2022年12月27日火曜日

秋から冬にかけてのドラマ

 最近観たドラマをまとめて。

 『ジャパニーズ・スタイル』は舞台劇をドラマとして見せるという珍しい形態のドラマ。稽古も1日だけ、本番も一発録りだという。途中に挿入される別撮りのカットがなければ基本的には単なる舞台劇。スタジオには観客さえいる。

 仲野太賀の演技には毎回唸った。これだけの仕事をこなしながら、なおこれだけの演技の把握をして実演してみせるのはすごい。

 意外なことに9話まで続いたのは長すぎると感じたが、とにかく舞台劇の面白さを(そのうち)生徒に伝えるべく、全話録画を残しておく。


 『霊媒探偵城塚翡翠』

 原作の「medium 霊媒探偵城塚翡翠」はさすがミステリー賞5冠で、圧倒的な面白さだった。これは別メディアでもほっとかれるはずはないと思っていたら、ようやく、という感じの実写ドラマ化。

 クオリティはテレビドラマレベルという感じだが、清原果耶の演技には感心した。どうみても嫌みなキャラクターなのに、不自然でもなく嫌みにもならない。これだけのこなれた演技をするのは本当に見事だと思った。

 そして何より、謎解きの面白さは原作譲りで、例えば『屍人荘の殺人』に比べても圧倒的だと思う。


 『エルピス』

 実は10話のうちの最後の3話しか見ていない。渡辺あやの脚本だということを知ったのがそこからだったので。

 最後の3話だけ観ても凄まじいレベルであることがありありと感じられた。報道が社会に与える影響と、自分の生き方の選択をぎりぎりまで考えて、どう行動するかを観る者にまで迫ってくる。

 同じ、報道がテーマであるはずの『新聞記者』があれほど観念的にしか描かれていないのに比べても、テレビドラマのレベルの高さに、映画関係者は恥じ入ってほしい。


 これと続けて、2022年オーストラリア最優秀ドラマ賞受賞の『The Newsreader』を観た。こちらもテレビ局の報道部を舞台にしたドラマだが、報道がテーマというよりテレビ番組を作るバタバタと、そこで成功しようとする人々の人間模様を描いて、なるほどの面白さではあったが、単純に「面白い」と言い捨てられない『エルピス』の凄さをあらためて感じられたり。

2022年12月14日水曜日

『ハイテンション』-ハイテンション

 フレンチ・ホラーの先駆けということで知ったアレクサンドル・アジャのスプラッター。先にパスカル・ロジェの『ゴーストランドの惨劇』を見て、これはこのくくりで複数見てもいいかと。

 屋敷に押し入った男に一家が次々と殺されていくというだけの、『十三日の金曜日』『ハロウィン』『スクリーム』あたりの殺人鬼物の縮小版。最近では『パーフェクト・トラップ』がこれに近い。低予算で作られていることは、上記のそれぞれ第一作と同程度か。

 それだけの話だから、もう緊迫感と恐怖の演出しかない。そしてそれはきわめて質が高かった。再生を止めて、いったん落ち着いて衝撃に耐えようと思うほどの緊迫感だった。

 ドンデン返しは悪くないが、そこに至る、わかってから解釈がかわるような伏線があるでなし、単に意外だというだけの無理矢理な「返し」だった。そこで評価するのには無理がある。

 それでも、そういう意外性自体が心に残ってしまうという効果は確かにあって、何やら面白かったような印象もないではない。

2022年12月10日土曜日

『ラスト・ブラッド』-何も

 例の押井守がらみのシリーズの、海外制作実写版。とりあえず落とし前的に観る。

 アクションは悪くないが、まあ別に見てどうということもない。CGはきわめてチャチく、外国人の撮る日本の描写はもちろんインチキで、どういう必要があって実写映画にするのかわからない。

 アニメ版も、ストーリーがあるわけでもないし、どんな人間ドラマがあるわけでもないのだが、描写がすばらしいだけで価値はあるのだ。この実写版には何も見るべき物はなかった。

2022年12月7日水曜日

『ファイナル・アワーズ』-それなりに大作で佳作

 終末物。題名もそのまま終末。

 彗星が地球に衝突して人類が滅亡するまでの数時間、というのだから『エンド・オブ・ザ・ワールド』を連想するのは当然だが、まあタッチは全然違う。

 終末の絶望に恋人の前から立ち去って、現実逃避的・狂騒的で絶望的なパーティー会場へ向かう主人公は、最初のうちは不快な人物として描かれる。それが道中、たまたま少女を悪漢から救って、彼女を父親に会わせるという目的を得てからそれなりに共感もできるようになる。

 基本的には終末に向かうだけで、事態が好転する要素はない。会いに行った相手が死んでいたり、別れるしかなかったり。最後に恋人の元に戻るが、一緒に終末を迎えることに救いを感じられるわけでもない。

 全体には、意外と安っぽいところのないしっかりした映画ではあった。

『音楽』-音楽の初期衝動、みたいな

 4000万枚の作画全て手書きというインディー製作の労苦が全面に立ってしまうが、そこで評価する必要はないはず。面白いかどうかだ。

 面白いところはある。アニメ表現としても見所はある。シュールな表現が平凡な描写から飛躍して、おお、と思わせる。なぜか平岩紙が男子高生を吹き返している森田君のキャラクターは微笑ましいし、エンドロールを見てから見直した岡村靖幸の突然の吹き替えシーンは、あまりに岡村で笑ってしまった。

 もちろん肝心の音楽の初期衝動、みたいなものの感触は捉えられている。最初にみんなでせーの、で音を出した瞬間の快感とか。

 だが音楽を楽しむために不可欠なはずの持続した取り組みが途中で失われてしまうのに、最後はリコーダーでセッションに参加するという捻ったドンデン返しを狙っているらしい展開が、なぜリコーダーはうまいのかという説明もなく、それができてしまうというご都合主義的な展開に冷めてしまう。

 面白いということになっているらしい「間」も、どうもせっかちな観客にはもどかしいばかりで効果的とも思えず、全面支持という気にはならなかった。

2022年12月3日土曜日

『クレイジーズ 42日後』-安上がり

 引き続き終末物。今度はゾンビ物でもあり。

 ロメロの『クレイジーズ』の続編でも何でもない。『28日後』をあてこんでもいる。原題は『Alone』だ。

 基本的には感染症で人々がゾンビ化するという『クレイジーズ』でもあり『28日後』でもあり、という終末物なのだが、大部分はマンションの部屋に籠もって「Alone」しているので、安上がりな作りだ。終末物に惹かれる要素の一つは、人気のなくなった街の風景なのだが、なんせほとんど室内だし、走るゾンビ的感染者はうるさいし。

 予算の規模感の中ではまずまずがんばっているという感じ。


2022年11月27日日曜日

『孤独なふりした世界で』-孤独な終末

 終末物が続く。人類が死に絶えた世界で、一人死者を弔って清掃と、自分の仕事である図書館の書架の整理を続ける男。そもそもが孤独な男だという設定が終末世界では一層際立つのだが、一方で男にとっては人々といる間の方が孤独だったという皮肉も語られる。

 途中からその世界に闖入する女の子が妙にエル・ファニングに似ているなと思ったら、ほんとにそうなのだった。小規模プロダクションの製作のB級映画かと思ったら。そのうちにシャルロット・ゲインズブールまで。

 とはいえ『アイ・アム・レジェンド』などとは比ぶべくもないスケールではある。淡々と描かれる終末。

 完全な終末かと思いきやそうでもなく、そこに残った文明がまた不快な歪みを持っているという展開は現代社会のメタファーでもあるのだろうが、それよりも、そうした真実がわかる意外な結末にいたる瞬間は、ちゃんと感情を揺さぶるように描かれている。だが、これはまたどういう感情なのかがわかりにくいのだった。

 主張という形で言えば、終末をちゃんと終末として受け止めるべきだというような言い方になるような結末なんだが、そんなふうにいうまでもなくなんとも味わい深い映画ではあるのだった。

2022年11月26日土曜日

『地球最後の男』『アイ・アム・レジェンド』-リメイク見比べ

 リメイクの『アイ・アム・レジェンド』はテレビ放送で2回観ていて、古典的名作になっているという本作は初めて。

 冒頭の人気の無い街並や、始終風の吹いている寂しい終末感はとても良い。ゾンビ物の古典になっているところにも敬意を払うべきかもしれない。

 が、原作のリチャード・マシスンは監督の演出力を低く評価したというのもむべなるかな、リアリティの水準はとても低い。緊張感もないしつっこみどころもある。ドンデン返しもまるで生きていない。

 気になって『アイ・アム・レジェンド』を見直してみると、あまりの映画力の差にクラクラする。人が死に絶えて3年経ったニューヨークの街が、圧倒的なスケールで描かれる。

 だが、こっちにはドンデン返しがないのだった。そんなのありなのか? 結末の意味がまるで変わってしまうこんな改変が。

2022年11月21日月曜日

『鑑定人と顔のない依頼人』-映画的

 実は『ニュー・シネマ・パラダイス』はまだ見ていない。『海の上のピアニスト』も。というわけでジュゼッペ・トルナトーレ監督作はこれが初めて。

 画面全体がとにかく豪華で、こういうのも映画の醍醐味だ。鑑定を依頼された半ば廃墟となったヴィラの内装や家具調度、主人公の秘密の部屋の、壁一杯の肖像画。何気ない街角やレストランも。

 そういった、映画的〝画〟を作ることと、堂々たるコンゲームとして物語を構成することとは、ともに「映画的」であることの精髄なのかもしれないが、どうも馴染まないような感じもして戸惑う。ドンデン返しに拍手喝采するような話だとは予測してない、という、ジャンル的な先入観。そういうのはもっと軽やかだったりサスペンスフルだったりするスピード感がほしくて、前半の重厚な描きっぷりからは肩透かしだった。


2022年11月13日日曜日

『プリズナーズ』-父親の焦燥

 ドゥニ・ヴィルヌーヴのハリウッド・デビュー作。だというのにヒュー・ジャックマンとジェイク・ギレンホールが主演というから随分信用されたものだ。確かに手堅い演出でぐいぐい見せる。

 幼い娘を誘拐された父親の焦燥は痛いほどわかる。一縷の望みをかけて、容疑者を私的に拷問するのがひどいとネットで叩かれているが、それをしないで後悔するよりは心を鬼にして、という選択はありうる。ただまあ、ああいうアメリカ人の父親の「必ず」「絶対」の類いの根拠のなさには毎度鼻白む。

 事件の真相に向けて、はみ出し刑事が迫っていく過程はひきこまれるが、最後まで見ると、ただ惑わせているだけといういささか余計な伏線もあり、そのわりに真相がどうもピンとこない。まあそこに宗教に絡んだ心理があるせいか。

 それから、他の映画でも時折そうした描写が気になるのだが、素人が銃を突きつけて他人を脅すとき、距離が近すぎる、という演出にリアリティの水準が下がる。致命的な展開になるくらいなら、充分素早い動きで銃を払うなどするのに賭ける方がいいに決まっている。犯人はそれを防ぐことができるようなプロではないのだから。

 というわけで、面白く見つつ、どうも最後あたりで微妙にがっかりもした。

『女神の見えざる手』-最高級

 原題は主人公の名前『ミス・スローン』なので、この邦題は全くの創作だが、もちろんアダム・スミスのもじりだろうから、何かが意外な形で自然に、不作為に調和するという結末になるんだろうと思っていたら、単に女性主人公の隠していた奥の手、くらいの意味だった。劇中で「手を隠している」という表現が何度か使われていたところからの発想だろうが、つまらぬミス・リードを招くから原題のままでいいのに、と思ったり。

 すごい映画だった。アメリカ政治におけるロビー活動の様子も興味深いが、とにかく作戦遂行にあたっての実行力と議論力が素晴らしい。ついていくのは大変だがスリリングでエキサイティングこのうえない。

 知的に組み立てられたゲームが劇中に展開しつつ、そこにプライドや生活やもはや人生がかかっているといっていい重みがある。敵が無能にも、単なる悪にも描かれない。そういう価値観も理もあるだろうと充分に思える。

 単なる痛快な結末というわけではなく、何かを得るために何を犠牲にするかという決断と、それに向けた綿密な計画と、それを物語としてのクライマックスに見せる映画としての構成に唸った。

 これほどの演技を見せたジェシカ・チャスティンがアカデミー賞にノミネートされないのは、銃規制というテーマに対する配慮から、映画自体がタブー視されたんだろうか。

 ともかくも脚本・演出・編集・演技ともに最高級の一作だった。

2022年11月6日日曜日

『サン・オブ・ザ・デッド』-ゾンビに肩入れ

 実に低予算なC級映画だった。ゾンビが一匹(一人?)しか出てこない。

 メキシコに近い砂漠が舞台でヒロインがゾンビにつきまとわれる、という話。ゾンビは足の遅いタイプで、歩いて逃げても追いつかれないが、ひたすら追いかけてくる。途中、偶然手に入ったゴムボートを荷物運びに使っていたが、その後でそれと路上に捨てられた古タイヤを使って、ゾンビに荷物を運ばせるというアイデアだけは拍手喝采物だった。

 なぜかゾンビに肩入れしてしまう心理も面白かったが、やむをえない別れの後、長々息子に会いに行くエピソードが描かれる間、そこまでのゾンビの存在がまるでストーリーにからんでこないのは勿体ない。

 低予算とはいえそこは脚本にがんばってほしかった。


『パーティーで女の子に話しかけるには』-パンクSF

 どうみても青春映画を予想させる題名で、その通りではあるんだが、謎のセンスで描かれる、サイバーパンクならぬパンクSF。ニコール・キッドマンとエル・ファニングがキャスティングされているんだから、インディーズというわけではないのに、描かれる世界はとてもインディーな感じ。

 異星人との接触が、70年代のパンク少年たちを主人公にして描かれる。SFとしてのセンス・オブ・ワンダーがあるかというとそうでもないし、主人公と異星人の少女の交流は凡庸なボーイ・ミーツ・ガールになっているとも思う。パンクのライブ場面は素晴らしい高揚感だったが、CGで異空間が描かれるのはチャチくてがっかりさせられる。

 安い手ではあるが、時間の経過と喪失感を感じさせるエピローグがあって、いくらか印象は良い。

2022年10月31日月曜日

『涼宮ハルヒの消失』-13年を挟んで

 13年前の劇場公開の時は、当時の「ハルヒ」同志である中学生の息子と電車で上映館まで出かけて観た。そんな状況もあってあまり公平に評価できるわけではない。

 とりあえず原作には当時大いに熱狂した。面白くて感動的。夜遅い時刻に読み始めて、やめられなくなって夜明け近くに読了という。

 テレビシリーズ2シーズンの放送中に、かの悪名高き「エンドレス・エイト」の終わり頃に、これは『消失』が映画になるってことなんだと予測したらその通りになった発表の時にも快哉を叫んだものだ。

 今回はアマプラの見放題終了という、何の文脈もない見直しなのだが、途中でテレビ放送もなかった(か知らなかった)のでまったくの13年ぶり。

 最初しばらくは、13年前の京アニは、意外と普通のアニメだったんだなあ、と思った。印象では劇場版ならではの密度だったような記憶なのだが。

 13年前というのはガラケーで、劇中でも「古い」パソコンがブラウン管でwindows95という時代だった(今では「古い」ことを描こうとしてももはや通じまい)。アニメの古さと劇中の古さが合っていた。

 だが世界が改変された後の世界に入って、不穏な空気とともに、朝倉が教室に入ってくる緊迫感から俄然テンションが上がり、アニメ的にも密度が上がった。正直、頭の辺りを見直そうと思っただけだったのだが、やめられなくなって、2時間半以上の映画を全編観てしまったのだった。

 13年前に劇場で観たときには、正直、原作を読んだ時ほどの興奮はないなあと思ったのだが、13年振りだと原作を読んだときの高揚感がまた再現されて、やはりすごい話、すごい映画だった。


