の挙動不審ぶりがリアルで、そのアニメーションの見事さに毎回感心していた。ロトスコープでもなさそうなのだが。


『天国大魔境』

 原作は単行本でちょっとかじったくらいで、まだ魅力を把握していないのだが、先にアニメに触れた。いやはや今クール最高。

 謎がやたらと提示されていくのは『エヴァンゲリオン』にしろ『20世紀少年』にしろ、大丈夫か、という不安はあるが、ともかくも細部の描写が的確なのは信用できる。


『鬼滅の刃 鍛冶の里編』

 結局最初のシリーズから全部見ている。CGを駆使したアニメのレベルは全体として上がっているように思う。スタジオの資金が潤沢になっているせいか。

 が、結局『無限列車編』を超えない。やはりあれは煉獄のキャラクターの魅力だった。

 それ以外には、現在展開されている戦いの最中に、それぞれの登場人物の背景エピソードを一度描いてからまた続けるというパターンなのだが、このエピソードのバリエーションがやはりパターン化してしまうのだった。


『推しの子』

 初回スペシャルが1時間半枠とか、なんかやたらと推されているなあと思っていたら、なるほど面白い。最初のうちは先の展開が気になるという感じだったし、主人公の裏工作の巧みさに感心したりもしたが、この物語の最大の推進力は、結局は何かを(誰かを)「推す」こと自体にあるのかもしれない。その一途さが物語を追う者の心を揺さぶっている。


『異世界でチート能力を手にした俺は、現実世界をも無双する』

 あまりに好都合にことが展開する「転生」+「俺つええ」系の典型的な物語だと思いつつ、その開き直ったやり過ぎ感を楽しみにするつもりになると1クールくらいはすぐに見てしまえる。伏線だとか感情の機微などを追う必要がないと観るハードルが下がって、録画が溜まらない。


『地獄楽』

 最初のうちは作画的にも観る価値があったが、そのうちそこは並のアニメになっていった。孤島にある『極楽』の設定の行方が気になって見続けたが、最後の方は何だか無理矢理のインフレになっていったのは残念。


『デッドマウント・デスプレイ』

 成田良悟の原作だというので録画はしてあるが溜めたまま。 

2023年6月28日水曜日

『クロール 凶暴領域』-強い父娘

 『ハイテンション』のアレクサンドル・アジャのハリウッド作ということで、興味がないこともないが、ワニパニックものだとはわかっているので、それほど優先順位は高くなかった。

 ハリケーンの到来で、破壊的な雨風による危機と、河川の決壊による家屋の水没という物理的な危機が迫る中で、下水管を伝って入ったらしいワニと地下室に閉じ込められる。予想される怖さは充分ある。ワニと闘ってどうにかなりはしないから、いかに微妙に人間とワニを分離するかがポイントで、こういう敵との力の不均衡はもちろんサスペンスの原動力でもあるが、設定としてマイナスにもなる。

 そういう意味では難しいストーリーテリングだったと思うが、うまく作ってある。飽きさせないサスペンスが連続する。

 が、父娘の協力というのがいまいち乗れなかった。これもアメリカ的なモチーフで、日本人にはどうにも共感しにくいのだった。強い父親像も、強い娘像も。

2023年5月29日月曜日

『ペンタゴンペーパーズ 最高機密文書』-社会正義とエンタメ

 NHKの『映像の世紀 バタフライエフェクト』シリーズは毎回感嘆とともに全て観ている。このシリーズでベトナム戦争当時の米国防長官・マクナマラがとりあげられていて、状況がやや掴めたところで、それを扱った映画を観る。『大統領の陰謀』も、そういうふうに実際の事件についてあれこれ知っているとわかりやすいのだろうと思ったものだが、まさしくそれ。さっきドキュメンタリーで観たばかりのエピソードが映画の中で描かれる。マクナマラも登場し、これがよく似ている。

 アメリカにおけるジャーナリズムの正義、というテーマなら、日本の『新聞記者』の安っぽさが否応なく際立つところだが、スピルバーグだから、それだけではない、単にエンタテイメントとして間然するところがない。

2023年5月19日金曜日

『ダーク・アンド・ウィケッド』-キリスト教圏ホラー

 軽く観られるホラーを。

 雰囲気が怖い。物寂しい校外の畜産農家の佇まいも、始終曇っている空も。

 そして肝心の「敵」の恐怖は、実にジワジワと迫ってきて、だがここぞというところでは音もそれなりに大きく、いきなり後ろにいる、などといういかにも俗悪な脅かし方で観る者を怖がらせる。

 ホラーとしてはよくできている。まっとうに怖い。

 が、結局悪魔なのか。キリスト教圏は。

 心理的な攻撃で自殺者がでる一方、飼っている羊が大量に殺されたりもする。どんな物理攻撃ができるのかわからない。なぜ人間には心理攻撃だけなのか。

 究極のホラーは原罪意識なのだという、結局はキリスト教圏ホラー。

2023年5月5日金曜日

『プロミシング・ヤング・ウーマン』-リアルな問題

 評価が高いという事前情報に釣られて観る。よくできている。人物描写も、捻った結末に至る展開のストーリーテリングも。

 だが評価のミソとなる「問題」提起的という部分については、ものすごく気持ちがのったというわけではなかった。それはアメリカにおける「男社会」の問題がそれほどリアルでないということでもあるし、いや、日本においてだってそれは同じだろうという反省に立ってみるほど、そもそも競争社会に生きていないからでもある。女性が差別されていることがないとは言わない。だが守るほどの権益が男性にあるというわけでもない。慣習としてそうなっている、くらいのもので、その存続を誰が望んでいるわけでもない。

 主人公の動機となるのはそういう社会構造への反発というよりは女友達の復讐を代わりに果たすという側面が強く、ここがまた充分に共感を喚ぶほどに描かれてはいないから、「上手い」という以上に心が揺さぶられるという感じにもならなかった。

2023年5月4日木曜日

『犬神家の一族』-正気の沙汰ではない

  NHKはずいぶんと自局番宣をやるのだが、それにのせられて見てみようかという気になった。

 吉岡秀隆の金田一耕助は良くも悪くもない。我々にとっては古谷一行以外の金田一耕助はどれも「その他」でしかない。

 大竹しのぶが出てくるともう圧倒的な存在感に、それしかいないだろうという犯人像だが、そこが見どころかと言えばどうだろう。

 『犬神家の一族』が横溝作品の中でも際立つ印象を与えているのは、言うまでもなく例の水中逆立ち死体の鮮烈なビジュアル故だが、なんと呆れたことに、このドラマではその意味がまったくなくなって、ただその死体はそのまま意味もなく逆立ちして発見されるのだった。死体発見の場面自体が遅いなあと思っていたら、事件の真相がすっかり明かされてから、意味もなく逆立ち死体が発見される。