2022年10月30日日曜日

『埋もれる殺意 39年目の真実』

 さらに今度はイギリス。ミステリーではあるが、警察物なので、謎が解けるというよりは、捜査によって真相がわかっていく、というだけで、本格物ではない。映画でもなく、先日観たのと同じテレビシリーズ

 感想は前のと変わらない。

 こういうのを観る快感ってなんなんだろうな。

『ロスト・ボディ』-後味が良くない

 フランスのミステリーの次はスペインのミステリー映画。これもまたハリウッドっぽい。誰かの陰謀なのかオカルトなのかわからず話が進む。途中に挿入される登場人物の悲劇的な背景が、最後にきてちゃんと事件の伏線として収まる。見事な作りだとは思うが、どうも登場人物たちが好きになれない。同情に値する犯人でさえ、好意的には共感できず、あまり後味は良くない。

2022年10月23日日曜日

『9人の翻訳家 囚われたベストセラー』-バランス感覚

 映画館の予告で気になっていたフレンチミステリー。

 ベストセラーの続編を各国同時に発売するためにそれぞれの言語の翻訳家を集め、監禁して翻訳させるが、なぜかネットに流出して…という展開は魅力的。そこにとてもよくできたどんでん返しが用意されたミステリー映画ではある。

 テイストはハリウッドだが、妙に深刻な感情の発露が描かれるのはフランス映画ならではなのだろうか。それがどうもノイズになって楽しめない。

 例えば、流出を阻むために次第に無茶なことをし始める出版社長についていけない。損害を避けるためとはいえ人殺しまでしてしまって、それをどう隠すのかよくわからない。

 そこにさらに登場人物の一人の「創作者としての悩み」が深刻に描かれるのだが、それが事件の展開そのものにかかわる。

 そうした感情の深刻さが、コン・ゲーム的なミステリーの味わいとは馴染みがたく、どうもそのバランスについていけない。

2022年10月22日土曜日

『漁港の肉子ちゃん』-愚かで無垢な

 アニメ的なレベルは高い。監督の渡辺歩は「ドラえもん」映画のどれかを観ているようではあるが、監督を覚えているようなものはなく、『海獣の子供』はまだ観ていない。ただSTUDIO 4℃の制作となれば品質は高いに決まっている。
  となればこれは「アニメのクオリティは高いけれど」のパターンか、と予想されると、果たしてそのとおりなのだった。 
 この「肉子」のような、愚かで無垢というキャラクターが総じて苦手だという思いは、最近とみに各クールの新作アニメを見るたびに意識される。その手のアニメでは「愚かで無垢」で「可愛い」女の子が主人公のことがしばしばあり、面白そうな話だと思ってしばらく観ようかと思っていても、そのうちそこに嫌気がさしてやめてしまう。 

2022年10月1日土曜日

2022年第3クール(7-10)のアニメ

『継母の連れ子が元カノだった』

 録りためてしまうものと毎週消化するのに分かれるのだが、毎週消化するものの中でこれが最初に最終回を迎えた。

 アニメ的には特筆すべきものはなく、お話が特段良かったというのではないが、本好きな若者の不器用なやりとりが微笑ましかった。


『リコリス・リコイル』

 安済知佳は『刻刻』の主人公でもあったし、他にもいくつかの作品で知っているはずだが、意識したのは『さんかく窓の外側は夜』の女子高生役が素晴らしかったからだ。そして本作ではまた一層の素晴らしさに毎回感心した。感情表現の豊かさと軽やかさ。

 作画も一貫してレベルが高いままで、スピード感もリズム感も緻密に演出されている。


『よふかしのうた』

 夜更かしのワクワク感を感じさせた1話に感動して見続けたが、それほどドラマが展開するでもなく、後半はどんどん盛り下がった。通して、夜空・星空の美しさは出色だったが。


『サマータイムレンダ』

 2クールで完結して、なおかつそれが3日ほどの間を何度も繰り返すだけで、最終回は、初回と同じ日を、全て大団円になった上でもう一度繰り返すという構成の妙に感心した。タイムリープを駆使したパズル的な知恵比べも見応えがあった。

 ただ、やたらと誰が好きだという要素が強調されるところが、かなり鬱陶しかった。


『ユーレイデコ』

 『攻殻機動隊SCS』の脚本をやっていた佐藤大と湯浅政明の企画ということで期待した。最初のあたりはビジュアルイメージもアクションもレベルが高いと感じたが、世界観はポップにした『電脳コイル』の二番煎じという感じで、そうなるとレベルの落ちてきた中盤からはワクワクもしなくなっていって、残念な終盤だった。


『メイドインアビス』

 劇場版の鬱展開もなかなかのものだったが、物語的に劇場版に続く本作第2シーズンも、そうそうにそういう気配があって、長らくHDに溜めたまま手を付けずにいた。

 半年近くなってようやく通しで観たのだが、やはり辛い描写が続く。だがアニメーションのレベルは高いまま、そして強いドラマ性を保ったまま1クール12話を完結した。悲劇の中で主人公の揺るぎない前向きさが凄い。


『異世界おじさん』が途中から再放送になってしまうのはコロナの影響らしい。来シーズンの再放送、完結に期待。

『惑星のさみだれ』は、アニメ化がニュースになったときに我が家で湧いたのだが、始まってみるとあまりのアニメのレベルの低さにがっかりし続け、それでも1クール観て、2クールものだとわかったところで脱落。


2022年9月27日火曜日

『どうにかなる日々』-何もひっかかってこない

  志村貴子の原作を佐藤卓哉監督でアニメ化。

 作画も悪くないし、キャストは達者な人たちが豪華配役だし、文句ないかと思いきや、ちっとも面白くない。『STEINS;GATE』の佐藤拓哉にしてこれなのは悲しい。

『埋もれる殺意 18年後の慟哭』

 イギリスBBC制作の刑事ドラマ。このところ「特捜部Q」はデンマーク、最近観ている『アストラッドとラファエル』はフランス、とヨーロッパの刑事ドラマでは面白いものを観ているが、古くは「ミレニアム」シリーズはスウェーデン、もっと遡れば「第一容疑者」シリーズはイギリスのグラナダTVだった。このレベルの刑事ドラマを日本で探すのは難しい。「トリック」は軽くなってしまって対抗できないが「ケイゾク」の方がまだ味わいがあった。それらのパロディ的な作られ方をしている「クイズ」はさらに好きだった。坂元裕二の「初恋の悪魔」は2話以降を録画して、きっと1話を再放送されると信じてまだ観ていないのだが、こうした名作に対抗できるんだろうか。

 本作は1話45分を6話で、4時間半の長丁場なので、とりあえず観始めて眠くなるまでと思っていたら先が気になり、結局一気見してしまった。こういうのは充実感があって幸せな物語享受だ。

 最初のうちはバラバラな人物たちが描かれ、徐々に彼らが一つの事件に関わっていく。粘り強く観られなければそのテンポの遅さ、それだけに緻密な作りに乗れない。それだけに、楽しくなってしまっていくともうやめられない。人物一人一人がじっくり描かれる情報量の多さとドラマの強さ。

 充実していた。

2022年9月26日月曜日

『特捜部Q キジ殺し』-なぜか面白い

 観たのは4作目だが、物語的には第2作だって。だが観た中では最も悲劇的に終わるとも言える。最も助けたかった被害者の一人は同時に加害者でもあり、救い出されて終わり、というわけにはいかなかったのだった。

 ネットの評判で低評価の人が言うことは実に尤もで、主人公を始め、警察があまりに無能である(無策だったり違法捜査をしたり)という面は確かにある。その前に犯人側がやっていることは結構無茶で、これが今まで捜査されずにいるのもおかしな話だ、とも思う。

 でも結局結構面白いのはなぜなのか。重厚な人間ドラマ、というにはあまりに物々しいばかりではないのか。破壊的なまでの一途さも、上記の無能さとも言えるほどの過剰でもあり。

 はて。

『ストレンジャー ~上海の芥川龍之介』

 どういう事情で作られ、どういう事情で放送されたのかわからないが、観終わってから調べると2年前に作られたものだった。中国ロケなのだが、コロナは、マスクはどうなっているのかと思ったが、それで。

 100年前の上海の街並の撮影は見事で、音楽も美しく、どういうわけでこんな異様に質の高いドラマが作られたのかと不思議だが、面白かったかといえばそうでもない。どこを見るべきか、最後までわからないままだった。

 ところでこれが渡辺あや作品で、しかも『ワンダーウォール』と『今ここにある危機と僕の好感度について』の間に作られた作品なのだった。両者に比べて、直ちに面白いとは思えないものの、やはり無視はできない存在ではある。


2022年9月24日土曜日

『特捜部Q カルテ64』-ますます偏屈

 一転してヨーロッパの陰鬱な刑事ドラマ。中途半端なおふざけもなく徹底してシリアス。今回も重厚なタッチで猟奇的な犯罪が描かれる。主人公はますます意固地な偏屈者になっていて、ここまでやったら見ていて不愉快じゃないかとハラハラするが、最後にはそこから周囲の人への穏やかな歩み寄りが見られて安心する。その落差を狙っての極端なキャラクターづくりか。

 大がかりな犯罪に対して、警察が組織的に動かないことにやきもきするが、事件はそれなりに解決に向かう。悲劇は描かれるが、そのままいかにもの悲劇的決着なのかと思いきや一捻りしてしぶとい生き様が描かれるのもまずまずのハッピーエンドで後味は良い。

『8番目の男』-真面目に見られない裁判劇

 予告を見ると韓国版の『12人の怒れる男』か、あるいはコメディタッチなところをみると『12人の優しい日本人』かと思い、どちらかを期待して見てみた。

 結局はどちらともつかぬ中途半端な出来でがっかり。

 韓国映画らしい中途半端で不必要なコメディタッチと過剰な激情型演技に鼻白む。登場人物たちの判断がいちいち不自然でいかにも作り物じみているのと、それなりに達者な役者陣の演技や演出に落差があって、毎度韓国映画を観るときに感じる居心地の悪さをここでも感じる。感情の微妙な機微を感じ取ろうとしても、滑稽に描かれてしまうか大げさな怒りや悲しみが唐突に描かれてしまい、自然で合理的な感情の動きが阻害される。

 裁判の最中の不規則発言が、時折は阻止されるものの、それよりも映画的に盛り上がると判断されればいくらでも放置されてしまうとか、判事が判決を述べる直前に判断を変えるとか、到底真面目には見られない。裁判映画を真面目に観ようというという以外にどう見よというのか。

 事件の真相が明かされるくだりも、主人公たちに推測ができたとたんに再現フィルムとして真相が語られる。そんなふうに真相に至れるなら警察でも裁判所でも、そこに至れないはずはないのに。

 それでいて司法の人権保護を謳っているかのようなとってつけたような教訓にも鼻白む。

2022年9月20日火曜日

『泣きたい私は猫をかぶる』-アニメ的にうまいだけの

 こういうアニメがあったなと思いつつも、何だっけと思いながら観た。終わってから調べると、なるほどCMでは観ながらコロナで公開が見送られたのか。スタジオコロリドだが『ペンギン・ハイウェイ』の石田監督ではない。とはいえ絵柄は『ペンギン・ハイウェイ』とまるで同じなのはジブリと同じく、スタジオが絵柄を決定しているのだ。それはそれでアニメスタジオの戦略かもしれない。

 で、本作はというとアニメーションの質の高さに対してまるで面白くない。この浅さイタさは…と思っていたら岡田麿里なのだった。そういえば題名が例によって五七の韻律になっているではないか。

 始まって画面が暗いうちにナレーションが被って言うことには、あなたの力になりたい、あなたに好きと言われたい、だ(不正確だが大体そういう内容)。これをイタいというほかどう受け止めればいいか。

 主人公の言動が不自然すぎて、というのはネットの感想の通りだが、途中で中身が入れ替わる展開があるのに、別の人格が入っても言動が変わらない。イタくて変な言動を描くことが自己目的化していて、中身が別の人格になっているという展開が意味をなさない。

 大体がそういう調子だ。脚本はまあいつもの岡田話だというのに、演出がそれをどうともしていない。アニメ的な「ちょっとうまい」描写をすることに終始している。拒否されていた相手の心を振り向かせ、最後は両思い、という「お約束」がまるで説得力をもたない。

 これもまた「アニメ的にうまい」だけのアニメ。

2022年9月18日日曜日

『パーフェクト・トラップ』-『SAW』トリックは無し

 『SAW』の脚本家というので観てみる気に。殺人鬼に拉致されて、救出隊とともにアジトから逃げる、というだけの話だが、テンション高いままサスペンスに溢れた逃亡劇に、最後の反撃まで、悪くないできだったが、それにしても殺人鬼の背景やら、ヒーローの関わり方も、何だかあまりに説明不足で妙だなと思っていたら、終わってから調べると続編なのだった。それでも観られるくらいに中身はない話なのだった。

 途中、殺人鬼から2グループに分かれての逃亡が描かれているので、これは同時進行と思わせて実は時間的にはズレているという、いつもの『SAW』のトリックか!? と期待して見ていたのだが、そんなことはなく途中で合流してしまう。

 残念。あれが『SAW』の最大の見せ所なのに。殺人装置なんかじゃなく。

 それにしても冒頭のクラブでの大量虐殺は意味不明だったな。壮絶で、これは上映できるんだろうかいうくらいの派手な大量虐殺なのだが、何のためにやっているのかわからん。前編を見るとわかるんだろうか。

2022年9月17日土曜日

『友だちのうちはどこ』-前と同じ

 前に観たときはDVDを借りて観たのだが、NHKで放送されたので。

 前の記事を見直してみたが、今回の感想とまったく同じところに反応しているのだった。

 それにしても、ちょっといい小品、という以上の、何か社会的な意味があるというふうには感じないのは残念ではある。

2022年9月15日木曜日

『ニューヨーク公共図書館』-寡黙なドキュメンタリー

 岩波ホールで『12か月の未来図』を観た時に次回上映作品としてCMを観て興味を惹かれていた。始まってみると3時間半にも及ぶ長尺で、一度に全部を見ることはできなかったばかりか、途中30分くらいはとばした。

 ともかくもニューヨーク公共図書館の活動をひたすら追う。フレデリック・ワイズマンは、ナレーションも字幕も音楽も入れない。ひたすらそのまま映す。何のことなのか、たぶんアメリカ人が見る半分くらいしかわかっていないんだろうが、とにかく観客の主体的な視聴を必要とする映画なのだった。

 ともかくも「公共」なのだった。日本の図書館とはまるで存在の意味が違う。映し出される多くは講演会やセミナーだ。それも説明なしに始まるから、誰なのかも、何の演題なのかもわからないでとりあえず見続ける。最初の講演者がリチャード・ドーキンスだったのは、始まってから急いでネットで調べてわかった。そうした様々な講演に熱心に耳を傾ける聴衆の顔を次々と映していくのだが、黒人やヒスパニック系が多いのは、編集上の演出か、本当にそうなのか。こうしてアメリカの「公共」が作られ、保持されていくのかと実感させられた。

 さすがにそうした断片をひたすら並べていくだけで3時間半は、特別な関心がある人しか堪えられないだろうが、合間合間に、図書館の運営会議が挟まれる。そこで議論されていることが、講演やセミナーや開架の解説になっているのだ。

 そうした議論や活動が、日本で可能とはとても思えないところに、ともかくも、アメリカという国の公共のありかたが強く印象づけられるドキュメンタリーだった。

2022年9月1日木曜日

この1年に観た映画 2021-2022

 今年は85本。

 コロナ初年度の一昨年よりペースが落ちたが過去2番目に多かった。11月に12本観ている。秋に映画。これからの時期ということになるが、最近NHK-BSのドキュメンタリー番組に面白い物が多いのを再発見してせっせと観ているので、そこに結構時間がとられてもいる。今年はどうか。

 さて85本から選ぶ10本。


11/13『マリグナント』-映画館で観るホラー

11/25『1917』-制作の情熱

12/8『ドロステのはてで僕ら』-最高

12/27『LION 25年目のただいま』-子供の不安

1/12『残念なアイドルはゾンビメイクがよく似合う』-「楽屋」

1/20『ワンダーウォール〜京都発地域ドラマ〜』-脚本と若手俳優

2/5『THE GUILTYギルティ』-すさまじい緊迫感と焦燥感

2/26『愛しのアイリーン』-価値ある映画化

5/23『エンドレス 繰り返される悪夢』-よくできたループ物

8/1『明日への地図を探して』-丁寧な作り


 ホラーとしては一本きりの『マリグナント』は映画館で観るというアドバンテージがあるものの、ホラーとしては次点の『ゴーストランドの惨劇』のように特別感のあるものというより、「よくできた」という完成度の高さを評価した。

 同様の「よくできた」お話作りということでは『エンドレス 繰り返される悪夢』がループ物として出色のできで、韓国映画らしい過剰さとのアンバランスさを越えて選びたい。

 『1917』と『LION 25年目のただいま』は堂々たる大作米画の中から、圧倒されるような思いで観た2本。

 『THE GUILTYギルティ』は対照的に、低予算だが完成度の高い脚本と演技、演出で見せた欧州映画。

 邦画としては『残念なアイドルはゾンビメイクがよく似合う』をベスト10に入れるのは我ながらどうなの、という気もするが、それくらい楽しかったし、心に残ったのは間違いない。

 同じく舞台劇から派生したプロジェクトとして『ドロステのはてで僕ら』は、さすが上田誠ブランドというだけでなく、映画的工夫も凝らされていて唸らされた。

 『ワンダーウォール〜京都発地域ドラマ〜』は素材の良さもあって好印象の度合いが高いが、邦画3本とも、予算としてはハリウッド映画の規模の何分の一くらいなのやら。

 それらに比べて、同じく大作とは言えない『明日への地図を探して』を観ると映画的な文化の厚みが違うなあとあらためて思い知らされる。

 さて、後を引くという意味で今年一番なのは『愛しのアイリーン』だったか。原作を再読してしまったせいもあるが。


 次点10本。


11/22『アルカディア』-不穏と脱出

11/27『A Ghost Story』-「意味」は判然としない

12/4『LIFE』-サスペンスと強い感情

1/7『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』-爽快

1/30『ゴーストランドの惨劇』-佳品

5/27『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』-男の子

6/25『フロッグ』-複線の伏線

6/29『アメリカン・スナイパー』-戦場と日常と

3/31『王立宇宙軍 オネアミスの翼』-やはり名作

8/25『インターステラー』-手間のかかった奇跡


 以下85本を視聴順に。


9/8『屍人荘の殺人』-意外とスカスカな

9/12『イニシエーション・ラブ』-ドンデン返しだけが

9/12『リズと青い鳥』-残念ながら

9/18『REC3 Génesis』-謎設定のゾンビ物

10/3『ゼイリブ』-過剰とアンバランス

10/9『シャイニング』-「世界遺産」的

10/10『ソウ・レガシー』-映画における倒叙トリック

10/16『マラソンマン』-正統派サスペンス

10/20『ババドック』-メタファーとしてのホラー

10/23『大統領の陰謀』-準備が足りない

11/1『幸せのレシピ』-魔法がとけて

11/2『箪笥』-腑に落ちない

11/3『マッド・ハウス』-「洗脳」に見えない

11/4『HELLO WORLD』-アニメのキャラクター

11/13『マリグナント』-映画館で観るホラー

11/13『ゾンビ・サファリパーク』-B級ながら良作

11/18『キャビン・イン・ザ・ウッズ』-不思議な不穏な

11/21『ゾンビワールドにようこそ』-設定を活かす

11/22『アルカディア』-不穏と脱出

11/25『1917』-制作の情熱

11/27『A Ghost Story』-「意味」は判然としない

11/27『ビートルズと私』-雑談

12/4『LIFE』-サスペンスと強い感情

12/4『ウトヤ島7月22日』-工夫がなく不合理

12/8『ドロステのはてで僕ら』-最高

12/12『ゾンビ・リミット』-真面目なゾンビ映画

12/19『ファウンド』-よくわからない

12/23『The Loop 永遠の夏休み』-ループ物の落とし前

12/24『キャビン・フィーバー』-許せない不合理

12/26『AKIRA』-細部の想像力

12/27『LION 25年目のただいま』-子供の不安

12/28『ヘイトフル・エイト』-初タランティーノ

1/7『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』-爽快

1/12『残念なアイドルはゾンビメイクがよく似合う』-「楽屋」

1/13『トロールハンター』-やっと観られた

1/16『ほえる犬は噛まない』-レインコートと紙吹雪

1/20『ワンダーウォール〜京都発地域ドラマ〜』-脚本と若手俳優

1/26『(r)adius』-ジャンルの混交

1/29『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』-ジブリ的フランスアニメ

1/29『サランドラ』-父権的家族

1/30『ゴーストランドの惨劇』-佳品

2/2『さんかく窓の外側は夜』-無惨な絵解き

2/5『Knives Outナイブズ・アウト』-間然するところのない

2/5『THE GUILTYギルティ』-すさまじい緊迫感と焦燥感

2/6『名前』-テーマ回収の浅さ

2/10『オッド・トーマス』-縁のないエンタテイメント

2/12『ハロウィン』-凡作

2/26『愛しのアイリーン』-価値ある映画化

2/27『グランド・ジャーニー』-ちょっと冷める

3/4『凶悪』-批評的ではなく

3/5『ハロウィン』-ヒット作のはずだが

3/6『バトル・オブ・セクシーズ』-「問題」作としてでなく

3/12『スパイの妻』-リアリティの水準

3/16『寝ても覚めても』-わからない

3/19『透明人間』-評価保留

3/31『王立宇宙軍 オネアミスの翼』-やはり名作

4/2『ランダム 存在の確率』

4/21『天使のたまご』-雰囲気だけでは

4/24『攻殻機動隊SAC』-おそるべき

4/30『ブラック校則』-拮抗しない

5/1『特捜部Q 檻の中の女』-北欧ミステリー

5/2『特捜部Q Pからのメッセージ』-計算された救い

5/15『機動警察パトレイバー the movie2』-最高

5/23『エンドレス 繰り返される悪夢』-よくできたループ物

5/27『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』-男の子

5/28『ルーム』-強い

5/29『シライサン』-なぜ映画では

6/4『Zoom』-層の厚さ

6/11『メッセージ』-よくできたSFではあるが

6/15『OLD』-ある種のSSS

6/25『フロッグ』-複線の伏線

6/29『アメリカン・スナイパー』-戦場と日常と

6/30『響 -HIBIKI-』-賛否

7/15『夜の来訪者』-精緻な脚本

7/16『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』-盛衰

7/23『ペリカン文書』-堂々のハリウッドサスペンス

7/31『ムーンフォール』-パターン

8/1『明日への地図を探して』-丁寧な作り

8/7『ザ・ハント』-内面への好奇心

8/9『It: Chapter Two』-前作には及ばず

8/10『1408号室』-想像の恐怖

8/13『パーム・スプリング』-完成度の高いループ物

8/24『悪の教典』-三池節

8/25『インターステラー』-手間のかかった奇跡

8/26『アフタースクール』-ミスリードとどんでん返し

8/27『ダークナイト』-とびきりの


2022年8月27日土曜日

『ダークナイト』-とびきりの

 クリストファー・ノーランの「バッドマン」三部作としては、これしか手放しでは賞賛できないのだが、これはまたとびきりの名作でもあるのだった。ものすごい密度でエピソードが詰め込まれて、そのどれもが印象的でありうるのは、物語的な感情の揺さぶられ方と映画的な描き方の巧みさが高度に結びついているからだ。

 前に観たときの記憶は、ヴィラン、ジョーカーが投げかける問いが「トロッコ問題」と「囚人のジレンマ」を応用した問いであることに興味を惹かれたのだが、そうした「問題」によってこの映画がすごいというだけではないのだと、今回あらためて再確認した。


 ところで一緒に観ていた娘が「情緒がなくて1ミリも面白さがわからない」というので驚いた。「情緒がなくて」は最近『悪の教典』で感じたことだ。確かに展開の速さは観る者の情緒をおいてけぼりにしかねない。が、いや、そんなことはない。三池演出とノーラン演出はまるで違う。その展開のスピードに観客がついていけるぎりぎりの細部を描きながら展開していくから、密度が高いまま恐ろしい情報量をつめこめている。

 やはりとびきりの名作。

2022年8月26日金曜日

『アフタースクール』-ミスリードとどんでん返し

 内田けんじの3作ではこれを最初に観た。『鍵泥棒のメソッド』でさえこのブログ開始時より前に観たものなので、いつだかわからない。とにかくミスリードとドンデン返しが見事な、恐るべき作品だと思った覚えはある。

 が、今回観始めてみるとどういう真相だったのか、ちっとも思い出せない。どうみても「ミスリード」されたまんまの凡庸な事件に見える。これがどうひっくり返るんだろうと思っていると、なるほど、ちゃんとひっくり返される。やはり見事で感心する。


 もう一つの感心ポイントは、あそこだよなあとは思っていたが具体的にどうだったのかは忘れていて、今回観てやはり感心した。

 ヤクザとも関係のある探偵が、人間の「汚い」部分を指摘して、大泉洋演ずる中学教師に向かって、学校という空間で過ごしてきたお前のような奴は人間がわかっていない、と言う。これに対し、教師は「お前には何があったんだ?」というだけで、はっきりした反論をしない。学校空間の甘さを指摘されてやりこめられているように見える。

 だがこれが物語の終わりに、事件が逆転した後で、今度は教師が探偵に、お前みたいな生徒はいっぱいいる、世の中がわかったような口をきくが、世の中がつまらないのは自分のせいだ、と言う。決して反論のために言い返しているというような調子ではない。だがこれは鮮やかな視点の転換で、カタルシスがあってなおかつ希望的な人生観を提示している。

 よくできていて感動的。内田けんじの3作はどれもそうだ。

2022年8月25日木曜日

『インターステラー』-手間のかかった奇跡

 冒頭からしばらくの、緩やかな終末の描き方からもうSFとしてのレベルが高いことはありありとわかる。

 全体としては、そんなうまく偶然がはたらくかよという一種の「スーパーマン映画の不可能性」があちこちに起こっているのだが、それで冷めてしまうには全体としての考証の手間に圧倒されてしまう方が大きくて、結局は感動的になっている。

 なるほど感動はある種の奇跡が引き起こすが、奇跡は確率的な低さに根拠づけられているから、それが安っぽいと冷めるのだ。

 堂々たる大作で、実によく考えられた感動作だった。

2022年8月24日水曜日

『悪の教典』-三池節

 原作は面白かった。主要なミステリー賞を総なめにしてるからという予断で読むと、これがミステリー? という肩すかしはあるが、そのやり過ぎ感と疾走感は楽しかった。

 それに比べると映画はどうにも三池節の大味が残念。やや丁寧に描かれたアーチェリー選手対殺人鬼のくだりだけはちょっと観られたが、全体としては情緒に欠ける大量殺戮が残念だった。もうちょっと一人一人のキャラクターを描いてくれないと。

 こういうののお手本はやはり『バトルロワイヤル』の原作でありマンガ版だ。

2022年8月21日日曜日

「ももさんと7人のパパゲーノ」

 NHKの特集ドラマ「ももさんと7人のパパゲーノ」は思いがけない拾い物だった。加藤拓也の脚本と演出のリズムが巧みで、新しいものを観ているという興味が持続する。

 だが最後まで観て、自殺というテーマについては、特に共感も、何か批評的な感想も抱くことはなかった。

 それよりも、日々蓄積される憂鬱をどうやり過ごして、どう生きていくかについての、いわば柔らかな着地といったような解決が、心地良い描写の終わりに、ささやかな満足として得られたのだった。

 加藤拓也、次はどんな作品で出会うか。

2022年8月13日土曜日

『パーム・スプリング』-完成度の高いループ物

 高評価なのが幸いしているが、そもそもループ物はとりあえず。

 最近『明日への地図を探して』を見たばかりなのでどうしても比較してしまう。映画的描写としては『明日への』はあまりに巧みだったから見劣りしかねないが、こちらも、映画的にも脚本の出来も相当なものだといっていい。

 新しくループに巻き込まれるヒロインの視点を共有する観客に、主人公が、実はかなり前からループをしているというのが徐々に明らかになる。この「さまざまなことが徐々に明らかになる」というお話作りが実にうまい。二人の他にもう一人、ループに巻き込まれている男がどのようにしてそうなるにいたったか、とか。

 そしてループ物の問題は、まずはその事態をどう受け入れるかと、どうやってそれを抜けるか、だ。『明日への』でも、同じようにループに閉じ込められた者同士の共感から、関係をどうつくっていくかがテーマの一つであり、抜け出そうとする者とそのまま繰り返したいと思う者の対立がもう一つのテーマであった。

 そして抜け出すための努力。結局どちらも科学的な厳密さは所詮無理な要求なのだから、そこへ向けて創意工夫が描かれればいいのだ。どちらもヒロインが擬似科学的なアプローチに取り組んで最後にループを抜ける。

 そういえば『明日への』ではどうやって抜けたことを描いたんだっけ? と考えてみて思い出せないので見直すと、時計が24時を過ぎることを描くとても静かな描写なのだった。

 それに比べて本作は「翌日」が来たことをユーモラスに描きつつ、エンドロールの途中で、まだループの中にいる男の視点から描き直すという、巧みなエピソードづくりが楽しかった。

 J・K・シモンズの存在感ある演技によって、最後の場面といい、ループをこの男がどう受け止めたかを描く場面といい、物語に味わいを確実に増している。


 ところで舞台のパーム・スプリングという土地に対する感情は日本人には想起しにくいが、たぶん避寒地として、脳天気な土地というイメージではあるのだろう。

 その平原を首長竜の群れが移動していく場面が2回あるのだが、あれはどういうふうに理解すればいいのか。繰り返されている無限の時間を、並行世界での時間の流れの中に置くと、これくらいの悠久の時間が経っているのだぞ、という比喩なんだろうか。

 そういえば同じループ物として『トライアングル』にも、リセットされるなら存在するはずのない「蓄積」が描かれる場面があって、それを映像的な比喩として見ればいいのか、ループに伴うもう一つの超常現象として見ればいいのかに迷ったことがあったが、この首長竜は印象的ながらそのあたりのもやもやもある。 

2022年8月10日水曜日

『1408号室』-想像の恐怖

 適当に高評価のホラーを、と思って見たのだが、後から調べてみるとこれもスティーブン・キング原作なのだった。なるほど、終わってから思い返すと『シャイニング』と同工異曲なのだった。どちらもホテルそのものにせよ一室にせよ、邪悪な「場」が人を狂わし害するという。

 最初の方はずいぶん脅されたせいで怖かった。主人公がホテルのホテルの支配人にさんざん脅される。どれほど怖い目に遭うことやらと思ってしまうのは、主人公より観客の方だ。

 とはいえ、主人公は一向に怖がらないかといえばそんなことはなく、わりあいすぐに音を上げる。当然だ。物理的な攻撃で身体を傷つけられるからだ。

 一方でそういうことならすぐにでも人間などは死んでしまうほかなく、そうならずにジワジワと怖がらせて、そこから逃げるためには死んでしまうしかない、という方向に誘導するのが趣向としては面白いはずだ。

 急に大きな音がするとか、幻覚を見るとかいった分かりやすい怖さの他に、何よりも怖いはずの子供の死をもう一度体験し直す、というイベントが並ぶが、結局、後へいくほどつまらなくなっていった。

 期待させているうちが最も恐いのは想像が怖さを生んでいるからだということははっきりしている。せいぜいがそれを演出していくしかないんだろうな。物理的な攻撃はあっさり人間が死んで終わりだし、精神的な攻撃はびっくりモノのホラーとして下手物だし。 

2022年8月9日火曜日

『IT: Chapter Two』-前作には及ばず

 前作は映画館で観た。そのせいかその年度のベスト10に入れてる。そんなに高評価だったような記憶はないのだが。

 まあ楽しい映画だったとは言える。適度に怖く、しかし後味は良く。ホラー映画でありながら、ジュブナイル物として感動的だったんだ、確か。

 となると大人編はどうなるのかと当時書いているが、さて。


 手触りは前作とほとんど変わらなかった。ホラーとギャグが混ざってテンポよく繰り出されている。エンタテイメントに振り切って友情と勇気で敵を倒す。

 だが完結編は前作ほどには面白くなかった。前作と違う面白さはなく、前作にあった少年団の友情物語としての面白さは、主人公たちが大人になってしまってはもう同じように無邪気には受け入れられない。

 前作でも感じたが、物理的な攻撃と精神的な攻撃のバランスはやはりよくわからなかった。

 大人は、基本的にはトラウマを克服できるかどうかが勝負になっている。恐怖に負けるとやられる、というような法則があるように見える。かと思うと、いたいけな子供が牙のいっぱい生えた口でかじられてあっさり殺されてしまう。それはどんなトラウマに負けたということなのだ?