 3時間もかけて見てみて、最後でこれというのは思いもかけなかった。こんなことがまかり通ってしまうのは、まったく正気の沙汰とは思えない。

2023年5月1日月曜日

『プリズン・エクスペリメント』-看守への共感

 スタンフォード監獄実験の映画化と言えば、見るのは『es』『エクスペリメント』に続いて三つ目だ。もう、その興味で見る。

 俳優陣の演技は悪くない。記録にも忠実に作られているようだ。実験を指揮した教授も実名だ。『エクスペリメント』は、実験を主催する大学側の視点が全く描かれなかったから、それが徒に扇情的なばかりで現実離れした話になっていたが、そういう意味ではリアルに描こうとしているのだろう。

 それでも、現在のポリコレ社会の常識に染まっているせいか、どうにも現実離れしているように見えてしまう。途中で、これはまずいだろ、となるはずではないか、と思ってしまう。これはまったく「まさか」と思えるようなことが現実に起こるという点が焦点の映画のはずだから、その「いかにも起こりそうな」感じを観客に抱かせなくてはならないというのが最大の使命のはずだ。誰もがやめられなくなっていく…という傾向に染まっていくその微妙さが。

 それなのに、いきなり看守がノリノリなのは、まああるかもしれないが、あんなに嗜虐的になっていくのはやはり不自然に思える。例えば「看守として秩序を護る」という使命が実験の目的として与えられ、それに対して過剰適応しているうちに、現実社会を引きずっている囚人たちの反抗的な態度に怒りを覚えてしまう、とかいうことなら「わかる」かもしれない。だがいきなりあんなに嗜虐的に振る舞う人たちには共感できない。

 看守に共感できなくてはこの映画は失敗なはずなのに。

2023年4月25日火曜日

『BECKY』-タフなローティーン

 家をならず者たちに占拠されて反撃するヒロインといえば、『サプライズ』だが、あれよりも面白かった。登場人物がいたずらに愚かな行動をとらないというのが良い。怖さも充分で、それに対する反撃も痛快。痛快という以上のやりすぎな反撃も楽しみのうちだ。描写も丁寧でリアル。戦闘力の高いヒロインがローティーンというところがミソなのだが、その分、あれこれ道具を使うところで過剰な残虐さが出る。しかもそれを丁寧に描写する。

 ただ、途中の店で何やら宗教の信者らしい一団に会うエピソードや、ならず者たちが明確な目標をもっていることなど、消化不良の要素が残って、何だが腑に落ちないと思っていたら、続編があるのだそうだ。父親も、今回のならず者たちももういないが。継母が再登場はしないだろうから、続編は全く新しいキャストにヒロインが出会うのか。

 そういえばローティーンで戦闘力の高いヒロインといえば最近『ドント・ブリーズ2』で見たところだが、なんだかどちらも魅力的とは言い難い。やはり痛快と言うには度を超してしまうのだろう。「狂気」的なものを描かれても、そこを応援できるでなし、特に続編に期待するものではない。伏線の回収がものすごく楽しみというわけでもない。単にまた面白い筋立てと確かな演出をしてくれれば。

2023年4月22日土曜日

『バードマン あるいは無知がもたらす予期せぬ奇跡』-なんとも

 2回観た。字幕版と吹き替え版で。が容易に感想が言えない。脚本といい演技といい、並々ならぬものがあるのは明瞭にわかる。もちろん監督の手腕が飛び抜けているのは言うまでもない。が、とにかく面白かったとか感動したとかいうことが簡単には言えない。

 落ちぶれた男の再起とか、映画(ハリウッド)vs舞台(ブロードウェイ)とか、オールドメディアvsネットとかいうテーマがあるのはわかる。だがそれで何事かを言っているとは簡単に納得できない。虚と現実が混ざり合っていくところは映画そのもののメタファーのようでもある。

 とにかく凄い映画であることはまちがいないのだが。

2023年4月8日土曜日

『イミテーション・ゲーム』-人間のふり

 ベネディクト・カンバーバッチの演技も評判の良い、アラン・チューリングのエニグマ暗号の解読を描いた実話。

 確かに良くできている。困難と葛藤を乗り越えて課題を達成する話。周囲となじめない主人公が、次第に周囲との絆や支援を得て、絶望的かに思われる暗号解読に成功する場面は快哉を叫びたくなる。

 ただ、題名の「イミテーション・ゲーム」の意味がにわかにはわからない。姿を見ないで相手が人間か人工知能かを判断するチューリング・テストのことは聞いたことがあるが、そこで使われる概念なのだと今回知った。ネット上では大抵「模倣ゲーム」という訳語で使われている。劇中ではチューリングが戦後の事件の中で刑事に取り調べを受ける中で一度言及されるが、それが物語の何を示しているのかは説明されていない。

 さて何を意味しているか。

 実はこの映画の面白いのは、暗号解読の瞬間よりもその直後だ。その晩のうちに一つの攻撃作戦の指令を解読し、さて、それを阻止する作戦を遂行するか。しないのである。なぜか。暗号解読の成功により、ドイツの作戦がわかったからといって、それですぐに攻撃を阻止するような作戦を立てると、ドイツは相手が作戦を知っている、つまり暗号解読に成功したことを知るので、暗号機の設定を変えてしまう。それではここまでの作業が無駄になってしまう。だから、わかってはいても、そのままドイツには攻撃をさせておいて、相手がそれと気づかない程度に作戦を阻止するよう、解読した暗号通信の内容を利用するのだ。

 まず「イミテーション・ゲーム」の指しているものの一つはこれなのだろう。ドイツ側からは、暗号の解読が成功していることがわからないような対応をしつづける。これが、チューリング・テストにおける人間の振りをする人工知能、人工知能の振りをする人間の振る舞いになぞらえられている。

 もう一つ、どうやらアスペルガーとして描かれているチューリングの人間関係を指してもいる。途中で、婚約者がチューリングを、みなが「怪物だ」と言っていると伝える場面がある。チューリングが相手の気持ちを無視しているかのような振る舞いをしているエピソードが何度も描かれるが、それが最初のうちは傲慢さや孤高を示すように見えていて、そのうちにそうではないことがわかってくる。チューリングは相手の気持ちがわからないらしいのだ。冗談や皮肉を言葉通り受け取ってしまう。それはアスペルガー症候群の特徴なのだった。

 とすると、チューリングにとって他人は理解しにくい存在で、それは相手が本当は人工知能なのかもしれないという疑うことでもあり、同時に周囲にとってはチューリングがわからない。彼が人間なのか人工知能なのか。あろうことかチューリングは自分のマシン=人工知能に亡き友人の名前をつけて愛しているのだ。

 つまりチューリングと周囲の人間は、互いに相手が本当に人間なのかどうかを疑いあっている。題名はそのことを指しているのではないか。

 だがひるがえって、程度の差こそあれ、我々のコミュニケーションは常に相手の真意を探り合うゲームのようなものでもある。この映画はそうした本質を拡大して見せているともいえる。

 