 物理的な攻撃が恐いなら大人だって恐いはずだが、単に勇気を出して立ち向かっていれば攻撃を受けないという安易な対抗策で結局は勝ててしまうのだ。どうも法則がはっきりしない。

 前作は子供たちが主人公で、なおかつ大半は親との葛藤の克服がテーマだったのだが、大人になってしまった主人公たちには、また別の葛藤とその克服が描かれてほしかった。


 最も怖かったのは、老婆が実は化け物だったというシークエンスで、主人公の背後で老婆が不審な動きをする、という演出だった。その後で結局化け物として近づいてくるときには、ビックリはするが、恐いというよりほとんど笑えるくらいの「やり過ぎ」感満載で、それはまあこの映画全体のテイストなのだった。

 それにしても老婆の全裸が恐いというのは、『VISIT』といいこの映画といい、何かアメリカ人のトラウマに関係しているんだろうか。

2022年8月7日日曜日

『ザ・ハント』-内面への好奇心

 「マンハント」というジャンルがあると言われればそんな気はする。それにあたるものはいくつも見ている気はする。それを前提に、そのまま原題も『THE HANT』なのだった。途中に「荘園」と訳されている言葉が何度も口にされる。字幕版では「領地」だった。なるほど、奴隷制を前提とした私有地のことらしい。かつての格差社会を前提とした言葉が、今日の格差社会に対する批判的なガジェットになっているらしい。あきらかに左右対立、アメリカにおける共和党と民主党の支持者、労働者と支配層、ネット民と経済民の対立が背景になっている。

 とはいえ、そういう社会風刺的な面よりも、素直に生命の危機に対する戦いのサスペンスと勝利のカタルシス、アクションの展開のスピード感が楽しめる映画だった。

 そして何よりヒロインのキャラクターが秀逸なのだった。監督クレイグ・ゾベルの演出なのか主演女優ベティ・ギルピンの演技なのか、思い切りのよさと、どんなものなのかはわからないが何かの感情が強く動いているらしいことが同時に描かれる。終盤で笑ったときに、そこまではまるで笑っていなかったらしいことに初めて気づく。逆にそこまでは、ほとんど無理矢理とも言えるくらいに口をへの字にしているのだ。そのギャップが観る者の好奇心をかきたてる。こいつは何を考えているのかと注意を引く。基本的には生き残ることに貪欲だが、どうも単なる負けず嫌いもあるらしい。しかも強烈な。あるいは戦いの中で自分の能力が発揮されることに喜びを見出しているのか。

 そんなふうに人物への好奇心がかきたてられつつ、応援し、その勝利に喝采し。


2022年8月1日月曜日

『明日への地図を探して』-丁寧な作り

 紹介から「ループ物」なのだとわかっていて観始める。最初のシークエンスの、「ばかっこいい動画」風の長回しが、もううまい。何度も繰り返しているから次の展開がわかって、そのタイミングで的確な動作をできるんだな、と観客は理解する。だが女の子をナンパするプールサイドでは、何度もそのタイミングをはかって試行錯誤を繰り返すシーンが描かれて、なるほど、こうしてそこまでの「ばかっこいい」も成功させてきたのかと納得する。

 そこに、それまでのパターンになかった行動をとる闖入者が現れる展開の鮮やかさも見事。なるほど、もう一人のリピーターなのか。『エンドレス』の時は予告されていなかったからびっくりしたのだが、こちらは最初から男女二人がループの中にいると予告されているから、びっくりこそしなかったが、演出としては鮮やかだ。

 かように、とにかく描写が巧い。脚本と演技と演出と編集がかみあって、ポップでエモーショナルな細部が詰め込まれている。街にはいろんな小さな「奇跡」が起こっているのだとわかって、それを探すシークエンスは、音楽の良さも相俟って、映画的な喜びに満ちていた。

 物語はループを抜けたくないヒロインがどうやってそこを乗り越えて「明日」へ踏み出すかと、どうすれば抜けられるかの方策をさぐる試行錯誤が後半の展開で、主人公がヒロインとの関係をどう作るかがそれを貫いて描かれる。それぞれに細かい工夫が凝らされていて、丁寧な作りだと感心する。

 挿入されるパロディに笑わされたりもするが、アメリカのサブカルチャーに詳しければまだ見つかっていないパロディもあるのかもしれない。

 感触としては、ともかく愛おしい映画で、この愛しさは「終末物」における『エンド・オブ・ザ・ワールド』に匹敵するかもしれない。

2022年7月31日日曜日

『空白を満たしなさい』

 『17歳の帝国』には大いに不満だったが、続く「土曜ドラマ」枠の本作は悪くなかった。『今ここにある危機とぼくの好感度について』はさらに面白かったが、あれに続いて同枠に鈴木杏が出て好演している。子役時代を知っていると応援したくなるのだが、良い演技をしていて嬉しい。

 「複生者」という突飛な設定で、生やら絆やらの大切さをあらためて確認する話、ではある。そこに平野啓一郎お得意の「分人」論がからんだりして、結論についてはわかっているよ、という感じもする。

 が、やはりそこは実感がそれに対してどれくらいあるかだ。鈴木杏も阿部サダヲも、随分と暗い面を持ったキャラクターで、それが「生やら絆やらの大切さ」を軽くはない「真面目な」扱いに見せている。

 藤森慎吾が意外な芸達者で、うじきつよしなどよりよほど全うに役者をやっていたのに驚いた。


 といって感動的というには残念ながらまだ。面白い、とも言い難い。やはり面白さがどのようにして生まれるかというのは難しい問題だ。


 題名は、その命令形が誰から誰へのものかがわからないところが不穏で、最初は死亡時の記憶の「空白」なのかと思い、その後、精神的な空虚感、不満という意味かと思い、たぶんそうでもあるのだろうが、あいかわらず語り手がわからない不穏が、おそらく強迫観念のような感触を連想させるからだろうが、最後で、子供が親の記憶についての記憶を、ビデオメッセージで「満たしなさい」という意味で決着する捻りには感心した。

2022年7月23日土曜日

『ムーンフォール』-パターン

 アマゾンプライム・オリジナルだというのだが、ハル・ベリーとパトリック・ウィルソン主演、ローランド・エメリッヒ監督というのだから豪勢だ。

 それにしても実にパターンのディザスタームービーだった。『インディペンデンス・デイ』も『デイ・アフター・トゥモロー』もそれなりに楽しかったし、『ホワイトハウス・ダウン』はかなり楽しかったのだが、今回は『紀元前一万年』ほどとは言わないが全体として退屈だった。結局「スーパーマン映画の不可能性」になってしまうのだ。物理法則が無視されているとしか思えない。大がかりな仕掛けや絵面は制作費に見合って豪勢だったが、それよりも人間ドラマが見たかったかな。それがないとは言わないが、やはりパターン化されていて。 


『ペリカン文書』-堂々のハリウッドサスペンス

 アラン・j・パクラは『大統領の陰謀』とともに、今年度内での鑑賞。実に安定のハリウッドサスペンスなのだった。

 政治的な犯罪の隠蔽のための謀略で恋人を殺され、自分も命を狙われるジュリア・ロバーツがもう一人の主人公、新聞記者のデンゼル・ワシントンとともに謎を暴く。事件の全貌がわかっていくのとともに、暗殺者からぎりぎりの逃避行を続けるサスペンスが持続する。政治謀略サスペンスとして間然するところがない。

 が、楽しくてしょうがない、というような見方はできなかった。このての謀略ものはサスペンスのために説明をせずに物語を引っ張りすぎて、観客がついていけなくなる。特に甘い日本人の観客には、事件の全貌は複雑すぎてつかみきれない。そうなると、何に感情を動かされれば良いのかが判断しにくいのだ。ああ、そうだったのかぁ、がおこらない。

 それと、恋人を殺されたヒロインが、後半で行動を共にするヒーローといい雰囲気になるのは、物語的には落ち着くべきところに落ち着いてるとも言えるが、何となく軽い感じもする。腑に落ちない。

2022年7月16日土曜日

『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』-盛衰

 ザ・バンドを知ったのは1994年のウッドストックのステージか、「クリプルクリーク」のビデオクリップだったか。だが94年はロビー・ロバートソンが参加していないのだった。知ったばかりだから誰が誰やらわからず、ともかくもそのグルーブに酔った。だから、中心人物のロビー・ロバートソンを欠いてもなお、ザ・バンドは最高のバンドなのだった。

 そのロビー・ロバートソンの語るザ・バンドの歴史。副題の「かつて僕らは兄弟だった」は終わってみれば切ない。バンドの伝記はどれもそうだ。いろんな思いを抱えてそれを続けるのが辛くなる。

 『ラストワルツ』は、多分観てるが、あらためて機会があれば見直そう。

2022年7月15日金曜日

『夜の来訪者』-精緻な脚本

 一室に集まった人々のそれぞれの事件が順番に語られる進行に、どうも舞台劇っぽいぞと途中で気づいて、後で調べてみるとやはり原作は舞台劇だった。語られる出来事がそれぞれ映画として描写されるから場面はあちこちでロケされ撮影されているが、それが語られる一室で進行しても物語は成立する。

 上流階級の不遜に対する批判、といったテーマを無理に読み取る必要はないと思う。それぞれが誰かを傷つけて、その挙げ句に一人の人物が死んでしまったことを知って後悔する、という形は「こころ」と同じで、しかも「こころ」と違って、こちらはそのまま。その痛みが充分にドラマとしてシリアスな手応えを感じさせる。

 それよりも、そんなのできすぎじゃん、という突っ込みは当然だが、その偶然の連鎖はそういう物語の構築の快感を生んでいるので、そんなリアルな批判よりも素直に面白かった。

 『フロッグ』以来の脚本勝ちの一本。 

2022年7月1日金曜日

2022年第2クール(4-6)のアニメ

『SPY FAMILY』

 初回の画の上手さと愛すべきキャラクターたちに惹かれて全話録ったが、すぐにどうでもいいようなコメディになっていった。

 OPの髭ダンとEDの星野源がやたら良い曲だったが。


『トモダチゲーム』

 原作は『カイジ』以来のパズルゲームとして、それなりに良くできていると思ったが、いかんせんアニメは質が低かった。「ゲーム」的には、おおよく考えられてる、と思う一方、「アニメ・ドラマ」的には楽しみに見続けるというでもなく、なんとか最終回まで。


『四畳半神話体系』

 数年ぶりに。「四畳半タイムマシンブルース」の制作の宣伝で再放送。

 どの話も奇抜なビジュアルイメージが盛り込まれた見事なアニメーションだった。それでいて湯浅政明は総監督で各話のコンテはそれぞれ別の監督が描いてるというのだから、リーダーがいいとメンバーがそれぞれ力を発揮するの好例だな。

 続けて見るとパラレルワールド間に響き合う伏線なども拾えるから、全体として楽しい。


『サマータイムレンダ』

 思いがけず2クールなので、第3クールに。とりあえず前半戦は、ループにインベーダー、二重人格に孤島に幼馴染みと、てんこ盛り感が甚だしいが、ともかくもどんどん引き込まれてみていた。中盤からお話、アニメともに質が落ちてきて後半どうなるか。 


2022年6月30日木曜日

『響 -HIBIKI-』-賛否

 賛否両論あろうかと思う。原作ファンからしてもそうだし、原作に対しても。

 だが平手の演技はやはり観るものの感情を揺らす力があるのだった。そこに感ずるものがないという人はそれはそれでしょうがないのだろうとも思う。そうだとすると、演技が棒だとか、主人公が不愉快だとか非現実的だとかいう批判は当然ある。

 だが基本的には無表情でいる平手が笑顔になるときの落差は、やはり観ていて胸を打たれる。それが演技としても演出としてもあざといし凡庸であることがわかっていて、なおかつ、だ。

 天才の前の秀才の悲しみは『アマデウス』以来のテーマだが、小栗旬もアヤカ・ウィルソンも柳楽優弥も、それぞれに的確に表現していて、そうしたドラマは充分に描かれていた。


 天才はともかく、もうひとつ、純粋でストレートな論理を社会の慣習もうひとつ押し通すことの是非、という原作由来のテーマの方が当然大きな賛否ある問題ではある。天才ならば何をしても許されるのか、なぜ謝らないのか、といった批判が原作にも映画にも寄せられる。もちろんわかる。

 一方でそれが荒唐無稽であるほど痛快で面白いので、それが原作のそもそもの魅力ではあった。そんなことしちゃう!?

 こういうのを「俺TUEEE系」というだと今回初めて知った。読者のある種のヒーロー願望を満たしてくれる主人公の無敵感。

 だが単純にそう批判するにはもうちょっと微妙な描き方がされている。主人公の振る舞いは、単に傍若無人というだけでなく、筋の通し方が極端にストレートであるという形で描かれている。

 例えば、それでも暴力が許されるわけではない、といった批判ができるかもしれない。だがそもそも彼女は言葉の暴力と肉体の暴力はどう違うのか、といった問いかけをしているのだ。彼女の傍若無人に不快を覚える「社会」の方が、一度はその固定観念に揺さぶりをかけるべきなのだ。暴力こそ用いないが河野裕の「階段島」シリーズはそうした対立がテーマであり、その終わり方は切なかった。

 これはまったく、筆者自身の現実の問題でもある。社会的コンプライアンスと理想・理念のずれをどう納得するか、という問題。

 例えば「上司の命令は絶対なのだ」「違法行為は悪である」というのが大抵の場合には問題ないとしても、場合に拠らず絶対の正義であるように言い募るのは勿論間違っている。上司は自己保身のために、社会的に(あるいは時には組織的に出さえ)好ましくない命令をすることもあるだろうし、法令が現実に合わないこともある。「破っていい」と無条件に言っているわけではなく、自分で考えるべき、と言っているだけだ。

 だがもちろん、その是非を個人が判断すべきではなく、例えば法律が現実に合わなければ法改正をすべきなのであって、改正されるまでは遵法は絶対正義なのだ、という意見もあるだろう。難しい。

 『響』というのはそういったあたりをもやもやと考えさせる作品なのだった。


 ところで、天才と称される彼女の小説がどのようなものか、読者にはまるでわからないではないか、という批判があるが、これは無理ないちゃもんだ。そんなものを体現する文章がマンガの一部として描かれる必要はない。『ガラスの仮面』のマヤの演技が凄いことは観客の反応で描けばいいのだし、音楽マンガにおける演奏の凄さもそうだ。

 響の小説が読み手の心を揺さぶるというのは、まあそういうことにしておこうと思えば良い。


 ところで映画中にちらと映り込んだ教科書の筆者の一人であるというのは、親近感を抱かせはしたが、それで映画の評価を高くしているわけでは決してない。


2022年6月29日水曜日

『アメリカン・スナイパー』-戦場と日常と

 イラク戦争で心を病む英雄というと『ハート・ロッカー』だが、実際印象は近い。クリント・イーストウッドは無論手堅いが、爆弾処理ほどの緊迫感が持続するわけでもないから、前半は淡々と進んで退屈でもあった。

 だが後半、派兵が繰り返される中で戦場と日常に引き裂かれていく描写が増えて、ドラマが輪郭を露わにする。戦争アクションとしても見られないわけではないが、やはり問題はそこなのだ。