2023年4月2日日曜日

『チロルの挽歌』-皆を集めて

 偶然にNHKのBS4Kで再放送されることを知って、30年ぶりに観る。

 最近放送されていた『世界サブカルチャー史 欲望の系譜」の日本編でヤクザ映画がとりあげられていて、それらのヤクザ映画はまるで観ていないが、そこで各時代のスターだった鶴田浩二・高倉健・菅原文太は、筆者にとっては山田太一ドラマの主人公として憧れの対象であり、確実に大人の男像のお手本として筆者の一部になっている。それらのドラマのうち、鶴田浩二の『男たちの旅路』、菅原文太の『獅子の時代』は、当時の放送より後に、再放送やディスクで観直すこともあったのだが、高倉健の本作は放送以来だ。

 『獅子の時代』のヒロインでもあった大原麗子はこの頃40代だが、はっきりと可愛いといっていい。同時に夫から自立しようとする女性像を体現してもいて、今回調べてみて、本人が本作を自身の代表作だと考えていたのだと知ったのは感慨深かった。

 夫婦や家族の問題からバブル崩壊後の地方の活性化の問題まで、あれこれと「問題」をとりあげてその難しさを提示する山田節はここでも冴えている。

 ストーリーも具体的な場面も全く覚えていなかったのだが、今見ると、最後にみんなが集まって話し合う展開も、思いもかけない無茶な決着に落ち着く結末も、ああこの頃から既に晩年の山田太一のパターンに向けて形が整えられているのかと思ったが、考えてみればそれ以前に70年代や80年代でも、最後にみんなが集まるパターンは毎度のことだったっけ。結局「問題」に対して登場人物がその人間関係全体でどう向き合うかを決着させなければならないのだ。そう思えばこの、ある意味でミステリーにおける「名探偵皆を集めてさてと言い」のようなクライマックスは必要な展開なのだろう。

 同時に、晩年では結末のファンタジー展開に山田太一の老いを見るような気もしていたのだが、本作が既にそれなのだった。ここで白けてしまうか、それもありとみるかは紙一重で、演出次第でもある。本作では余韻のある落としどころとして、その後の現実の方の奇妙な決着を救っているような感じだった。

 それにしてもやはり観るべき価値のあるドラマをこんなふうに作り続けていた山田太一には敬服。

『老いてなお花となる』-役者魂

 俳優・織本順吉の晩年を娘が追ったドキュメンタリー。死の直前の2年間を3本の番組にまとめたものだが、終わりまでを見通して3本まとめて作られたものではなく、1本ずつ順にまとめたものが放送され、評価されて2本目3本目が制作されたものだ。以前に2が放送されている最中に偶然観て、その後3を観て、今回まとめて再放送されたので1から通して観た。

 通して観ると、3年ほどの間に急激に老いていく変化がすさまじい。肉体だけでなく言動においても老醜と言って姿が映されていくのだが、なぜ娘は父のそうした姿を撮るのかという疑問と、なぜ父はそうした姿を撮らせ続けるのかという疑問に引っ張られて見続ける。3まで観て、娘の最初の動機が、家庭を顧みなかった父への復讐であったことが明かされるのだが、父の動機は直接は語られない。だが2の中で1を父親本人が観て、娘にそのドキュメントとしての価値を評価する場面がある。そして3では同じく2を病床で観て、すごいドキュメントだと告げ、娘に感謝するのだ。

 なるほど。カメラで撮られ、作品の中で生きることにおいて、映画もテレビドラマもドキュメント作品も違いはないのだ。織本順吉はそこまで全身全霊で役者だったのだ。老いて、ドラマの仕事がなくなり、生身の身体で老醜をさらしてさえ、そうして作品の一部になることが彼にとって喜びだったのだと、三つの番組を通して観て、腑に落ちた。

 恐るべき役者魂。

2023年4月1日土曜日

2023年第1クール(1-3)のアニメ

『陰の実力者になりたくて!』

 途中から気を抜いているうちに設定についていけないところがあったが、俯瞰した視線の軽やかさと作画の水準が決定的には落ちなかったことから、結局2クール分につきあってしまった。

 こういうの「俺強え」系というのだろうか。


『異世界おじさん』

 放送が不定期になり、結局最終回はアマプラで観た。異世界物のパロディになっているギャグが毎度楽しくて、溜めずにどんどん観ていたのだが、主人公の「おじさん」を子安武人が演じているのも、二枚目半な味わいを出していて良かった。


『転生王女と天才令嬢の魔法革命』

 異世界転生物だわ剣と魔法と魔獣は出てくるわで、ほとんどはパスするのだが、初回の作画が良かったので観始めて、結局1クール観てしまった。面白かったかといえばそうでもない。どこが『転生』なのかと思っていたら、主人公にはそういう異世界の記憶のあることが最終回で触れられて、だからどうだということもない。なぜこう無理矢理「転生」にしたがるのか。


『お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件』

 あまりにご都合主義的な展開が呆れるばかりなのだが、可愛い話でもあった。


『ブルーロック』

 サッカーの虎の穴に入ってのしあがるという、トーナメントとリーグ戦のまざったようなゲーム展開には基本的に燃えさせる構造があるのだが、その過程で、いちいちそうなることに理屈を立てようという心意気が見えるところが好ましい。何となく勝てる、ではなく、こういう工夫をしたから成功する、といった説明をしようという姿勢が。

 毎回娘と観ては、スポーツ観戦をするかのように楽しんだのは「ハイキュー!」以来。


『トモちゃんは女の子!』

 原作マンガのファンで、最初の2回目くらいまでは実に原作の味わいが楽しかったのだが、徐々にアニメの通常モードになってきて、面白さが半減した。原作の面白さというのはまた表現が難しいのだが、ウブな二人の恋愛をめぐるドタバタギャグの合間に、シリアスな本音がちらちらと見え隠れするバランス感覚、というか。


『異世界のんびり農家』

 異世界に転生して万能の農具を手にする主人公という、これもまた単に都合の良いことばかりが起こる異世界物なのだが、題名にもある「のんびり」な味わいが楽しくて、毎回溜めずに観た。


『大雪海のカイナ』

 弐瓶勉原作、ポリゴン・ピクチュアズの設立40周年記念作品というので期待して観始めると、美しいビジュアルが期待に応える。が、すぐに世界観は『ナウシカ』の二番煎じだとわかる。人類が滅びつつある世界で、古代の文明(我々の文明)の遺跡が残っているばかりで人々は中世のような文明レベルになっている。それでも残った国は戦争をして、古代の超兵器が戦況を決定し…。

 ま、オリジナリティは二の次でもいい。それでも面白くなればいいのだが、ずっと退屈なままで、かつとにかく人間の描き方があまりにひどくて、途中ですっかりうんざりしつつ、決着を見届けるために見続けた。その決着もあまりに人を舐めた低レベルな和平がおとずれて、腹を立てているとそのまま劇場版の宣伝。それがなかなか気になるのでまた腹が立つ。


『TRIGUN STAMPEDE』は3Dアニメの絵の密度が高くて捨てがたいが、原作も読むのがとにかくシンドかったので、こちらも録画したまま観ずに溜めている。保留。