 いや、戦争アクションとしても見応えはあった。スナイパー同士の攻防戦は相当に緊張感があった。クリント・イーストウッドとしてはやりすぎじゃないの、と思うくらいには。

 そしてドラマ部分。

 戦場の戦況が難しい局面で、唐突に帰国後の場面に切り替わる。次の派兵に反対する家族とのやりとりが描かれて突然戦場に切り替わる。カットの繋ぎ方の非連続感が、引き裂かれた彼の生の感覚を想像させる。

 そして最後の場面、ボランティアで帰国兵の援助をする活動のあと、どうみても不穏な空気で夫婦の別れを描き、帰国兵の表情を映し、字幕でその帰国兵に主人公が殺されたことを観客に報せる。

 カットの長さやドア越しの画角の不自然さによって観客の不安を煽る演出のうまさは職人監督の冴えだ。

 そして、愛国にも戦争反対にも簡単には偏らない人間の描き方が、安い日本のドラマと、何という落差か。

2022年6月28日火曜日

2022年第1クール(1-3)のアニメ

もう第2クールが終わろうとしているのだが、ようやく観終わって。


『鬼滅の刃 遊郭編』

 昨年の「無限列車編」に続いて。

 昨年から放送が続いて、4半期の、いわゆる「クール」の切れ目とズレた放送期間で終了した。

 アクションシーンは時々良くできているし、CGと手書きの絵柄の合成は手間がかかっていると思わせるが、全体としてはアニメーションの楽しさで観るものでもないと思う。

 そうなるとドラマだが、兄弟鬼のドラマは悪くないし、宇髄天元のキャラクターも悪くなかったが、煉󠄁獄杏寿郎の魅力で引っ張った「無限列車編」には及ばなかった。


『ルパン三世 PART6』

 昨年第4クールから年をまたいで2クール。アニメ化50周年記念というのだが、残念ながら動画も演出もレベルは低く、面白くない。一方で脚本に湊かなえや芦辺拓ら、著名な小説家を起用した回もあるのだが、それでも面白くならない。映像作品でも、脚本が重要なことは間違いないのだが、それだけでは良い作品が成立したりはしないのだ。

 わずかに押井守のオリジナル脚本の2回だけは、幻の押井『ルパン』を惜しむ感慨とともに、奇妙な味わいが一見の価値があった。


『その着せ替え人形は恋をする』

 clover worksは相変わらずの良い仕事をしている。『ホリミヤ』以来の可愛い青春模様が毎回楽しくて、録画したものを溜めずに見られた。


『電脳コイル』

 監督の磯光雄の新作公開にあわせて全話再放送されたので、15年振りに観た。

 当時もそう思ったのだろうが、作画レベルが高いまま26話ずっと維持されているのはすごい。デッサンだけでなく、カメラワークからカット割り、編集まで、映画的に優れた演出がされていて、見事なアニメーションだとあらためて驚く。

 かつ、登場人物たちがそれぞれに魅力的なキャラクターとして描き込まれているし、ユーモアのあるくすぐりはほとんどジブリ並みだ。

 その上に、今観ても新鮮なAR描写と、物語的に比較的独立して完結した回の味わいまで、あらゆる要素が驚嘆すべき作品なのだとあらためて思い知った。

 そうした要素だけでなく、本筋であるジュブナイルとしての高揚感がこれほど達成されているのも見事。


『殺し愛』

 過去が明らかになるエピソードがなかなか感動的だったのは、現在編の主人公のツンデレの裏にある痛みが迫ってくるからだが、肝心の現在編はまだまったく何も解決しておらず、これで1クール終わってしまって、今後続編があるのやら。それほど面白かったとも言えないので難しそうではある。


『錆喰いビスコ』

 作画は1クール最後まで崩れなかった。マンガ原作ではなくライトノベル原作を映像化した作品として意欲作ではある。

 が、面白くはなかった。面白さとして何を受け取ればいいのかわからなかった。

 世界設定としては戦争に使われた兵器「テツジン」によって錆まみれに世界で、キノコ守と呼ばれる主人公たちがはやすキノコは忌み嫌われていたが、実はそのキノコは錆を浄化するはたらきをしていたのだった…、といえばまるで『風の谷のナウシカ』ではないか。おまけに復活した「テツジン」は巨神兵なのだった。

 だが巨神兵があまりに圧倒的だったのに比べて、こちらの「テツジン」が同様に巨大なのにも関わらず、主人公たちは直接生身で闘ってしまう。そうするともう例の「スーパーマン映画の不可能性」なのだ。なんでもありになってしまって、緊迫感がない。


『平家物語』

 山田尚子と吉田玲子は『リズの青い鳥』などでも、手堅いが面白いとも言えないコンビではある。キャラクターデザイン原案に高野文子の名前を見つけて驚愕するが、それがアニメの面白さを保証するというものでもない。

 録りためてまとめて観ることになる。毎回が楽しいというわけではない。

 アニメーションとしては、作画も美術も、毎回質が高くて舌を巻く。だが、物語の進行が早すぎて、何が起こっているのかわからない。もともと「平家物語」に通じていて、各人物が元々どういうふうに描かれているかを知っていて、今状況がどうなっているかを把握して、ようやく楽しめるのかもしれないが、最後近くまで、高度なアニメに感嘆しつつも退屈で苦痛だった。

 だが最後の2回ほどで、ようやくじっくり描くことが構成上許される展開になって、『平家物語』の主題である現世のはかなさと、それを語り継ぐことで愛おしむというこの作品の主題がしみじみと感じられるようになって、1クールのアニメとして大団円。

2022年6月25日土曜日

『フロッグ』-複線の伏線

 オカルトなのかサイコサスペンスなのかわからないが、たぶんサイコサスペンスでいいんだろうな、と思いつつ、あちこちの伏線がどう回収できるのか訝っていると、いったんクライマックス風の緊迫した場面で止めて、裏設定の種明かしに進む。だがこれも容易には読める展開にならない。

 とにかく二転三転する展開に驚嘆する。

 後味がいまいち良くないというのと、無理のある展開がないでもないのだが、それでもよく考えられている脚本に感心した。複線のストーリーを想定しておいて、それぞれを伏線として小出しにしながら、どこがどう噛み合っていくのかを徐々に明らかにする。

 どうにもこういうお話を高く評価したくなる。 良い映画だった。

2022年6月15日水曜日

『OLD』-ある種のSSS

 いつの間にかシャマランの新作がアマプラに上がっている。『スプリット』をとばして観る。

 これも『VISIT』以来の低予算映画だった。『Zoom』ほどとは言わないが『メッセージ』などと比べて安上がりにできているのが見ていてわかる。

 だがもちろん脚本だ。演技は『Zoom』でさえ充分観られるレベルだ。シャマラン映画となればもちろんそこは問題なく、演出や編集も手堅い。やはり脚本だ。

 異様なスピードで老化するビーチ、という設定がどこから発想されたか全く謎だが、それがどこに決着するのやらちっともわからない。妄想・集団催眠オチなども予想の選択肢だが、そんなことはなく、そういうことが起こったとしたら、で話が進む。となればこれはビーチを舞台にしたSSSだ。

 そういう意味ではよくできていた。設定の中でいろいろなイベントが起こり、人生のメタファーのような(娘談)展開になんだかしみじみしたりもし、最後はそれなりのハッピーエンドに救われつつも取り返しのつかない喪失感もある。

 充分に面白かった。

2022年6月11日土曜日

『メッセージ』-よくできたSFではあるが

 冒頭の「娘を亡くした」エピソードがどう本筋に絡んでくるのかわからずに見続ける。

 ファーストコンタクトものとしてはむろんよくできている。宇宙船らしき物体のデザインにしろ、コミュニケーションのとりかたにしろ。ただしエイリアンが古式ゆかしいタコなのはどういうセンスなんだか。まあ人型ってわけにもいかないということか? それにしても相変わらずエイリアンに服を着せない。

 問題はコミュニケーションだ。コミュニケーションこそが地球来訪の目的であり、コミュニケーションこそが人類にとっての恩恵だという結論になる展開はSFとしてのセンスオブワンダーに満ちていて良い。認識は言語に拠っている、という中心的な命題も国語教師好みではある。それはまあ原作の価値なんだろうが。

 邦題の「メッセージ」は宇宙人から地球人類に対してなのだろうと思っていると、これは地球人から宇宙人に対してでもあり、人間同士の「メッセージ」でもあり、ということがわかるところも伏線回収なのだが、原題の「arrival」(到来)もまた同様のダブルミーニングなのだろうか。宇宙人の地球到来でもあるが、時間が顕現する、という意味でもあるんじゃなかろうか。

 

 途中の展開のハラハラにしろ伏線回収にしろ、終わりの切なさの余韻にしろ、大いに良い映画だったが、いくつか不満も。

 中国を始めとする、攻撃すべき論のばかばかしさが戯画的に感じる。そういう攻撃的な人たちがいるにしても、科学力の差が圧倒的である以上、国として攻撃すべきという決定がなされる説得力がない。

 主人公カップルの一方、「理論物理学者」が専門性をまるで活かさないまま計画に参加しているのはどういうわけか。むしろヒロインの言語学的アプローチの手伝いしかしていない。

 問題のコミュニケーションが容易に過ぎる。最初苦労しているようにも描かれているが、その後たちまち成立してしまう。言語学的に翻訳の難しさが語られる場面があるにもかかわらず、それがどう乗り越えられたのかわからない。それは各国のそれぞれの言語的アプローチを照らし合わせ、かつAIによるディープラーニングを組み合わせて、ようやく解明されていく問題ではないか。それなのにそういった描写もなく、主人公が単独で解明したかのような描き方になっている。

 アンバランスな安っぽさが同居するのは不思議。

2022年6月9日木曜日

『17歳の帝国』-浅い

 NHKの土曜ドラマは、古くは山田太一作品で馴染みがあるが、最近は『今ここにある危機とぼくの好感度について』が面白かった。「ドラマ10」枠の『オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ』も驚くほど面白く、どうみても未完だったので続編の制作が決まったのは当然という気がする。

 さて本作は吉田玲子脚本ということで期待して観始めた。最初に名前を覚えたのは『デジモン・アドベンチャー』の細田守作品で、その後も、飛び抜けて面白いお話を作るとはいわないが、手堅い作品の脚本をいくつも書いている。

 AIに政治を任せたらどうなるのか、というのは最近関心を呼んでいる話題の一つだ。『ターミネーター』以来の、ロボットの反乱は、最近のAIの発達でもう一つ段階を超えた思考実験になりつつある。もちろん「スカイネット」的な反乱の予感をはらんだ設定で、そこに、AIが選んだ17祭の総理大臣という設定が、何か起こりそうな期待をもたせた。

 で、全5回を観ながら、どんどん期待が失われていき、最終的に失望で終わった。

 途中で不快を感じたのは、主人公の女子高生閣僚が、閣僚であることの必然性をまるで感じさせないまま、つまらない嫉妬から感情的に振る舞うことだった。あまりにも安手のドラマだった。本筋の思考実験が深まっていないのに、そっちで観客の感情移入を誘おうとする? しかもシンジ君的な子供っぽさで。

 そして最後まで、AIに政治をさせることがどういうことなのかはわからないままだった。例えば市議会を廃止するとか市役所の職員をリストラするとかいうことはAIが判断しなくてもそれがいいことはわかっている。だから脚本に書けるのだ。となれば、それが現実に起こるとしたら、誰か、人間の判断では実行しにくいことを「AIの判断だから」という口実で実行できたというだけのことだ。

 一方で、それはしがらみのない純粋な17歳の理想主義が実行させているようにも描かれている。だが結局それはAIが決めたことだというのと同じだ。

 思考実験としては、効率主義や理想主義に特化した政策が、実際にどのような想定外の弊害を生むのかを描かねばならないはずだ。だが描かれるのは人々の情緒的な反発だけ。


 『マリオ~AIのゆくえ~』がAIについてろくに考えていないらしいのも残念だったが、本作も同様に浅く、別に何かドラマ的な面白さがあるかと言えばそうでもない。

 こうした問題がアニメ脚本家の手に余ることは明白で、なぜそうした問題の専門家を脚本チームに加えて、構想を練らないのか不思議だ。やっているのか?


2022年6月4日土曜日

『Zoom』-層の厚さ

 続けてホラーを。

 コロナ禍で普及したZoomを使ったホラーという設定は、ありきたりとはいえ悪くない。一種のPOVでもある。低予算で済むわりに、アイデア次第では面白くもできそうだ。

 PCの画面越しという限定された視野だからこそ、そこで起こることに想像力をかきたてる。そして画面の中で起こる怪異に、高度に精密な特殊メイクの技術を必要としない。怖い物を直接見せるよりも観客の想像力で補わせるというホラーの基本を抑えている。


 だがまあ結局のところ、そこそこ、だった。起こるイベントはポルターガイストなどの見えない霊の起こす怪異だったり、参加者の錯乱だったり。突然ビックリ系が頻発するのは安いホラーの定番だとも言える。もうちょっと新奇な怪奇現象を起こすか、さらに心理的な恐怖を煽るイベントの起こし方や描写を工夫してくれたら、と思った。

 それにしても、こういう低予算映画でも、役者たちのうまさ、自然さには脱帽する。アメリカの演劇界の層の厚さ。

2022年5月29日日曜日

『シライサン』-なぜ映画では

 乙一の監督第一作。学生時代から自主映画を撮っていたとは聞いていたがとうとう商業映画も。

 呪いが伝染し、髪の長い女が迫ってくるというのだから『リング』というか『イット・フォローズ』というか。

 だがどちらにも及ばない。とりわけ『イット・フォローズ』の映画力とはくらぶべくもない。それはまあいかんともしがたいとはいえ、あの乙一が、脚本までつまらないのはどういうわけか。『ホッタラケの島』もそうだった。テクニカルにお話を作る人ではなかったか。

 あるいはあの小説の面白さは、彼の文章ありきなのかもしれない。単にストーリー構成だけで面白かったりそうでなかったりするわけではないのは、『パトレイバー the movie』の映画と小説のあまりの落差でも感じたことではあった。

 面白くなりそうな気配があったのは、シライサンについてのルールが明らかになるところからだ。ホラー映画はルールが大事、とは黒沢清か大林宣彦の名言だったが(といって彼らの映画がそれによって面白くなっているとは思えないが)、例えば『イット・フォローズ』も、そのルールを探ろうとし、明らかになったルールに対応して作戦を考え、と展開していくところが面白みの一つだった。乙一ならそれをこそやりそうなものなのに、まったく中途半端にしかそこがつきつめられていない。残念だ。


2022年5月28日土曜日

『ルーム』-強い

 配信終了間近とみて、娘に声をかけると、観るという。

 観直してもやはり、主演の母子二人の演技のあまりの見事さに感嘆する。強く複雑な感情を、あまり動かない表情の時に表出する。

 そして1シーンに出てくるだけの女性警官のキャラクターのあまりの魅力にも。

 レベルの高い映画だ。 


2022年5月27日金曜日

『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』-男の子

 トム・ハンクスとサンドラ・ブロックが夫婦役なのだから堂々たるハリウッド映画で、なるほど『リトル・ダンサー』の監督なのか。長編監督作の全てがアカデミー作品賞にノミネートされているというから堂々たる大御所だ。

 こちらも『リトル・ダンサー』と同じような年頃の男の子が主人公。これがすでに琴線をふるわす。『怪物はささやく』『パーフェクト・ワールド』あたりと同様、どうにもその頃の息子がダブってしまうのだ。

 ネットで低評価している人は、この主人公の男の子が不快だと言う。なるほど、他人に対する配慮ができないとか自分のこだわりが強いとか癇性だとかいったキャラクターは、劇中でアスペルガーの境界だと説明されることで許容されるということもあるが、やはりともすれば不快でもある。

 それでも、『ペンギン・ハイウェイ』の主人公のように生意気で知的で、常に眉根をひそめつつ父親の残した謎に迫ろうとする少年の切迫感を愛おしく思わざるをえない。


 テーマとなっている9.11についてはアメリカ人が観るような感慨はない。とはいえもちろん喪失を乗り越えるドラマは普遍的なものだ。

 バランスはともかくも、彼が彼なりに周囲の人に関わっていく中で相手もまたその「人間」の部分を露わにしていくドラマの描き方はうまくて、やはり良い映画だと思った。


2022年5月23日月曜日

『エンドレス 繰り返される悪夢』-よくできたループ物

 ループ物は宿題のように見る。邦題がわかりやすくそれを示しているが、英題は『A Day』。ぴったりだと思うがそのまま日本の観客の注意をひくのは難しいか。

 韓国映画らしい、感情的な演技過剰がいくらか鼻につくが、基本的にはよくできた話だった。

 事故で娘が死ぬ場面に遭遇した主人公が、ふいに事故の2時間前に戻って目覚める。なんとか娘を救おうとするが果たせず、この2時間を繰り返す…という展開はループ物のあるある。

 だが数回それをやったところで、もう一人の男がそのループに介入してくるところで、おやっと思う。初めてだ。数人でループするなら今までもあったが、一人だと思っていたループが、途中から一人ではないとわかるパターンは。

 彼も妻をこのループの中で失くして、なんとかそれを阻止しようとしていたのだった。二人は協力して事故を回避すべく奮闘し、ようやく回避できたと思ったら…。

 と、ストーリーの意外な展開があい次ぐ。

 ループの発生する「原因」はもちろん合理的に説明されるわけではないが(最近はネイティブアメリンの呪い、というパターンをいくつか観たが)、「因縁」が明らかになる展開にも引き込まれる。

 最終的に悲劇が回避される展開の劇的さも含めて、質の高いエンタテイメントだった。

2022年5月15日日曜日

『機動警察パトレイバー the movie2』-最高

 久しぶりに帰省した娘と、十数年ぶりに観る。今まで見た中で最高の邦画として、今回も評価を落とさなかった。「戦争」が現実になっていくさまは、今のウクライナ情勢とリンクしていて、かつそれでも我々の日常が変わらない「他人事」感を反省させられる。

2022年5月2日月曜日

『特捜部Q Pからのメッセージ』-計算された救い

 昨日の1作目と本作の3作目は無料なのに、なぜか2作目は有料で、とばして観る。もしかしたら、状況が把握されていないかもしれないが、まあいい。

 1作目よりさらに面白かった。前作のような過去の怨恨に基づく犯行に比べても、本作の反宗教的確信犯の犯行はさらに恐ろしかった。宗教的信仰に対する復讐のような犯行の延長で、人を救いたいという刑事の動機もまた宗教なのだ、という論理で、繋がれた主人公の前で子供を殺す。その絶望感たるや!

 そしてなおかつ最後には救いがある。そうでなければ後味が悪さに支持できないところだった。

 よかった。


2022年5月1日日曜日

『特捜部Q 檻の中の女』-北欧ミステリー

 海外の刑事ドラマの傑作といえば古くは「第1容疑者」シリーズであり、最近では「トンネル」だ。テレビドラマが、映画よりもはるかによくできていると感じられることは山田太一以来度々あったが、輸入される海外ドラマはとにかく質が高いから、時々探して観たくなる。

 最近は『クリムゾン・リバー』のテレビ版を観たが、これはあまり面白くはなかった。質の高さは面白さを保証しない。

 で、評価の高い本作はちゃんと面白かった。北欧ミステリーといえば刑事ドラマではないが『ミレニアム』シリーズが連想される。ああいう、陰惨な事件が起こり、なんとか解決を目指す。過去の因縁が徐々に明らかになる。絶望的な状況で、最後には救われる。面白い。

2022年4月30日土曜日

『ブラック校則』-拮抗しない

 『オッド・タクシー』の傑作ぶりに、脚本の此元和津也のことを調べて、テレビドラマではスルーしていた本作を観てみる。

 「ブラック校則」はネタの一つではあるが、それよりも学校を舞台にした伏線回収の趣向のあるサスペンスなのかと思っていた。『オッド・タクシー』のせいだ。

 ところがタッチは『野ブタをプロデュース』的な学園コメディで、にもかかわらず「ブラック校則」がテーマになっているところで結局は不満足な出来だった。

 確かに会話の面白さが光るところが一瞬あったり、校舎の壁の落書きが増殖していくところはポリフォニックな会話劇・群像劇の面白さがあったりもした。

 最後の主人公の演説も、内容はともかく熱演にほだされて、エキストラの高校生たちとともに拍手を送りたくなった。


 それでも、だ。「ブラック校則」が物語のモチーフになっているではないか。さまざまな行動の動機に、どうしてもそこがからむではないか。

 それがあのように浅はかに語られてしまうことに、どうしてもがっかりしてしまうのだ。

 「ブラック校則」の問題は、それを支持する人の思想や感情が、それなりに理解できてしまうと思えるように描けるかどうかが決定的に重要なのだ。『新聞記者』も『Fukushima50』も、それができていないから評価できないのであって、「ブラック校則」も、「ブラック校則」の問題に向き合って闘う主人公たちであればこそ応援できるのに。

2022年4月24日日曜日

『攻殻機動隊SAC』-おそるべき

 多分通しで2回は観ていると思うが、連続エピソードである「笑い男事件」についてはどうにも全貌を把握できないままでいた。

 今回、娘につきあって、比較的まとまった期間に連続で観て、ようやくそういうことかとある程度は把握できた。

 よく考えられている話が、複数の脚本家によって分担されているのに感心するが、これも世界観についてのミーティングが綿密に行われているからなのだろう。

 そして作画のレベルも、2クール26話、まるで落ちない。

 ラスト2話のタチコマの自爆の浪花節にはちゃんと泣かされてしまうし、やはりおそるべきシリーズなのだった。

2022年4月21日木曜日

『天使のたまご』-雰囲気だけでは

 突然、配信終了間近であることに気づいて、30数年ぶりに観てみる。

 その間、忘れていたわけではない。『ビューティフル・ドリーマー』に感動して以来、押井作品を全て観ようとビデオレンタルした中の一本。今も押井守とセットでいつでも思い出すのだが、観直すことになるとは思っていなかった。ソフトを買おうというほどの動機もないし。


 『BLOOD The Last Vampire』『王立宇宙軍』などは、観直してその高品質ぶりにあらためて感じ入ったのだが、同様に「観直す」というような変化はなかった。

 もちろんイマジネーションは豊穣で、その世界は魅力的でないこともない。が、それは当時もそう感じたのであって、古めかしさはいかんともしがたかった。

 いかんせん、ここまで物語がなく、どうということもないカットが長いと、心が動きにくい。

 「物語」らしいことといえば、兵士が少女の卵を壊すことだけだが、それついての教訓的な解釈は理に落ちてしまって、特に感慨を催すわけでもない。


 ところで最近『スペース・ダンディ』の第21話「悲しみのない世界じゃんよ」を観る機会があったのだが、そういえばこの絵コンテ・演出をやっている名倉靖博が、本作でも作画監督なのだった。

 脚本が違っても、似ている雰囲気に同じ名前を見つけて腑に落ちるところもあるのだった。

2022年4月15日金曜日

『ODD TAXI』-恐るべき傑作

 映画版が公開中なのだが、そちらではなく、テレビ版を配信で。三日で全話。

 去年の第2クールの放送だから『SSSS.DYNAZENON』とか『ゴジラ・シンギュラポイント』と同じ時期の放送だ。スカートの主題歌がすごくよかったものの、勝手に、オフビートなほのぼのギャグアニメなのかと思って見なかった。

 ところがこれがミステリーなのだと知って、しかもすごくよくできているのだという評価があり、その良さを語る上で内田けんじの名前が引き合いに出されていることから俄然観てみようということになった。

 1話だけでもちゃんと観ればよかった。そうすれば既にただものではないことはわかっただろうに。

 会話にウィットがあって、次々と出てくる登場人物が明確な印象がある。そして引きとしての事件と謎。

 最後まで観れば、カタストロフにつながりそうなサスペンスと怒濤の展開に、伏線の回収と救い。さまざまな要素が高いレベルで作られている。

 そして会話はずっと面白い。やりとりのウィットはむろんだが、主人公の小戸川のキャラクターが、演じている花江夏樹の見事なキャラクター作りとともに、絶妙な魅力となっている。


 そして、アニメでしかできないメタな仕掛けが、驚愕の結末とともに訪れ、そこにカタルシスと救いが重なる。

 恐るべき傑作。

2022年4月1日金曜日

『ランダム 存在の確率』

 配信終了が近いことを知って突如観直す。やはり面白い。あるカットを複数台のカメラで写していると思われるのだが、それぞれのカメラは写らない。見事な撮影に見事な編集。それでいて黒沢清のように計画ずくで撮っているわけではなく、アドリブを含む演技で成り立っているというのだ。

 小品とはいえ見事な作だと思う。

2022年3月31日木曜日

『王立宇宙軍 オネアミスの翼』-やはり名作

 娘が突然「トップをねらえ」を観始めて、つきあって見ているうちに、こういうのはやはりあんまり響いてこないのだとわかった。それで、見ながら常に脳裏に浮かび続けたガイナックスの前作である本作を観直そうということになった。

 公開から間もなくの時期には観ている。その後にもう一回くらいは観ているかもしれないが、いずれにせよ30年以上ぶりだ。

 アニメーションがすごいことは間違いないし、世界構築のすごさも、渋い味わいもあったはずだが、面白いとは言えまい、というのが記憶にある本作だった。

 さて今観るとどうなのか。


 いやはや、隅々まで面白い。

 もちろんご自慢の「世界観」だ。建物から生活雑貨まで、いちいちのデザインが、ちゃんと現実とは違った微妙な違和感も含みつつ、どこもかしこも美しい。アナログの匂いを残したシンセサイザーで奏でられる坂本龍一の音楽も、どこもかしこも美しい。

 その中で描かれる人間ドラマも、基本的には脱力しつつ、時々ユーモラスだったり、鬱屈していたり、昂揚したり。

 初見の時には前年に「天空の城ラピュタ」があったりして、ロケットが発射された後にどんな冒険があるのかと思っていたら、そこで映画が終わりなのに肩すかしをくったのだった。だがそこがクライマックスで、打ち上がれば物語的には完結していいのだと思ってみれば、これは間然するところなく充分な物語なのだった。打ち上げ自体にみんなが情熱をかたむけていたのだ。そして大国の戦略がそこにからむのだ。そしてそれは人類にとっての一歩なのだ。

 恐るべきディスコミュニケーションに遠ざけられたヒロイン像も、当時は消化不良のまま受け止められなかったが、今観ればそのままならなさこそ、この物語の陰影ではないか(ただし、宗教にのめりこむヒロインの信仰心を、微妙に偽物っぽく描けていればさらに文学的な味わいも増したろうに、などど無い物ねだりもしたくなる)。

 そしてこの映画が愛おしいのは、やはりこのアニメーション映画を作った若者たちの姿が、物語中のロケット打ち上げを通して浮かび上がるように思えるところだろう。さまざまな労苦も、横やりも、世代間の葛藤も協力も、状況からの圧力も、終わった後にはこれだけの仕事をやってのけたという満足と、しかし残る後悔と。

 あらためて特別な作品なのだと思い知った。


2022年3月19日土曜日

『透明人間』-評価保留

 宇多丸さんが年間ベスト1に選んでいるのを知って、いつかは見ねばと思っていた。リー・ワネルは前作の『アップ・グレード』に感嘆したので期待もできる。

 が、『アップ・グレード』に感じた、引き回されるような面白さにはわずかに及ばない。よくできているとは思うものの。

 「面白さ」というのは、奇跡的な存在だとこういう時に思う。よくできているということがすなわち面白いことになるとは、必ずしもならない。


 もちろんよくできている。

 「透明人間」という設定を活かす、実に勿体つけたカメラワークなどは見事だ。何も起こらないのに長々と見せるカットは『ギルティ』以来の緊張感。


 ヒロインが「美しくない」ことが、あきらかに意図的なのだろうが、それが一方では納得できないという批判も生むことに共感しつつ、だからこそそれは伏線なのかもしれないと思ったり。

 観直さないと確信が持てない。

2022年3月16日水曜日

『寝ても覚めても』-わからない

 『スパイの妻』の脚本の濱口竜介監督作。しかも初メジャー作。

 『ハッピーアワー』があれほどの作品だったのだから、という期待はあるし、識者の評価もすこぶる高い。

 だがアマゾンレビューでは酷評も多い。それは主演男優女優の現実の振る舞いに対する非難が重なってもいるのだが、単に演技を指してもいる。

 とはいえネットの酷評のように東出が下手だとは思えない。二役の片方は確かに不自然な演技ではあるが、それは不自然なキャラクター設定だからであって、現実的なキャラクターの方はすこぶるうまい。

 一方の唐田えりかが下手に見えるのは、やはりそもそも不自然なキャラクターだからでもある。とはいえ、たぶん上手くもない。

 だがそれはいい。

 だが問題は、物語が一見したところとても単純に見え、かつどうもそれだけではないらしいと思える、「それ以上」の部分がよくわからないと感じられるという点だ。

 非日常的な男に惹かれることと、結局は日常的な男に戻ってくる、という展開はわかりやすい。

 だがなぜヒロインが一度は日常系から非日常系に舞い戻ってしまうのか、そしてなぜ日常系に戻るのかがわからない。わかるべきなのかどうかもわからない。

 最後に日常系に戻る転換点となる、宮城県での堤防を登って海を見るシーンがどうにも心に響いてしまう理屈がまたわからない。異様に巨大な堤防の向こうがどうにも彼岸を感じさせるのだが、カメラが切り替わってヒロインの顔を正面からとらえる。表情はない。この顔にまた動揺する。それがなぜそうなるのかがわからないのだが、それを撮ろうと考えた監督の発想がまたわからない。

 地震の後のいくつかの小さなエピソードとも言えない描写とか、序盤の登場人物渡辺大知の筋萎縮性側索硬化症(ALS)発症とか、「わからない」がどうも強烈な物語性を含む映画ではある。

2022年3月12日土曜日

『スパイの妻』-リアリティの水準

 ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞作品なのだが、調べてみるともともとNHKのテレビドラマだという。観終わった印象は、なるほどテレビドラマ的なのだった。黒沢清のテレビドラマと言えば『降霊』と『贖罪』を見ているが、それら同様、画面の感触は映画と変わらないが、いかんせん、戦争を題材にしたサスペンスといいながら、あまりのスケールの小ささは呆れるほどだ。国際関係が描かれている感触もないし、といって戦時下の日本人の生活が描かれているとも感じない。

 とはいえ脚本には濱口竜介が名を連ねていることに期待してはいた。なるほど、ドンデン返しを仕掛ける脚本のうまさはある。だが、それが何か批評的な深みに繋がっているようには感じない。

 例えばラスト近くの、今の(戦時下の)日本では狂っていないことが狂っていることになる、などという「皮肉」は、うまいと言うべきか、あまりに凡庸で白けると言うべきか。感想は後者でしかないのだが、あれもまた何やら批評的な意味合いを評価されるような気がする。例えば上記の映画祭などでは。

 ではサスペンス映画として面白いのか? 監督が自称しているように。

 そう感じないのは、映画の基本的なリアリティの水準に信用ができないからだ。芝居がかった物語空間は、サスペンスを感じるべき危機感の水準もまた設定できない。

 そう、相変わらずリアリティの水準が低くてついていけない。そういう映画をあえて創ろうとしているのだとはわかるものの。

 例えば軍部に捕らえられた蒼井優の「スパイの妻」が、軍部の罪を記録した証拠のフィルムを軍の上層部相手に上映する時に、どういうわけで彼女が同席するのか(しかも何の戒めもなく)。

 そしてそこまでの展開が夫の策略だとわかった後に、その夫がボートで洋上を霧の中に消えていくときに、画面手前に向かって帽子を振る。一体誰に向かって振っているのか。あえていえばカメラに、つまり観客に向かって振っているのだ。つまりそれはイメージでしかないということだ。