2023年3月31日金曜日

『メランコリック』-磯崎義知という役者

 amazonプライムビデオで再三宣伝が浮上するので気にはなっていた。主人公の30歳ニートがバイトを始めた風呂屋が、実は夜になるとヤクザの人殺しの場所として利用されていて…という設定は、どうなるのか気になる。

 観始めると、役者が実に達者で観られる。演出の確かさでもある。場面場面がいちいち映画的というかドラマ的というか、描写として質が高い。ヤクザも風呂屋主人も同僚も、良い人なのか恐い人なのか、その「どちらにころぶかわからない」人物像が実に巧く描かれていて、観ていて集中力が殺がれない。

 そしてそれらの役者すべてが、聞いたことも観たこともない人ばかりなのは『カメラを止めるな』以来の驚きで、監督も長編デビュー作だというのも驚く。といってインディーな邦画にありがちな、無駄に観念的な長回しもない。ドラマがちゃんと展開していく。

 アマプラでのジャンルは「サスペンス・コメディ」となっているから、恐いばかりではない。オフビートなユーモアも盛り込まれている。

 とはいえ物語としては、ファンタジーと宣言していないのにまるで現実離れしたお花畑のハッピーエンドになったのはびっくりした。ここに鼻白んてしまえばネットの低評価もむべなるかな。ヤクザに脅されている状況を打破するために殺してしまおうというのだが、現実にはそのヤクザをとりまく利害の関連があって、一人だけ殺してどうにかなるものではなかろう。まして警察の捜査がどうして及ばないのかがまったく説明されない。

 それでもだ、観ている途中途中の面白さの方が勝っている。

 とりわけ風呂屋のバイト同僚で、実は殺し屋の松本君のキャラクターが実に魅力的だった。ためらいなく人を殺す冷徹さと周囲の者に対する律儀さが同居していて、飄々とした物腰。演じた磯崎義知という役者は実に素晴らしく、今後彼の仕事を発見するのが楽しみになった。


2023年3月27日月曜日

『プロメア』-疲れる

 『グレンラガン』は見ていなかったが、評判だけは後から聞いていた。『キルラキル』は再放送で見た。劇場版ということできっと質が高いのだろうと思われる本作も、いずれは、と思っていた。

 さてどうだったかというと、やはりアニメーションのレベルは高いのだが、ちっとも面白くなかった。物語は権力悪対レジスタンスという単純な構図を出ない。ほとんどの価値はアクションなのだろうが、それから受ける快感よりも、目が疲れるばかりで状況を正確に把握できない部分がやたらとできてしまうのは劇場版の『エヴァンゲリオン』と同じくストレスの方が勝っていた。

 いや、観る姿勢としての集中力によってはもうちょっと好評価になりうるのかもしれないが。

2023年3月26日日曜日

『ハードコア』-全編一人称カメラ

 全編一人称カメラという試みが売りのSFアクション。超能力を操り、謎の組織を率いる悪役と、そこに改造されたサイボーグの主人公が闘う設定は『仮面ライダー』だ。敵のサイボーグたちに比べてなぜ主人公だけがとりわけ強いのかは謎だが、まあストーリーはどうでも良い映画だった。とにかくその撮影方法にだけ興味が湧く映画であり、それだけだった。そこについては、パルクールを使った撮影や、カーチェイスとからめた撮影など、おそろしくサスペンスフルな場面があちこちにあって、かなり感心した。銃撃戦も含めて、撮影には相当な手間がかかっているのがわかる。

 とはいえまあそれだけ、でもある。主人公に感情移入するわけでなし、最近『Swallow』で観たばかりのヘイリー・ベネットが出ていたが、こちらではそれほど魅力的とは言い難い単なる美人の悪女キャラでしかなかった。

 途中、野生の馬を捕まえて、それで敵を追いかける展開になりそうになって『荒野の七人』のテーマが勇壮に鳴り響いて、さてと思ったとたんに落馬して馬だけ走り去るというユーモアにはニヤリとさせられたが。

『キャメラを止めるな』-邦画リメイク

 『カメラを止めるな』のフランス版リメイク。邦画を海外でリメイクするというのは『七人の侍』や『貞子』『呪怨』以外にどれくらいあるんだろう。それだけ海外の人の目に触れる機会が増えるのは嬉しいとはいえ、面白いかと言えば原作並みとも言えない。劇中で、日本のドラマのリメイクであることが設定として明かされており、それは例の劇中劇の部分についてのみだから、中途半端にメタではある。とはいえいくらかのギャグのネタにはなっているが、大して効果的なわけではない。

 でもまあ先を知っていると、最初のワンカットパートでも、あちこちニヤニヤしてしまうのだった。


2023年3月24日金曜日

『クワイエット・プレイス2』-また八分目

 『ドント・ブリーズ』に続いて、こちらも続編を。そしてまたもや第一作に比べると八分目くらい。

 それでも相当に良くできている。どちらも1作目のレベルが高いのだ。続編にも不満はない。

 エイリアン侵略の初日を描く冒頭のシークエンスから、もううまい。ゆっくり不安を高めていって、くるぞくるぞと思わせておいてそれがくるスピード感がたっぷり感じられるような撮影になっている(エイリアンそのものはCGだとしても)。逃げ回る人々と車の錯綜する市街地をカメラが縦横に動き回る。

 1作目に足りないのは、やはり1作目で死んだ父親の存在がないことか。

2023年3月22日水曜日

『ドント・ブリーズ2』-腹八分目

 1作目は映画館で観たのだった。面白かった。さて続編は。

 悪くなかった。だが1作目のような工夫は全体として減衰している。あちらは「満腹」だったが、こちらは八分目くらい。1作目は盲目の軍人が敵方だったのが、本作では主人公側になっているところで、脅威として弱くなっているのだろうか。盲目の軍人に育てられた娘が、サバイバル能力を活かして逃げ回る展開はかなり巧く描かれていたが。

2023年3月21日火曜日

『エンド・オブ・キングダム』『エンド・オブ・ステイツ』-

  『エンド・オブ・ホワイトハウス』のシリーズ2.3作目を続けて一日で。

 総合的には第一作が最も凝縮したイベントの連続で面白かったとはいえるが、2.3作ともそれぞれ相当によくできた映画ではあった。もちろん、アメリカ礼賛の単純な論理が許せないと言う意見は尤もだが、そういう政治的思想の是非ではなく、アクションとサスペンスを評価するなら、大作として金をかけるに値する脚本にはなっていた。

 尤も、爆発シーンをCGで描くことで経費はいくらか抑えられているのかもしれない。それが安っぽくはないくらいに技術的に進歩したおかげで。アーロン・エッカートやモーガン・フリーマンら、役者のギャラは安くはないだろうに。

 1作目は北朝鮮、2作目はアラブ、3作目はロシアといった「アメリカの敵」を敵方にしているように見せて、実は1はテロリスト、2は武器商人、3は傭兵企業を敵として設定しているところが、バリエーションを網羅しているようで、工夫されているなあと妙に感心した。

2023年3月20日月曜日

『KOTOKO』-巧い役者としてのCocco

  子供を持つ不安はとてもわかるが、それだけでない対人関係の不安は、ちょっとやりすぎで共感が及ばない。それがCoccoだから、単なる不快感では済まされず見ていて辛い。

 基本的には良い映画だったと思うが、歌やダンスシーンの長さには辟易した。それこそがこの映画の力だと言いたいのだろうが、それならばライブ映画でいいではないか。映画は映画としての物語で見せてほしい。

 それにしてもCoccoが圧倒的な存在感の語り部であり巫女だというだけでなく、単に、非常に巧い役者であることにこそ感動した。

2023年3月18日土曜日

『エンド・オブ・ホワイトハウス』-続けて競作を

 同じ年に『ホワイトハウス・ダウン』と競合作となった、ホワイトハウスを舞台にしたテロ事件を描く。

 こちらを観ていると『ホワイトハウス・ダウン』が随分脳天気に見える。それに比べると本作は大分シリアスだ。大量の人死にが生々しく描かれる。周辺の市街地で一般人がどんどん殺されていくのもすごいが、テロリスト集団と警護の警察や軍にもどんどん人死にが出る。巧みな作戦だという以上に、単に特攻で大半が死ぬ前提の作戦でテロが行われるのだ。撃ち合いになればそれは双方に死者が出るのは当然だ。

 その中で主人公に弾が当たらないのは単なる幸運で、ここで白けてしまうというのもあっていい感想だが、まあそこは許して見続ける。

 ジェットコースター的な展開のめまぐるしさは『ホワイトハウス・ダウン』の方が楽しかったが、本作は本作で、そこまでやるか、という意外性の乗り越えが楽しかった。

 主演の朝鮮人テロリストが鈴木亮平に似ていたのが始終気になった。

 

2023年3月15日水曜日

『ホワイトハウス・ダウン』-面白い

 恐ろしく面白かった。実によくできている。それでは、と前に見たときにどんなことを書いていたかと見直してみると間然するところがない。

2023年3月9日木曜日

『Swallow』-ヘイリー・ベネット

 何映画かわからずに見始める。サスペンスフルではあるが、犯罪がらみか、オカルトにいくのかもわからない。サイコな雰囲気ではある。

 とりあえず、満たされた結婚生活に見えながら、実は満たされていない美しい若妻の孤独を描いているのはわかる。その危ういバランスがサスペンスフルではある。

 そのうちに妙な展開になる。若妻が、ビー玉を飲み込む。どうしてもそうせずにはいられないような心理になっていることが充分伝わる緊迫感が画面に満ちあふれている。何を意味する描写なのかと思っていると、次は画鋲だ。

 異食症というのだそうだ。妊婦に多いというのだが、もちろん単に主人公が妊娠したからではない。結婚生活が恵まれていることと裏返しの孤独と抑圧に満ちたものであると描かれていることは明らかであり、さらに出生についての特異性がまたその原因であるようにも描かれている。

 結末がある種の解放と自立を意味しているように見るとテーマは単純だ。

 だが見ている最中の感情は、明らかに主演のヘイリー・ベネットの演技によってかき立てられている。どうにも特異な顔立ちの女優だ。北欧系のようにも東洋系のようにも見える。少女のようにも見える。

 テーマであるところの女性の自立については賛否あることがネットの評価でもわかるが、さしあたって主人公の解放と思えばそれは面白いかどうかで良かろう思う。

 撮り方も巧く、何だか胸騒ぎのする映画ではあった。


2023年3月7日火曜日

『Run』-満足度の高い小規模映画

 低予算の小規模映画だが、サスペンスフルで満足度は高い。ほとんど母子の間で展開するサスペンスということは、結末は後味の良いものではないが、それも含めて良くできた映画だった。

 題名に比して走らない。だが走ることを歯ぎしりするほど切望するところで敢えて題名を「走る」にしているのだ。その緊張感が巧みな脚本と演出と、安っぽくならない外国人俳優の演技で描けている。こういうことのできる日本人俳優はやはり多くはない。

2023年2月25日土曜日

『ブロンコ・ビリー』-ハッピーエンドに残るほろ苦さ

 『ガントレット』に続いてソンドラ・ロックとの共演による、心温まる「男」映画。ガンマンがショーを行う「偽物」であるしかないような現代のアメリカのほろ苦さが巧みに描かれる。食い詰めたサーカス団で列車強盗をやることになり、本当に? と思っていると単に列車としばらく併走して終わるだけのエピソードは実に巧かった。

 ほろ苦さを描きつつも、最後はかなり脳天気なハッピーエンドで終わる。

2023年2月19日日曜日

『パラドクス』-年来の

 「未体験ゾーンの映画たち2016」の宣伝で気になってレンタルなどを探したがずっと見つからずにいたのが、思いがけずアマプラで。

 ループ物だとはわかっている。冒頭近くから入り込む階段のループは安上がりで、ほとんど自主映画レベル。のわりに長い。

 次にメキシコかアメリカ南部かの草原を走る車がループに閉じ込められる。これも基本的には階段と同じで、どちらへ行っても同じ場所に帰ってしまう、というパターン。

 そういえば「ループ物」といえば時間のループが定番だが、これは空間のループに閉じ込められるパターンなのだった。

 さて、ここからの脱出やら原因の究明やらというのがループ物の展開の必須要件だが、ループがシンプルでどうにもならないということか、そこの展開はあまりなく、とにかく長い時間を、繰り返して過ごしていたことだが知れるばかり。その蓄積を示す描写は、前半の安上がりぶりからすると意外なほど物量で偏執狂的な描写をしてくる。そこはまあちょっとした見所ではある。

 が、結局謎解きやら脱出やらのカタルシスがない。ループの謎解きが、あまりにわかりにくすぎる。かつ、深淵な思想がありそうで、だからどうしたという印象しかもてない、実は中2なだけではないのかという疑いが捨てきれない理屈でループが想定されているのだった。メタファーとしてもそれほど感じるところのない、どういう必然性があるのかわからない設定だった。

 年来の課題は、こうして残念な結末に終わったのだった。

2023年2月14日火曜日

『ジェイソン・ボーン』-カーチェイスの凄さ

 『ボーン』シリーズの最初の3作はたぶん2回ずつ観ている。どれがどれの場面だったのかもう混同しているが、とにかくどれも驚くべき出来だと思った。マット・デイモンではない『ボーン・レガシー』も凄い映画だった。ああいう映画を日本が作ることはほとんど絶望的だと思われる。

 さてマット・デイモンとしては4作目の本作もまたすごかった。ストーリーとしてはいささか単純に過ぎるという気もする。主人公が復讐という動機で動きすぎているところが、らしくないなあ、とも思う。降りかかる火の粉を払うという動機で動いていた前作までに比べると。