 あるいはラストシーンで海岸を走る蒼井優が、異様な前屈みで前進していくのもついていけない。まるでリアリティはない。フラフラしている、というようなことではない。上半身を前に折りたたんで歩いて、やがてくずおれて泣き伏す。それが「壮絶な演技」をしているのだということはわかる。だがそれは頭ではわかる、ということであって、そういう物語のリアリティの水準についていけなくて白ける。

 変わらずの黒沢ワールドなのだった。

2022年3月6日日曜日

『バトル・オブ・セクシーズ』-「問題」作としてでなく

 『ラ・ラ・ランド』でアカデミー賞主演女優賞を獲った後のエマ・ストーンが主演したということで印象づけられた本作だが、テレビ放送でなければ積極的に観ようとは思わなかった。

 観てみると、面白い。よくできている。人物描写が確かでユーモアもある。説明不足とも思えるほどテンポも良い。

 結局は、最後の試合が、双方に負けられない戦いであることから生まれる緊迫感をもっているという、単純にスポーツの試合を見る楽しみだった。ただそれがとても上質に演出されたものだったから、満足感は大きい。


 ところで、実話を元にした本作のテーマが性差別への抗議であることは題名からも明瞭だが、主人公の女子プレーヤーが同性愛者として描かれるのはどうしたことかと思っていると、現実の本人がそうなのだった。

 そして、主人公たちの女子チームに協力するデザイナーがどうみてもゲイなのだが、これを演じているアラン・カミングは『チョコレート・ドーナツ』でもゲイを演じていて、実際にゲイなのだそうだ。

 なんだかそんなにLGBT問題を天こ盛りにしてどうする、という感じもするが、これが、本筋の性差別の問題を、微妙に相殺しているような気がするのはどうしたものか。


2022年3月5日土曜日

『ハロウィン』-ヒット作のはずだが

 題名がオリジナルと同じ「Halloween」だが、リメイクではなく続編。しかも40年後という、現実の推移と同じだけの時間が劇中でも経った設定で、オリジナルの女子高生が老女として登場する。キャスティングは同じ、ジェイミー・リー・カーティスだ(マイケル・マイヤーズの俳優も同じなのだそうな)。

 それだけでなく、タイトルのフォントも同じ、オープニング・ロールのデザインも同じ、物語のあちこちにも、オリジナルと同じカットが意識的に使われている。原作リスペクトが横溢しているが、これはまあオリジナルのファンサービスなんだろう。

 さて、始まってすぐ、オリジナルに比べて情報密度が高くなったロブ・ゾンビ版に比べても、さらに画面の情報が精細で深みがある、という印象。収監中のマイケル・マイヤーズに続いて、初老のローリーの佇まいも、単に記号的なキャラクターというだけでない複雑さがあるように見える(もっとも「ターミネーター」のサラ・コナーか「エイリアン」のリプリーに似過ぎているとも言える)。

 そうしたタッチの高級感とは裏腹に、面白かったかというとそうでもない。結局変わり映えしない殺人鬼の危機を逃れる追いかけっこであり、その攻防に特段の面白みが感じられなかった。

 原因の一つは、マイケル・マイヤーズがどうなると終わりなのかがわからないことか。ナイフや銃弾に怯みはするもののそれじゃあ死なないんだろうな、と思っているとその通り。第一作ではその意外性から恐怖も生じていたのだろうが、もう繰り返されたシリーズではもう意外性もない。ルールがわからないゲームは楽しめない。

 殺し方にさしたる工夫のないのもマイナス。『ハンニバル』や『ファイナル・デスティネーション』シリーズのような工夫が。不謹慎なことには、ホラーにはそういう楽しみがある。ところがマイケル・マイヤーズにはそういう創意工夫もない。何をしたいのかわからない。怒りや憎しみや快楽があるという感じではない。自動的、といった感じだ。そのわからなさが恐怖になるかというとそんなことはない。

 物語としても、冒頭に出てきたジャーナリストコンビが途中であっさり殺されて退場することの不全感も不満。物語の文法をそんな風に外してしまうことが、必ずしも効果を上げているわけでもなく。

 練りに練った作戦で、とうとうマイケル・マイヤーズをやっつけた、という爽快感があればよかったのだろうが、それも、うまくいっているのか偶然なのかも判然としないくらいの杜撰な展開で不審だ。

 ヒット作のはずだが、はて。


2022年3月4日金曜日

『凶悪』-批評的ではなく

 どんどん見られる。刺激的で観ていて高揚感がある。

 「凶悪」な犯罪が描かれる。それを追う週刊誌記者の調査にしたがって明らかになっていく事件が、再現ビデオのように挿入される。

 主人公の記者が事件に取り込まれていく過程が、観客がこの映画に取り込まれていくこととシンクロしていく。

 連続殺人事件を追う記者が事件にのめり込むと言えば『ゾディアック』だ。だがあれほどのレベルでは、残念ながらない。

 凶悪事件に対する義憤のように本人が意識しているのを、妻に「面白がっていたんでしょ」と喝破される辛辣さは皮肉がきいていて、まさしくこの映画を面白がる観客自身に向けられたように感じるが、といって批評的な面白さがあるというほどではない。

 死刑囚に、俺の死刑を最も願っているのはあんただと指摘されるラストシーンは、「凶悪」の対象が逆転するのを狙っているということはわかる。深淵を覗き込む者は深淵からも見返されている、というやつだろうが、そんな批評性も観念的だ。

 記者が、認知症の母親の世話を妻に任せて調査にのめりこむくらいことでは殺人犯たちの凶悪さにはまるで及ばないし、その母親を介護施設に入れる解決は、観客を安堵させる一方で、やはり批評性は薄れてしまう。そもそもその前に、妻に責められながらも母親の介護を放棄するといった描写がリアリティの水準を下げている。

 というわけで、批評的というよりも上記のように「面白い」という見方でちょうど良い映画だった。

2022年2月27日日曜日

『グランド・ジャーニー』-ちょっと冷める

 軽量飛行機に併走する渡り鳥を間近にとらえた映像は見たことがあったが、その実験を基に、その実行者である研究者が脚本を書いたというフィクション。元は学術的な研究でもある実験を、物語においては主人公の息子が成り行きから実行することになるので、味わいとしてはジュブナイルだ。

 少年の冒険談としては爽快だったり感動的だったりするのだがいささか荒唐無稽だと思えてしまって、いまいちのれなかった。最初のうちは、親の心配がリアルに描かれるとはいえ、途中からは冒険を応援するばかりになる。あっさり墜落して死んでしまうくらいのことはありそうだと感ずるのに。危険の度合いが実感としてわからない。「勇敢な冒険」の脳天気さにちょっと冷める。

 離婚した両親と少年を巡る人間ドラマは手堅く描かれていて、映画としてよくできているとも感ずる。

 肝心のフライトの撮影はものすごく美しく感動的。


2022年2月26日土曜日

『愛しのアイリーン』-価値ある映画化

 原作を20年振りくらいに読み返してから視聴。『宮本から君へ』や『ワールド・イズ・マイン』などの代表作や、最近完結まで読み切った『キーチ』の凄さには及ばないと思っていた原作だが、読み返して大感動だった。『宮本』と『WIM』に挟まれて、つまらないわけないのか。

 映画の方は、監督が原作を映画化したいと念願していてようやく、ということらしいが、こういう話は嬉しい。世の「映画化」の多くは、映画会社の企画で、監督が雇われて就いたのだが、そもそも原作愛もない、といったような場合が多いのが恐らく現状で、惨憺たる有様になるのが映画化の常だ。

 原作愛はあっただろうに惨憺たる結果になった『打ち上げ花火』のような例もあるとはいえ、基本的には、原作愛があれば、自分の作品がそれに抗しうるかどうかを考えずにはいられないはずだ。そこに誠実さとプライドがあれば、目を覆うようなことにはならないはずだ。前回の『ハロウィン』も同じだったろうから、完成度は悪くなかったが、それ以上の面白さが生ずるかどうかはまた別の才能やら偶然やらが必要ではある。

 本作はマンガ的誇張を受けた部分を現実的なレベルに着地させ、単行本6巻の内容を2時間にまとめた上で原作のエッセンスを活かして、見事な映画作品として成立させている。

 といって単なる絵解きではなく、安田顕も木野花も伊勢谷友介も、アイリーン役のナッツ・シトイも、確かな実在感でそこにいた。単なる原作の再現ではなく、実写映画にしたからこそ実現した、確かな価値だ。

 そして最後のシークエンスの雪景色もまた。


 不器用さと、それゆえに秘められた強い思いが胸に迫り本当に、思い出すとこみあげるものがある。


2022年2月13日日曜日

2021年第4クール(10-12)のアニメ

 とりあえず目を通すのに年をまたいでしまう。結局録画したものを観ずに廃棄したものもあり。


「鬼滅の刃 無限列車編」

 問題の史上最高興行収入映画をテレビ放送した後で、通常枠で同じ題名の連続放送をするのはどういうわけかと思って見てみる。ブームの火付けになったという旧シリーズの放送は2クール全て見ているが、それほど惹かれはしなかった。が、こちらは1回目から妙に面白い。どうもその面白さはこの映画の主人公の一人である煉獄杏寿郎のキャラクターにある。それ以外は旧シリーズと同程度。煉獄の、あまりに真っ当に真っ直ぐな精神のありようがシンプルに感動的だった。


「ブルーピリオド」

 原作マンガの評価が高いことは知っていたから、どんなもんかと思って観てみる。アニメの質は、回によって高かったり低かったりする。

 もちろんそれよりも原作由来の、青春の不安と熱気と切なさは確かだった。物語の起伏としては芸大受験という特殊性についての興味で引っ張っていきつつ、不安と昂揚も十分に喚起する。

 そして何より、「画を描く」ことに関する考察の深さは、本人にその経験があるからなのだろうが、それにしても丁寧に言語化されていることに感心する。

 

「さんかく窓の外側は夜」

 ヤマシタトモコの原作が素晴らしいんだろうけど、12話ワンクールの中で、霊払いのいくつかのエピソードとともに、主人公二人の過去編から「先生」との戦いまで、大きな流れも捉えて、最後は感動的だった。

 作画はそれほど質の高いものではなかったが、異界を映像化する難しさによく挑んでいるとも思った。


「見える子」

 軽く見られるホラー・コメディ。同じクールに吸血鬼ものが何本もあるなあとここ数年、よく思っていたが、今クールでは「霊の見える人」物が「さんかく…」とともに並んだ。

 主人公の家の朝の団欒風景の終わりに、仏壇の前に来たときに父親の写真が飾ってあって、さっきからいた父親が既に死んでいたのだとわかるエピソードなどは、設定を活かして見事だった。


「takt op.Destiny」

 SFとしては、結局クリーチャーのD2って何で、何を目的にしているのか、とかムジカートという、少女をロボット化して闘わせるという、何やら不健全な欲望の設定がどういう仕組みなのかとか、この1クールの中では描く気がないらしいので、どうも満足感が満たされないのだが、戦闘シーンのスピード感だけは恐ろしくレベルが高かった。


「海賊王女」「サクガン」「エウレカセブン・ハイエボリューション anemone」は途中まで観ようと思って録っていたが途中で投げた。


2022年2月12日土曜日

『ハロウィン』-凡作

 名高いオリジナルは未見で、今回はロブ・ゾンビのリメイク。

 少年時代のマイケル・マイヤーズが不気味だったが、長じてのブギーマンは『13日の金曜日』と変わらず、印象はかなりあっさり。特筆すべき演出やらアイデアはないと思った。

 その後でオリジナル版も観てみると、後半の展開はほとんどそのままだったが、少年時代が長いことと、主人公のヒロインとマイケル・マイヤーズの関係が描かれたりして、ロブ・ゾンビ版はかなり盛り沢山になっているのだった。

 にもかかわらず、全体の印象は明らかな低予算のオリジナル版と、それほど変わらず、結局二つの家をまたぐ追いかけっこにハラハラする、という趣旨は変わらないのだった。そしてそのハラハラ度合いは、情報量が上がったリメイクより、シンプルなオリジナルの方が上だったりする。

 なぜだ。不思議だ。

 カメラワークとか編集のタイミングとか諸々の要素なんだろうか。

 それとも安っぽい画面の日常性が、殺人鬼との落差を生んでいるんだろうか。

2022年2月10日木曜日

『オッド・トーマス』-縁のないエンタテイメント

  何だか絶賛評価もあって観てみる。

 だが最初から説明過多なナレーションに違和感があるし、画面が妙に安っぽいのも気になる。映画とテレビの中間くらいの手触り。一旦止めて調べてみると『ハムナプトラ』の監督なのか。興味のないタイプの映画を創る人なんだ、ととりあえず思う。死神らしきクリーチャーのCGもチャチく、不必要だとしか思えないが、『ハムナプトラ』はまさにそういう映画だったんだろう。

 主人公との会話のテンポはアメリか映画らしい愉しさだと思えたのだが、全体としては安い話だとしか思えない。犯人は途中で、いかにもという感じで登場するから意外性もない。サスペンスもアクションも、まあそこそこ。

 絶賛評価が不思議だが、『ハムナプトラ』のヒットもあるので、こういうのが面白いと感ずる人もいるんだろう。


 ラストだけ、「霊が見える」設定を活かした、うまい落とし方で切なさを感じさせるが、それなら伏線を張る場面でもうちょっと工夫して、回収時にカタルシスを生むような描写をしてほしいところ。むろんこれは、バレては伏線にならないので難しいところでもあるが。

2022年2月6日日曜日

『名前』-テーマ回収の浅さ

 道尾秀介は最近『N』の宣伝に心惹かれているが、最初に読んだ『向日葵の咲かない夏』ががっかりだったのでどうしたものかと思っているのだが、その道尾秀介原案だという、ミステリー仕立てのドラマ。

 とはいえ、それほどのミステリーがあるわけではない。前半の謎が後半、視点を変えることで明らかにされ、さらに両方を通して仕掛けられるミスリードがドンデン返し的な真相に至るという、それだけ聞くと面白そうなのだが、実際にはそれほどの感嘆もない、ミステリーとして見るには食い足りないお話だ。

 だからもちろんドラマとして観るべき映画なのだ。

 そうした点からは、主演の駒井蓮が好演していたとはいえ、演出的にはやりすぎだと思えるキャラクターだったし、何よりもテーマであるはずの「名前」がまるで生きていなかった。

 いくつかの偽名を使って暮らしている中年男が、なぜそんなことをしているのか、一応説明はされているがまるで共感できないし、偽名を使い分ける生活にもリアリティがない。それを可能にしている工夫とか偶然とかが描かれるわけでなし、細部が描かれるでなし。

 本当の名前を名乗ることが本当に相手に向き合うことなのだ、というテーマ設定もあまりに見え透いている。偽名を使う切実感がないから、テーマ回収も別に感慨はない。


 さらに、主人公の中年男とヒロインの女子高生の関係に納得がいかない。擬似親子のような関係として描かれているのだが、親子のようだというにはあまりにリアリティに乏しく、それを装った男女関係なのだとするとそれはそれでリアリティに欠けていて気持ち悪い。

 その不安定なところが狙いなのだとわかる分、却って始末が悪い。


 それでも、映画の終盤で主人公とヒロインが夜通し歩いて明け方のバイパスらしき道路でお喋りするシーンは、その薄青い空気感が否応なく郷愁を誘う。なぜ夜通し歩く必要があったのか物語的な必然性がわからないし、お喋りの内容も陳腐なのだが、やたらと懐かしい感じがして、結局、結構良い映画だったんじゃないか、というような錯覚を残してしまう。

 とはいえ劇中劇の清水邦夫の「楽屋」も別に活かされていなかったし、やはり脚本も演出もうまくはいっていないと思う。

 役者陣は良かったが。

2022年2月5日土曜日

『Knives Outナイブズ・アウト』-間然するところのない

 『パラサイト』と『ジョーカー』の年に、映画館で、テレビで予告編を観るたびに気になってはいた。豪華キャストで描くまっとうなミステリー。アガサ・クリスティ的なというのは監督が意図したところだというのだが、なるほどそういう映画として間然するところのない出来だった。ドンデン返しとハッピーエンド。