 だが、2回に及ぶカーチェイスの凄さは、本当に感嘆すべきもので、どれほどの準備をして、これがなしえているのか、見当もつかない。

 法的な問題だけでなく、アニメでなら作れるかといえば、現状でこれほどのイマジネーションを可能にするアニメスタジオがあろうという期待はできない。

 ハリウッドのすごさ。ポール・グリーングラスのすごさ。

2023年2月11日土曜日

「殺意 ストリップショウ」

 戦後5年の時点で書かれた三好十郎の戯曲。2時間の舞台を鈴木杏の一人芝居で見せる。この演技が圧巻だった。「知識人」の語る理念・観念に一時心酔した娘が終戦で裏切られて「殺意」を抱くが、やがて相手の人間的弱さに触れて許すまで。

 演劇が大衆のものではなくインテリのものであることを示すような戯曲だが、いや面白かった。


2023年2月5日日曜日

『ガントレット』-やりすぎ

 観たのはたぶん20年以上前だから、もちろん細かいところはまるで覚えていない。ラストのバスが蜂の巣になる銃乱射シーンはすごいシーンだとは思ったが今観るとどうなのか。クリント・イーストウッドが主演だとは覚えていたが、監督でもあったか。

 警察上層部の汚職を巡る裁判の証人を、警察とマフィアがグルになって消そうとする。証人の護送を任されるイーストウッド演ずる警官もろとも殺そうと、実に派手な銃乱射をくりひろげる。ラストのバスだけでなく、最初は木造家屋が一軒潰れるし、次にパトカー、そしてバスなのだった。

 両側から銃撃すると味方に当たるから、囲んでの銃乱射は非現実的なのだが、まあこの大げさな描写こそをやりたかったのだということはよくわかる。題名がそれなんだし。もうほとんどそこにしか意味はない。追い詰められた二人の逆襲とかいうストーリーにそれなりのカタルシスはあるものの、それよりまあやりすぎだよなあという感想が先に立つ。当時のイーストウッドらしいダーティヒーロー映画として観るしかないのだな。

2023年2月4日土曜日

『映画大好きポンポさん』-理屈が立たない

 評判が良いらしい作品なので観ておこうと。

 アニメーションの質は高かったし、ポンポさんのキャラクターも魅力的ではあるのだが、作品全体としては満足できなかった。

 「ヒロインが魅力的に撮れれば映画は成功」という台詞が劇中にあるにもかかわらず、劇中劇の主演女優が魅力的ではない。どういうわけだか、声優があまりに大根でこれは完全にキャスティングのミスなのだが、物語自体も、シンデレラガールとしてのヒロインがどういう魅力を持っているのか、ちっとも描けていないのだ。単に可愛い女の子の「絵」を描くことはできる。このヒロインはそれ以上ではない。毎度の、いかにもアニメ的なドジっ娘描写にも魅力はないし、言動なりエピソードなりで何か特別なものを見せないで、どう感情移入すればいいのか。

 これはまあ難しいことではある。劇中の何かの魅力は、その魅力を受け止める登場人物の反応を見せることで、それがあると見なすことを読者・観客に納得させるというお約束もある。だからポンポさんなり主人公なりがヒロインの魅力に反応しているからには、それは「ある」ということにしておくべきなのかもしれない。

 だがそれはそれである種の理屈を立ててもほしい。最近観ている「ブルーロック」は、いちいち理屈を立てるところが魅力だ。サッカーの強さは、現実には速さや力強さや判断の的確さの積み重ねで差がつくだけだとも言えるのだろうが、それだけでない、何かがそこに起こっているのだ、といえる「何か」を考えてほしい。そういうのがなしに、ただ主人公が強くても、だからなんだという気もしてしまうのだ。以前「星合いの空」の試合の演出に呆れたのはそういうことだった。

 そして、劇中でニャカデミー賞を獲ることになる作品の描き方にも疑問がある。そんなにうまくいくかという、ご都合主義を感じて冷めてしまう展開はまあ放っておいてもいいが、問題は「作品は大衆のためにではなく、誰か一人の人のために作れば良いのだ」というテーゼが語られ、それがために成功したのだという理屈になっているはずなのに、問題の「ポンポさんのため」という理屈がどのように成立しているのかわからない。単に長い映画が好きではないと言ったポンポさんに合わせて90分にしたというだけなのだ。それはポンポさんの要望にあわせたということではあるが、それでどうその映画が良いものになったのかはわからない。

 とにかく物作りへの情熱が描かれるお話は好意的に受け取られやすい。それが映画となれば、映画関係者は感情移入したくなるだろう。

 だがどうにも理屈が立っていない。

2023年1月22日日曜日

『15時17分、パリ行き』-驚愕の映画作り

 実際の出来事を描く映画の主演の三人が、実際のその出来事の本人たちだというのだから、なんとも驚くべき作り方だ。それも、一場面にちょい役で出て来るというのではなく、全編出ずっぱりで、かつ問題の出来事の場面は映画のほんの一部分で、それ以外のほとんどは、その出来事に至る日常を描いているのだ。三人は、まったく真っ当に役者をやっているのだった。どうやったらこんな撮り方ができるのか、想像もできない。

 そもそもクリント・イーストウッドは、すべてのテイクをリハーサルなしの1テイクで撮るというのだが、できあがっている映画はすこぶる完成度が高く見える。お芝居をさせてそれをワンカットでベタ撮りするだけという素人映画っぽい感触は微塵もない。いくつもの角度から撮られた映像を的確に編集して、まるで違和感なく見せる。これがワンテイクでできているとか、素人が主演であるとか、どうなっているのか。

 物語としては、電車内で起こるテロ事件を描くのが主眼ではなく、その瞬間に向けて彼らの人生がどう積み重ねられていくかを描き、映画の最後にようやく迎えるその瞬間に、体を投げ出すことのできる主人公に素直に喝采を送りたくなるように作られている。

 長さにちょうどいい佳作。

2023年1月21日土曜日

『ペリフェラル ~接続された未来~』

 アマゾンオリジナルのシリーズで、かなりな高評価を得ているので観始めると、なるほど面白い。CGを含む絵面も、SF設定も、人物描写も、文句なくレベルが高い。監督が『CUBE』のヴィンチェンゾ・ナタリなのだが、まあ納得というか『ハウンター』もあったしなあ、というか。

 ヒロインが魅力的なのは演ずるクロエ・グレース・モレッツの魅力でもあり、キャラクター作りの巧みさでもあり、いささか吹き替えの沢城みゆきのうまさのせいでもある。

 シーズン1の8話まで見て、あまりに途中で残念ではある。8時間あまり観て多少はひとまとまりしてほしかったが。

2023年1月17日火曜日

『雲のむこう、約束の場所』-圧倒的に感動的

 たぶん2回観て、新海作品では最も好意的な印象を持っているんだが、具体的にどういう話かは覚えていない。SF設定としてかなり緻密な印象なのだが、今回も結局どういうことなのかわからずじまいで、具体的に話の筋が覚えられないのはそのせいなのだった。

 だが観直してみると、やはり良い。風景がきれいだというなら最近作になるほどどんどん手が込んできれいになっていくが、もう20年近くなるこの作品を最初に観た頃は、『ほしのこえ』同様、CGによる美術のあまりのきれいさに驚嘆したものだ。観直してみると、やはりすごい。最近作は人の手を離れてしまっているようなすごさになってしまって、かえって感動がうすれてしまっているように感じる。

 それと、やはり人間ドラマだ。見ればそれなりにアニメ的なキャラクターの描き方もしている。それでも、宇宙の果てで闘いながらメールを待つ『ほしのこえ』といい、夢の中で一人で助けを待つ本作のヒロインといい、基本的に不器用にしかコミュニケーションをとれない登場人物たちの切実さが、最近作にはない感動を呼ぶのだった。

 最近作の大作ぶりとはまるで関係なく(ほとんど反比例して)、圧倒的に感動的。

2023年1月14日土曜日

『ファイナル・デッドサーキット』-漸減

 観たのかどうか覚えがないで観始めてみると、どうやら観ていない。終わってから調べると第4作だそうで、ということはブログを始めてから2.3作と今回4作を観たわけか。

 3作目のときにも良作だった1,2作に比べるとつまらなくなっていると書いているが、この4作目もそうだった。3Dが売りで、映画の興行収入は最も高かったそうだが。

 面白みは、例の「運命」が、来るぞ来るぞと期待させておいてそれをどう裏切って予想以上のものを見せるか、につきる。それ以上に人間ドラマなどを見せてくれればそれはそれで面白いのかもしれないが、黒人警備員の背景にいくらかそれを期待させたものの結局それが活かされているほどの展開があるでなし、例の「ピタゴラ」も前作以上でなし、CGも安っぽい印象で、総合的には面白さ漸減という感じになっている。


2023年1月9日月曜日

『ハンガー・ゲーム2』-途中

 『1』の不満は同様。重点はますます政治的な支配に対する抵抗というところにおかれている。

 が、そもそも完結せずに、完全に途中で終わっているのだった。

2023年1月7日土曜日

『ハンガー・ゲーム』-予断

 『バトル・ロワイヤル』と比較されてきたせいで、最初からそのつもりで観てしまう。それではがっかりせざるをえない。

 『バトル・ロワイヤル』の魅力は、極限状況における人間ドラマにつきる。バトルロイヤルに参加する人物の背景がどれほど詳しく描かれ、彼らが死ぬことがどれほどいたみをもって読者に感じ取れるかにつきる。そういう意味で評価の高い映画版『バトル・ロワイヤル』も、原作やマンガ版にはるかに及ばないのだが、こちら『ハンガーゲーム』も、映画版『バトル・ロワイヤル』と(その魅力の在処はまるで異なっているものの)同程度の感動にとどまる。それは冒頭からいきなりゲームが始まって、しかも文庫で上下巻の大部で描かれる『バトル・ロワイヤル』にして描けることなのに、本作はゲームが始まるまでに映画の半分を費やしている。その分、ゲームが行われることの、その世界における意味づけを描くことはできている。支配と抑圧の世界構造を描き、そこへの抵抗を描く。だがそれがどれほどの面白さとして感じ取れるかというと残念ながら大きくはない。同時にそれは主人公が終始眉根を寄せて笑えないことに必然性を与えているのだが、『バトル・ロワイヤル』では、そうした状況において笑う登場人物たちが崇高だったのだ。

 不満を感じさせる設定が二点。

 「同盟」と呼ばれる共闘がどういう理屈なのかわからない。『バトル・ロワイヤル』では、共闘するのは最終的に政府に反乱するつもりであるか、現状の不安を紛らわすだけの逃避であるとして描かれているのだが、基本的には共闘は疑心暗鬼と隣り合わせだ。それが、本作で描かれる共闘はそうした葛藤なしに、作戦として描かれる。勝者が一人という設定とどう整合するのかわからない。敵味方図式がシンプルになるハリウッド映画の病弊なのだろうか。

 闘争の様子を世界中に放送するために、面白くすることを意図して主催者側が競技者に嫌がらせをする。これは誰が敵であっても、試練がどこからこようと、主人公ががんばる姿が描ければいいのだ、ということか。だが試練は他の競技者と、生き延びることそのものだけでいい。その過酷さだけが描ければ充分だ。いたずらに放送用の仕掛けをすることが、生ずるはずの人間ドラマを損なっている。


 と、大いに不満だったのだが、後から調べてみるとテレビ放送用に大きくカットされているらしい。もしかしたら全編を観ると上記のような不足も補われるのだろうか。


2023年1月6日金曜日

『トゥルーマン・ショー』-複雑な感情

 昨年放送のNHK「世界サブカルチャー史」は驚くほど面白いドキュメンタリー・シリーズだった。アメリカを中心とする文化史と社会世相史が、60年代から10年刻みで描かれる。基本は各年代の社会状況を概観し、そうした社会問題のいくつかの断面を象徴する映画を数本ずつとりあげるのだが、その中で90年代の人々の世界観を象徴する映画として本作が取り上げられていた。あわせてNHKがBSで放送している枠で、「サブカルチャー史」で取り上げている映画を何本も放送しているのもありがたい。

 この世は作られた虚構の世界で、自分の観ていない世界の裏側でそれをコントロールしている者たちがいるというモチーフは数々の物語に見られる、現代人共通の感覚なのだろう。そこから現実への回帰を描くというのが基本的な物語の帰趨なのだが、それだけ言うと『竜とそばかすの姫』と同じテーマを描いていることになってしまう。だが観終わったときの感情ははるかに複雑で、これがどういうものかというのはなかなか分析が難しい。我々が広告に象徴される資本の論理の中に生きていることやら、テレビという虚構を見ている我々と我々の生とか、映画を作っているスタッフと映画内とか、いくつかの層が入れ子状になっていて、その境界をまたぐような感覚があるようなのだが、これをちゃんと考えるには時間が必要だ。

2023年1月3日火曜日

『The Devil's Hour』-物語につきあう

 アマゾンオリジナルのドラマシリーズ。合計6時間近い物語だから、こういうのはかつてはテレビ放送でされたものを毎週に分けて観るのが常だったが、配信では一気見も可能だから、とんでもなく長い映画として観るのは、一仕事だが充実感もある。

 正直に言うと、デジャブがループ物に収斂するのも、そこにサイコなシリアルキラーやペドフィリアがからむ設定はあまりにありふれているとも言えるし、どういう話なのかがわかってからの最後の1時間は少々冗長に流れたが、そこまで、事件・状況・設定が明らかになって謎が解けていく過程はそれなりに面白かった。だから途中でやめようとは思わずに、長い物語につきあって、その物語を「生きた」という感覚は楽しい。

2023年1月1日日曜日

『東京ゴッドファーザーズ』-圧倒的

 元日からアニメ三連続。クリスマスに観ようと娘が提案していたのだがそこを逃して元旦になってみると、物語はクリスマスから始まって元日に終わるのだった。

 十数年ぶりに観てみると、最近の『チェンソーマン』のあまりの作画のレベルに圧倒されて、これも時代かと思っていたのだが、20年前に既にそのレベルのアニメはあったのだと再確認した。動きから美術まで、どこまでも隙の無いレベルで全編できあがっている。