 あまりにうまい映画は『LOOPER/ルーパー』の監督なのだったか。しかもどちらも脚本も書いてるというのだから恐るべき才人だ。


『THE GUILTYギルティ』-すさまじい緊迫感と焦燥感

 ちょっとだけ冒頭を観ようと思って開いたら緊迫感がすさまじく、既に遅い時刻ではあったがそのまま終わりまで観てしまうことにする。

 警察の緊急通報室で完結するある意味SSS。しかし事件はそこで起こっているのではなく、電話の向こうで起こっている。しかしドラマは確実にこの部屋で起こっている。

 電話で伝えられる情報でのみ、事件の輪郭を描いていくしかないという意味で、観客の認識は主人公と完全に同化している(映画中の時間経過もほとんど上映時間と一致している)。少しずつ事件の概要がわかってくる。電話でできる限りの指示や情報収集をしていくが、現場に駆けつけられないことも、情報を求めるのに受動的になることも、灼けるような焦燥感を生じさせる。

 動きのないままカットが変わらないという意味では『箪笥』『A Ghost Story』にも劣らずカットが長い。どうした、と思うほど何も動かないままカメラが切り替わらない。その間カメラは主人公の顔のアップのままだ。

 それなのに、『箪笥』『A Ghost Story』に感じたようなもどかしさ、苛立ちはない。緊迫感・焦燥感が持続しているからだ。

 かように演出と演技が極めて高いレベルにあるのはもちろんだが、そこにはやはり脚本の出来が不可欠。情報の制限が主人公と観客のミスリードを誘っておいて、徐々に真相がわかってくる巧みさも、事件の展開とともに少しずつ明らかになる主人公自身のドラマがからみあっていくのも、感嘆するほど上手い。

 これほどの低予算で、これほど面白くなるのは映画制作にとって大いなる希望にちがいない。

2022年2月2日水曜日

『さんかく窓の外側は夜』-無惨な絵解き

 先日のアニメに続いて、原作の前半まで読んだのだが、やはり原作はアニメ以上に素晴らしいのだった。で、こっちはどうなんだろうという興味から。


 で、まったく何もない。原作の面白さはことごとく抜け落ちて無惨な絵解きがあるだけ。あらためて原作の面白さを考えて、抜け落ちた要素を考えたりもしたのだが、もうそれを書くことさえ虚しい。

2022年1月30日日曜日

『ゴーストランドの惨劇』-佳品

 何でウォッチリストに入れたか忘れたのだったが、見放題が終了しそうなタイミングで。

 これはよくできたホラーだった。いささかビックリ演出が多いとはいえ、それを利用したゾクゾク演出も駆使して、恐ろしく怖かった。

 捕まって虐待を受ける姉妹が、脱出する場面の解放感はすごかったが、すぐに暗い森の怖さが戻ってきて、まだまだ物語が終わらないことがわかったりするのもうまい。

 物語の展開としてもドンデン返しと世界の入れ子構造で楽しい。

 そして二つの時間軸で描かれる未来編でヒロインを演じているクリスタル・リードの演技があまりに見事だったのにも感心した。


 幻想の中で作家となっているヒロインが、敬愛するラブクラフト(ラブクラフト本人がパーティー会場に現われるのだから、その時点ではそれが虚構でしかないことが既に観客にもわかっている)に、ヒロインの作品『ゴーストランドの惨劇』を褒められる場面がある。そして「これは傑作だから一字一句変えてはならない」と言われるのだが、これが妙に印象的なので、その意味を考えさせられる。考えてみる。

 おそらくそこで言われている『ゴーストランドの惨劇』こそこの映画、その後でヒロインが行動することで決着する物語なのだ。つまり、幻想のラブクラフトは、幻想を捨てて現実に立ち向かうことを主人公に促しているのだ。

 それを遂行して生還する結末は映画鑑賞の目的にふさわしい満足感を与えてくれた。


 そういえばフレンチ・ホラーの新しい騎手として紹介されていたパスカル・ロジェの監督作なのだった。他のも、機会があれば観てみよう。

2022年1月29日土曜日

『サランドラ』-父権的家族

 ウェス・クレイブンの2作目だというのだが、見るからに低予算映画だった。もちろん低予算であることは映画がつまらなくなることを決定しない。高級感はないものの、カメラワークとか編集とか、それなりに悪くない。といって結局は見るべきものもなく、単につまらない映画だった。どうしたわけか。面白さというのはそれを生み出すことが簡単ではないということなのだろうな、やっぱり。


 荒野に住んで人を襲って食べてしまう奇形の一家と、それに襲われる旅行中の一家の攻防戦なのだが、両方の一家が、やたらと父権的な家庭像として描かれているのがアメリカ的で不思議な感じだった。

 アメリカの映画やドラマを見ると、ハイティーンの子供が出てきても、必ず親の方が大きくなるようにキャスティングをしているように思われるのだが、実際にはローティーンのうちに子供は親の身長に並ぶものであり、日本ではキャスティングの際にそうした身長差に頓着しているように思えない。

 これが忠実に守られて、登場人物の心性としても両家ともにそれを体現しているのが不思議だった。

 と言ってそれに対する何か批評的な映画だというわけではないのだが(批判的といえば、奇形の一家の設定にはアメリカの核実験に対する批判的な要素があるようだが、それが何か批評的な面白みになっているわけでもない)。

『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』-ジブリ的フランスアニメ

 評価の高いらしいフランス産アニメがEテレで放送されていて、特に予備知識もなく観る。なるほど、画はきれいだし、演出も上手いのが始まってすぐわかる。顔の前に垂れ下がった前髪を耳に掛ける仕草とか、祖父の書斎に入って、とおりすがりに触れて回る地球儀など、描写のリアリティが繊細に考えられている。

 物語としても、19世紀のロシア、サンクトペテルブルクの貴族の少女が、祖父の無念を晴らすために北極点を目指すという設定に、ディズニーやらジブリやらの典型的な冒険譚の感触がある。北極圏の航海や、船が流氷により座礁してからのギリギリの旅など、物語的な屈曲も豊富で、良質の物語だ。

 そして日本の我々には、貴族の娘が旅の始めに騙されておいてけぼりになったまま食堂で働くことになる1ヶ月間に、みるみる逞しくなっていく描写に、『千と千尋の神隠し』やら『天空の城ラピュタ』やらのヒロインを重ねて見てしまう。

 ジュブナイルとして良質のアニメ映画。

2022年1月26日水曜日

『(r)adius』-ジャンルの混交の失敗

 半径(=ラディウス)15m以内に入った生物は突然死んでしまうという設定は予告編から明らかにされている。後は主人公が記憶喪失らしいのも。

 原因が不明なのも不穏なのも、雰囲気はシャマランの『ハプニング』を思い起こさせるが、設定は『呪街』に近い。そんなマイナーな日本のマンガを、作者たちは知らないだろうが。

 さて、こういうワンアイデア(に見える)作品は、その可能性の徹底的な追究と丁寧な演出がものをいう。この設定から起こりうる事態をあれこれと想像して、それをドラマチックに見せる。そして、その渦中にいる人の振る舞いに合理性を持たせる。センスのあるカット割りなどできれば申し分ない。

 

 で、どうだったかというと、悪くない。面白い。薄暗い画面の不穏さも、事態を描写するカットも手際が良い。


 だが半ばまで観て、思いのほかイベントが起こっていないことに気づく。もっとさまざまな事態が起こる可能性を追求してほしいという不満を感じ始める。画面の手触りはよほど上質だが、物語的には『トロールハンター』と同程度の密度に感じられる。

 その後、最後近くなってイベントが起こり始めるのだが、これがなんとも予想外の方向で、しかし楽しくはない展開なのだった。奇妙なSFホラーだった物語が、最後になって急にサイコサスペンスになる。その必然性がまるでわからない。ジャンルの混交が、何か効果的に働いているという感じがまるでしない。どちらも中途半端になっているという感じしかしなくて、混交させる必然性が納得されない。

 終始狂っているような感じの『アルカディア』にはこういう不満を感じるわけではない。あれは本当にジャンルのわからない映画だった。それに比べて本作はもっと一般的なハリウッドエンタテイメントの手触りの映画だから、それを全うしていないことに不満を感じるのだ。どちらの要素もそれなりに悪くはなかったので尚更惜しい。

2022年1月20日木曜日

『ワンダーウォール〜京都発地域ドラマ〜』-脚本と若手俳優

 NHKのドラマとして放送されたときに観て、好印象ではあった。

 それが最近面白かった『今ここにある危機とぼくの好感度について』の渡辺あやの脚本なのだと知って、劇場版を観直す気になった。

 観直しても、印象のあるシーンはまるでなかったが、やはり、現実に流されて諦めてしまうリアリティと、それでも何か大事な物を守ろうとする戦いの切実さの対立は、青臭いながらも爽やかで、前回と同じように好印象だった。

 それ以上に今回は、「ドレッド」が茶を点てるシーンが妙に印象的だった。

 戦いに対して距離を置くドレッドが、熱い議論が交わされる部屋に入ってきて、議論に構わずに、その部屋が以前茶室だったことを確かめようとする。議論している側は怒りをもってその希望を排除する。気易く待つことにしていると、議論が熱を帯びて、むしろそれが行き詰まったときに、壁に積み上げた本が崩れて、壁の掛け軸が姿を現す。茶室だったというのは本当だったのだ。

 次のカットではなんとドレッドが茶を点てる。議論していた面々も、神妙な面持ちで正座をして待つ。ドレッドヘアーのお気楽なキャラクターと茶の落差の可笑しさもあるが、議論の行き詰まりが思いがけない形で落着することにカタルシスもある。

 無理矢理「解釈」すると、あれは、現在の青春の舞台である寮の一室に、今は失われてしまった茶室だった過去が、現在の問題である寮生と大学の対立を超越した「歴史」として突然顕現して、その前に皆が神妙になってしまう、というようなことなんだろうか。

 撮影としては、ドラマ版と、後から劇場版用に撮影したというテーマ曲の合奏シーンが、多幸感にあふれるカット編集だったのに感動した。

 渡辺あやを覚えたのと、岡山天音がこんなふうに中心的な登場人物の一人だとあらためて認識した。それ以外の若手もとても良く、今度どこかで見たらきっと思い出す。

2022年1月16日日曜日

『ほえる犬は噛まない』-レインコートと紙吹雪

 ポン・ジュノの長編デビュー作。

 何映画かわからずに観始める。だが物語が進んでも、何映画かは定かではない。ブラック・コメディだという紹介もあるが、コメディに振り切ってもいない。サイコサスペンスの刑事物だった『殺人の追憶』や、モンスター物であることは観る前から知っている『グエムル』のようには、既存のジャンルには括られない。

 どこへいくのかわからずに見続けていると、いろんなことが連鎖的に起こったり、伏線が回収されたり、どこから発想されるのかわからない展開になったり。

 その中で主人公夫婦の関係に微妙に温かい気持ちになったり、もう一人の主人公ペ・ドゥナと友達の関係にほっこりしたり。主人公では笑えなかったが、ペ・ドゥナについては笑っていいんだと思えて、受け止め方に安心できたし、最後近くの笑顔は、かなり明るい気持ちにさせられた。

 なんといっても子犬を助けるために駆け出すペ・ドゥナを、同じ黄色いレインコートの集団が応援する、紙吹雪舞い散る幻想シーンの多幸感はすごかったが、どうやってあんなシーンを思いつくのか、まったくわからない。

浦上想起

  北園みなみ風でもあるが、それ以上に壊れた音の組み合わせが、しかし途轍もなく美しく心地良い。調和と不協和。緊張と緩和。恐るべき才能。



多分動画も自分で作っているんだろうが、その奇妙なユーモア感覚も楽しい。

「芸術と治療」の歌詞の字幕は、最初に観た時に何度も笑った。

p.s.

連想でしばらくぶりに北園みなみを聴き返したら、やはり良いのだった。



2022年1月13日木曜日

『トロールハンター』-やっと観られた

 POV映画ということでいくつかの映画サイトで取り上げられていたが、レンタル店では見つからなくて気になっていた。ようやく。

 何よりフィンランドの山並みが美しい映画だったが、まあそこではない。基本はモンスター・パニックでありホラーだ。

 POVのモキュメンタリーは、本当なのではないかと思わせる仕掛けがミソなのだが、その点では体長数十メートルの哺乳類であるトロールが実はいっぱいいて、政府によって隠蔽されているから人々に知られないという荒唐無稽な設定を本当らしく見せる工夫はあまりなかった。わずかに、本物の送電施設を、これはトロールを閉じ込めるために張った電線だということにしたり、窓の外の牧場の牛を、あれはトロールのエサだと言ったり、といったそのまま現実にあるものを映画に取り入れる工夫は見られるものの、何より、戦いのリアリティが薄い。

 いくつかのトロール登場のシーンも微妙だし、登場人物のキャラクターもそれほど掘り下げられずにいる。作品としてはそれほど大きな満足感はない。

 ただ、最後に出てくる最も大きなトロールの足下を車で駆け抜けるカットはよくできていた。

 


2022年1月12日水曜日

『残念なアイドルはゾンビメイクがよく似合う』-「楽屋」

 一見、舞台劇を撮影したものかと思うような、画面の、セットの、演技の安っぽさだが、ちゃんとカットが切り替わって、それなりの編集もされている。でもまあせいぜい深夜枠テレビドラマくらいのクオリティではある。

 にもかかわらず、実に楽しかった。映画的リアリティは求めなければいいのだ。舞台演劇と映画は、期待されるリアリティの水準がまるで違う。映画で観るとリアリティがない、馬鹿馬鹿しいと思えるのは、その水準を間違えているからだ。

 この映画を映画のリアリティの水準で観れば安っぽいと言わざるをえないが、舞台演劇をカット割りして編集しているのだと思えば、そのリアリティの水準で観られる。

 物語はアイドルを集めてホラー映画を撮っている現場のメイクルームだけで進行する。この「映画作り」という題材と、演劇的に見えるという作りの相互作用がどうも面白い。

 「メイクルーム」と言えば清水邦夫の「楽屋」だ。あのレベルとは言わないが、基本的にはあれと同じ、創作の愉悦や労苦、嫉妬や不安、前向きな希望など、様々な感情が描かれる。

 限定された舞台設定されている割には数の多いキャストが、それぞれに少しずつ背景に物語をもっているという脚本作りもうまい。

 そして、主人公のメイク係のベテランスタッフ的、仕事に対する安定感と、作中映画で主役を演ずるアイドルの前向きなキャラクターが、どちらも決して上手い演技だとは思わないが、にもかかわらず実に魅力的で明るい気分にさせてくれる映画だった。

2022年1月7日金曜日

『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』-爽快

 『幸せのレシピ』からのレコメンドで浮上してきた。

 観始めると、なんとも手際がいい。脚本も演技も編集もテンポが良くて、これは上手い映画だとすぐわかる。そのうちスカーレット・ヨハンソンは出るわダスティン・ホフマンは出るわ、なんだこれはメジャー作品なのかと初めて知る。観終わってから調べて『アイアンマン』の監督だと知ると、これは当然なのだった。

 前半ももちろん面白かったが、後半の、息子が出続けるロードムービー展開が楽しい。いささかうまくいきすぎているとも思いつつ、ずっと幸せな気分でいられる。

 そして、基本的な愉しさを支えているのは、主人公のシェフの明るい性格と裏腹なプロ意識だ。これが念入りに取材もリハーサルもされた見事な撮影とともに、確かなモラルとして画面に溢れているのが心地良い。


 もう一つ、対立が対立としてバランスがとれているのも楽しく見られる大きな要因だ。

 主人公と対立するレストランのオーナーとグルメ評論家が、どちらも単なる「敵役」として一面的に描かれるのではなく、十分にそれぞれの「理」があると思わせる人物像を実現しているのが好ましい。『新聞記者』などのような社会派映画こそそれをやってほしいというのに、「敵役」となればこれだ、というステロタイプが映画の質を落とすことなぜ気がつかない邦画やテレビドラマには、本当に残念に思う。

 そのバランス感覚が、さりげなく描かれる職人の手際が実現した爽快な映画だ。