 そしていちいちの演出が気が利いていて、笑えたりしみじみと感じいったりハラハラしたりして、最後には大いなるカタルシスにいたる。

 ここまで圧倒的によくできた映画だったのかと認識を新たにして、大満足の観直しだった。


『竜とそばかすの姫』-当然のように

 ヒットもし、カンヌや米アカデミー賞でも評価されているという本作に、勿論期待はしていない。ネットでの評判は『おおかみこども』『バケモノの子』『未来のミライ』と続く落胆の延長にあることを予想させるに十分というにあまりある。この間帰省した息子が「最初の5分観ただけで既視感が半端なかった」というのでそこだけ観てみたが、「U」のビジュアルイメージは『ぼくらのウォーゲーム』『サマーウォーズ』から更新される何の新鮮味もないし、主人公の鬱屈も、その後くりかえされる「さあ、世界を変えよう」のナレーションに見られる現実逃避願望も(それが現実回帰のメッセージの裏返しであろうことも)、あまりに見慣れた光景だ。現実逃避には、仮想空間でのヒーロー願望が付随しているが、それがあからさまでかつ説得力もないのは無惨だ。あの歌声がそれなりに魅力的だとしても、いきなり50億人が魅了されてしまうというには説得力がなく、現実に自信のない高校生が、数十人の支持を得て救われる、くらいの描き方で充分ドラマは始まると思うのだが。

 さて通して観てもその感想は覆されなかった。誰もが指摘する終盤の主人公の行動とそれに対する周囲の大人の対応の不合理も、高校生が立ちはだかって虐待親が気圧されるとかいう描写も、本当に誰か関係者が指摘しなかったのか、それでも細田監督がいいと言い張ったのか、わけがわからない。どうみてもおかしな展開で、それを看過するということは、やはりアニメ的な安直な感動を優先しているということなのだろうと思うと、病理は根強い。あれで、現実に対してどんなメッセージが送れると思っているのか。

 例えば序盤で主人公の鬱屈の源である母親の死が描かれるが、そのシーンにもう落胆してしまう。増水した川の中州に取り残された子供救うために母親が助けに行って自分だけ溺死する。川に入ろうとする母親を子供が止める。止めたにもかかわらず母親が助けに行くことに対して「自分よりも他の子供を選んだ」という理屈でこの出来事がその後の主人公の鬱屈になるのだが、もうまるで腑に落ちない。現実には子供にはその行為の危険度を測ることはできないから、母親が行くとなればそういうものかと見送るしかなく、結果を知ってから呆然とするしかないはずだ。その行動についても、現に川岸にいる自分よりも相手の子供の方が危険に直面しているのだから、「自分よりも相手を」などという比較が成立したりはしない。単に主人公の自己肯定感の低さを要因づけるためのエピソードのこうした描写が、単なる理屈でしか配置されておらず、もう現実離れしていてがっかりさせられる。この感じは『おおかみこども』の父狼の死骸の処理をする清掃員の態度や『バケモノの子』の冒頭の親類の描き方にも感じた。書き割りのような悪役や状況を背景として主人公が「可哀想な人物」に描かれる。

 度々登場するネットの人々の「声」もそうだ。あまりに一面的に、陰影もない「ネット誹謗」を表す記号的表現にしかなっていない。

 古い細田ファンとしては、多くの人が言っている通り、誰か別の人の脚本で作品を作ってほしいと切に願うが、これほど無惨な本作がそれでもヒットしてしまうという結果を見て、細田脚本を変える必然性を主張する声はどこからも発せられないに違いない。

 惜しいことだ。

『劇場版 少女歌劇レビュースターライト』-贅沢を言えば

 人から薦められてはいたのだが機会がなく見ずにいたのだが、思いがけず帰省した娘が観ようと言い出して、テレビ版の初回のみ観て、いくらか人物関係を把握してから観る。

 なるほど幾原邦彦の弟子だとかいう影響はまぎれもない。いちいち超空間にとんで描かれる闘争は象徴的だ。それを「新鮮」と言えば言えないこともない。アニメ的にも見応えのある動きを見せる。

 だが演劇に対する強い思いと闘争によって生ずる人間ドラマを描くならば、できれば現実空間で細やかな展開を見せてほしいと思ってしまった。

 多分その方が贅沢な希望なのだ。アニメ的に野心的な作品を作ろうとしている本作の試みよりも。


2022年第4クール(10-12)のアニメ

『アキバ冥途戦争』

 秋葉原のメイドをそのまま東映ヤクザ映画にはめ込むという、どういう発想で企画されたのかわからん話だったが、初回のあまりにぶっとんだ描写に驚いて娘と共有したところ、彼女が楽しみにしていたせいで溜めることなく放送後すぐに毎回観た。それなりに笑えるところがあったり、登場人物たちに愛着が湧いてきたりもして、なかなかに印象の強い作品にはなった。


『チェンソーマン』

 驚愕レベルのアニメーションが最後まで保たれた。エンディング曲が毎回変わるなど、どれだけ金をかけているのやらと思わせるテレビ放送だった。部分的には原作マンガよりもよほど丁寧に情感を伝えてもいて、それができているアニメは稀有。


『モブサイコ100Ⅲ』

 第2シーズンのように驚嘆するレベルのアニメーションではないと感じたが、全体にはレベルが高く、大きな二つのエピソードも盛り上がった。ただ、間に挟まれた「通信中② 〜未知との遭遇〜」のエピソードが印象深い。アニメーションの巧みさ(いわゆる「ぬるぬるうごく」)も、青春劇としての味わいも、後半のあまりにぶっとんだ、しりあがり寿的な味わいも。


『惑星のさみだれ』

 あまりのアニメーションのレベルの低さに途中でやめて、最後の3話で復活したのだが、まるで話に覚えがない。で、数年ぶりに原作を読み、あらためて深く感動してアニメを観ると、ちゃんと原作通りなのだった。

 やはり作品はその表現独自の様式の中で工夫されるべきものであって、原作がその表現の中で素晴らしい物語を作っているからといって、移し替えられた別の表現を無条件に素晴らしいものにするわけではないのだ。

 この素晴らしい原作に対して、あまりに残念なアニメ化。


『陰の実力者になりたくて!』

 現代日本を舞台にして初回ははじまったが、1話目の終わりに異世界に転生する。で、そこはやはり剣と魔法とエルフなぞが出てくるのだった。それでもやめなかったのは、竜がでてくるクエストものではなかったからだ。

 ここまで異世界ものが増えると今度は『異世界おじさん』はじめ、大方は「異世界もの」のパロディのようなものが増えてくる。その中でも、本作は主人公の内面が題名にあるように、ありがちな物語のパターンと自分の振る舞いを俯瞰した視点から見ているところに特徴があり、その軽やかさがどこまで昨秋で保たれるのかが興味をひいている。

 2クールに続くとは思わなかったが。


『ブルーロック』

『異世界おじさん』

も完結していないのでまた来年。